shin-1さんの日記

〇甘夏みかんが美味しいころとなりました

 夫婦揃って風邪を引き、この一週間ほどは薬を飲んだり、おかゆを食べたり、また自宅で作っているかりん酒を飲んだりしてして風の対策を講じましたが、未だにその後遺症なのか夕方になると少し咳が出るようです。私は余り薬は飲まないし注射も大嫌いなので、風邪で病院へ診察に行くことは殆どなく、今回は妻の処方された風邪薬を試しに1回飲んだだけなのです。

 それでもどうにか回復に向かい殆ど治りましたが、91歳の親父に風邪を移さないように気をつけていたお陰で、親父に移す事もなく収束に向かいそうで一安心です。

 寒かったり暑かったり気温の変動が激しくて、体調管理が難しかった今年の春でしたが、いつの間にか大相撲夏場所も始まり、これから一気に夏へと向かいそうです。外ではツバメが地上すれすれを低く低く飛び交い、人間様は気ぜわしく田植えの真っ最中のようです。

 わが家の菜園の続きにある果樹園には少し遅ればせながらミカンの白い花が咲き始めました。普通の農家だとこの時期に果樹は残っておりませんが、わが家の果樹園には甘夏みかんが沢山実をつけて残っています。これは意図的で、これから始まる初夏のわが家の食べ物として樹上で越冬・越春させて初夏を迎えるのです。お百姓さんから言わせれば母樹に悪いから早く摘み取れと言われますが、毎年そうしてきたので木も慣れたのか平気のようです。

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 昨日は午前中弱い雨が降っていました。体が濡れるほどではないので、この甘夏みかんをキャリーに2箱ほど採果鋏を使って収穫しました。雨が露のようになって残っていたため多少袖口を濡らしましたが、1箱は知人に、1箱は漁協じゃこ天のおばさんたちに差し上げました。とても喜んでくれました。わが家の甘夏みかんは無消毒のため皮をマーマレードに自家加工するととても美味しいのです。お陰様でわが家も毎年妻がマーマレードを作ってくれ、パンに塗って食べますが美味しいです。実はこのマーマレードを暑いお湯に溶かして飲むと風邪にいいという耳寄りな話を昨日聞きました。今日あたり試してみようと思っています。

 ふと朝の窓越しに外の庭を見ると、庭石に絡まった軒シノブの新芽が一斉に若草色の葉を広げています。親父が丹精こめて枝先を伸ばしている山茶花の新芽も鮮やかな若草色の衣を身にまとっているようです。いつの間にか季節は巡り庭はもうすっかり書家の装いになっています。

 私も気を引き締めてこれから始まるであろう本格的な急がしい日々を元気に乗り切ろうと思っています。そうそうこの甘夏みかん、近日中に遠くの友人知人に収穫して発送予定です。

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  「花と実が 同居している 甘夏柑 今年も初夏の 味を楽しむ」

  「マーマレード お湯で溶かして 飲むといい 風邪の妙薬 初めて知った」

  「四国ゆえ 年中柑橘 楽しめて 吾は幸せ いつも実感」

  「甘夏の お礼にいただく じゃこカツが 一品増えて 夕餉豪華に」

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shin-1さんの日記

〇私のエネルギーの源は5つかも

 私は時々出会う知人友人から、「若松さんはいつもエネルギッシュに生きていますね」と、お世辞にも似た言葉をかけられます。自分でもポジティブなプラス思考の人間だと思っているので、そんな言葉を聞けばある面嬉しくなったり納得したりもするのです。

 先日人間牧場へ視察に来られた人が私の話を聞いて、「若松さん、あなたのそのエネルギーの源は何ですか?」と唐突に尋ねられました。「そうですね」と思いつくままに私のエネルギーの源を考えて話しました。まず何といっても第一はフィジカル(肉体的)なエネルギーです。規則正しい快眠・快便・快食によって支えられた健康な体なしには何事も出来ないのです。加えて体力はほおっておくと落ちる一方なので、毎日自分流の運動は欠かしません。寝る前と朝の体操は欠かさず行い、閑さえあれば裏山の少しきつい坂を登るようにしています。人間牧場が出来てからは年に何回か草刈作業があるので、これが私にとってはかなり重労働ですが筋力アップのつもりで楽しんでやっています。

 第二はメンタル(精神的)なエネルギーです。私はリタイアして職場がないため、おおよそ家庭・仲間・地域の3つの空間を行き来していますが、時には講演などを通した広域的な場所へも移動して様々な活動に加わっています。人間牧場もその一つで、気心の知れた仲間たちと様々な活動を企画し、大いにわが世を謳歌しているのです。メンタルの根本は家庭で夫婦・親子の人間関係はとても大切なエネルギーの源のように思われます。メンタルを支えるものに経済的裏づけは欠かせない要因です。それほど豊かではありませんが、毎日の暮らしを組み立てて行くだけの年金も支給され、まあ何とか食える最低限の保障は確保されているのです。

 第三はソーシャル(社会的)なエネルギーです。メンタルな部分とかなり重複している部分もありますが、現代では地域社会そのものの存在が得てして忘れられようとしています。運命共同体として社会からいただくエネルギーは相当なものがあるようです。しかし一方では社会悪とでも言うべきものもあって、必ずしもソーシャル全てが自分のエネルギーとなる訳ではなく、むしろマイナスエネルギーだって発生するのです。そのマイナス作用ががあるから人は謙虚になるのだと思えばマイナスもプラスのエネルギーになり得るのです。

 第四はスピリチュアルともピュシスともいうべき(自然的)エネルギーです。実はこのエネルギーは凄いもので、太陽や月など宇宙の偉大な力によって人間は生かされているのです。太陽が昇ると昼になり沈むと夜になる、太陽や月の自転公転によって季節や潮の満ち干きが起り、そのことが動植物に新たなエネルギーを与えるのです。何気なく自分自身の力で生きているように見える私たちの日々の暮らしの殆どはむしろこのスピリチュアルなエネルギーかも知れないのです。

 そして最近そのことに気がついたのですが、親から子へ子から孫へと続く遺伝子みたいなウイッキペディア(遺伝的)エネルギーもあるような気がしています。10代前に遡ると私の先祖は1024人います。つまり1024人のどれが欠けても私の存在は成立しないのです。最近顔も形も、声や性格までも自分自身が親に似てきたことを感じるのですが、これはゲノムのいたずらかも知れません。

 まあ人間はこして様々なエネルギーの殆どを外から補充して自分のエネルギーにしながら生きているのです。そのことに感謝しながらこれからもいいエネルギーを入力し、いいエネルギーとして出力しなければならないのです。勝者はそれをなし得た人かも知れません。

  「人が問う エネルギー源 何ですか? 口から出まかせ おおよそ五つ」

  「ちょっとだけ エネルギー源 考えた これを大事に 今後も生きる」

  「風邪を引く ただそれだけで エネルギー 減るのですから 注意しないと」

  「妻笑顔 ただそれだけで エネルギー 増えるのですから ゴマをすらねば」 

 

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shin-1さんの日記

〇スケジュールの管理と調整

 リタイアしてサンデー毎日の私なので、スケジュールは毎日空いていると思いきや、何だかんだと予定が入り、不思議なことに多い月は予定がびっしりなんて月も、珍しくないのですから驚きです。妻からはもうそろそろ断る勇気を持たないと体に堪える」と脅されていますが、それでも頼まれると断れない性分が頭を持ち上げて、ついつい予定を入れてしまうのです。

 私のスケジュール管理はデジタルではなく、旧来通りの手帳管理です。疎かもその手帳たるや商工会連合会が発行しているかなり大型の卓上Writing Calendarなのです。役場に勤めっていた頃貯蓄推進委員会が発行していた物を使い始めてそれが癖になり、その後引き継いだ金融広報委員会が発行を止めたため、同じような使い易さから現在のものを使うようになって6~7年といったところでしょう。私はこれまで使ってきたこれらのカレンダーを全て大切にとって保存しているので、たいていの記憶はこれを紐解けば蘇ってくるようになっているのです。

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(36年間のスケジュールが書き込まれた卓上カレンダー)

 さて先週の金曜日から今週の月曜日まで、私のスケジュールに混乱が生じ、様々なスケジュール変更が二転三転して相手に迷惑をかける結果となりました。私は先約至上主義で先約が入っていると、よほどの事がない限り変更をしないようにしているのですが、事の発端は私が所属する委員会の私を除いた全員がスケジュールが合って、私にその日の他の予定を変更して欲しいと圧力がかかったのです。いたって気の弱い私は至上主義の戒律を破って相手に電話をして変更してもらいました。ところがそのスケジュール変更した会議がまた元に戻り大騒動となりました。早速相手に電話をかけて事の真相を告げましたが、相手は既に変更した通知を出していて、その相手が留守で捕まらなかったり、土日が入りスケジュールの変更に重苦しいい空気が流れた4日間でした。また県外からのスケジュール問い合わせの話もダブったり没になったりと、散々な目に遭ってしまいました。

 秘書など抱えるほど忙しくもなく、ましてやそれほど偉くも豊かでもないので、私のスケジュール管理は自分自身でやっていますが、忙しい年代や仕事の峠を越えた私のスケジュールにも、本当のサンデー毎日が間もなくやってくるものと思われますが、もうしばらくの間スケジュール管理に悶々の日々を過ごさなければならないようです。

 しかし忘れ状が良くなったのは確実で、もしこのスケジュール表がなければ私の行く手は暗中模索の状態なのです。時折車の運転中に電話がかかり、またs家ジュール表を持たない場所に電話がかかり、その予定を書き忘れてしまう大失敗も、これまでに何度か経験をしました。そんな私を気遣って誕生日に電子スケジュール表をプレゼントすると言う、子どもたちからの申し出も断った経験があるのです。携帯電話にパソコンメール、それにスケジュール表だけでも大変なのに、これ以上の持ち物は余分な心配の種が増えるだけなのです。

 夜寝る前、自分のスケジュール表を見てあくる日の行動計画を頭で描き寝ます。朝起きろとスケジュール表を再び見て今日一日の予定を頭に描きます。「今日は午前10時から会合に出席し、午後2時にお客様がわが家に訪ねて来る。夕方には人間牧場へお客様か。今日も忙しいな」と、自分で独り言を言いながら、今日も自分の書いたシナリオは進むのです。

  「スケジュール 五つ六つが 重複し 右往左往の 連続でした」

  「リタイア後 サンデー毎日 言いつつも 何故か込み合う 俺の毎日」

  「妻曰く 何時になったら 閑が来る 俺も分からん 相手いる故」

  「空いてない その日を選ぶ ようにして オファーのかかる 運の悪い日」

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shin-1さんの日記

〇この5年間は一体何だったのか

 人間牧場が出来て直ぐに、人間牧場の農場に色々な花木や種芋を植えました。その殆どが命のリレーを経て今日に至っていますが、3年前に植えた2年生のコンニャクの種芋も、10個植えそのうち1個は猪の被害に遭ったものの、後の9個は猪も見向きもせず順調に育ったように見えました。土の中のことゆえ「育ったように」と表現しましたが、昨年秋の育ち状態からみて今年の秋には収穫してコンニャクを作る計画でした。

 今年も春の早い時期に芽を出したので、てっきり順調と思いきや何と何とこれは芽ではなく花だということが判明したのです。双海町で長年コンニャク作りに取り組んできた西岡栄一さんの話によると、コンニャクイモは6年くらいで成長が止まり、最後は花を咲かせて腐るのだそうです。

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(コンニャクイモに咲いたコンニャクの花)

 そんなこととは露知らず、今年こそはと手ぐすね引いていた私にとっては相当なショックで、「この5年間は一体何だったのか」と思わざるを得ないのです。こんなことになるのなら昨秋にコンニャク作りをすればよかった思っても時すでに遅し、後の祭りなのです。

 でも悪いことばかりではありません。この花の咲いた親芋の周辺には小芋が幾つか育っていて、去年の秋には親茎の傍に子茎が幾つも確認されていて、それが親芋の恵みを得て大きくなるのですから、まあ大損でもないようです。

 そんなこともあろうかと思って植えた訳ではありませんが、今年の春コンニャクの種芋を50個ばかり購入し人間牧場の畑に植えました。2年物なので忘れることなく3年後には彫り上げてこんにゃくを作りたいと思っています。

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(ビニールを取った3月末はこの状態でした)

 私は漁師の子どもゆえ百姓のことは知っているようで案外知らないことが多いのです。サツマイモのことも、梅を収穫することも、蕗のことも全て人間牧場を開いてから覚えたことなのですが、こいして失敗を繰り返しながら色々なことを学ぶのです。

 失敗といえば今年のサツマイモの苗も大失敗のようです。今年は天候が不順で外気温が低く、曇天の日が多いため日照時間が極端に少ない春でした。ゆえに霜から守るために被せたビニールが災いして折角出た芽を枯らしてしまったのです。懸命に復旧のための措置を講じましたが、後遺症の影響で苗は大幅に遅れて成長、この分だと今月22日の作業には間に合いそうもなく、苗の購入を考えなければならないようです。

 自然は中々私の言うことを聞いてくれないものだと、しみじみ嘆く今日この頃です。


  「この五年 俺は一体 何したか 芋に花咲き 腐ってゆくとは」

  「この秋に コンニャク食わす 約束も も少し待てと 断り入れる」

  「四国ゆえ 冷害などは 考えぬ 芋づる枯れて 子ども失望」

  「世の中は 失敗しつつ 学ぶもの この歳なって またも洗礼」 

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shin-1さんの日記

〇西条市禎祥寺の藤の花は見事でした

 一週間に一度の日曜日しか休みのない妻ゆえ、日曜日には待っていたように家事があったり、子どもたち家族がやって来るものですから、結局は妻の体が休まる日は殆どないのです。ゆえに早く仕事を辞めるよう常々言っていますが、一緒に勤めていた方の娘さんがガンで急逝してその方が一足早く辞めてしまったため、辞めるに辞めれず今日を迎えていて、妻の疲労も限界に来ているようです。そのことを察してか子どもたちが我が家へやって来る日も少し遠のいていますが、日曜日には近所づきあいもあったりして中々上手く行きません。

 昨日は午前7時から地区の集会所の掃除当番が回ってきて、近所の5軒の女性郡が朝早くから集会所の掃除に出かけました。帰るなり身支度を整え近所に住んでいる叔母が、動脈瘤の手術をして入院しているのを見舞いに行くというのです。東温市にある愛大付属病院までは少し遠いので、運転を兼ねて一緒に行くことにしました。ふと何日か前の新聞に西条市喜多川禎祥寺の藤の花を紹介していた記事のことを思い出し、お見舞いにはそんなに早くも行けないので、伊予インターから高速に乗って身近な小旅行を楽しみました。本来なら最上インターまで行くべきでしょうが、小松のインターで下りて国道11号線を加茂川近くまで走りました。

 西条は何度も足を運んでいる地域なので、西条金属の裏側辺りという地図をインターネットで調べていたこともあって、道を間違うこともなくすんなり禎祥寺へ到着しました。境内の入り口にはにわか作りの有料駐車場があって、300円を支払いました。駐車場に降りると少し離れているのに、藤の花の甘い香りがプーンと漂ってきました。その香りは近づくに連れて強くなり、まるでミツバチのように藤の花に吸い寄せられました。

 少し曇っていましたが、アマチュアカメラマンの方々がこれでもかといわんばかりの機材を広げて撮影をしていました。観音堂の門前で手を合わせ無事息災に感謝の手を合わせ藤棚の下へ入りました。

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 県指定の藤らしく、古木から伸びた枝は畳150畳もの広さのようで、枝垂れ藤の長さは長いものになると1メートルを越えるものまでありました。長年丹精をこめて育てている地元の人が様々なガイドをしてくれました。「お客さんはどちらから」、「はい私は夕日で有名な双海町からです」「ああ綺麗な夕日のようですね」。なんて楽しい会をしながら、年配のおばさんながら妻をモデルに写真の撮影をしました。美貌では藤の花には負けますが藤の花の引き立て役としては最適のようでした。

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 同じ藤の花でも写真の撮り方によって表情が全然違うのです。写真を撮っていると地元の方が昼間ながら裸電球を何個か点灯してくれました。多分ライトアップされた夜藤も趣があるだろうなあと感心しながら藤の甘い香りに包まれ、至福の時を束の間ながら妻と二人で堪能しました。

 入り口駐車場付近には地元の和菓子屋さんが沢山の和菓子を展示販売していました。ワラビ餅や草餅など幾つかを買い求めて本来の目的である愛大付属病院へ向かいました。

 病院ではロビーで知人の奥さんに出会いました。脳腫瘍やガンが見つかり知人は入院しているそうです。少し長めの立ち話をした後、おばの病室を訪ねロビーで話をしましたが、手術も上手くいって間もなく退院と聞きホッとしました。

 束の間の一日でしたが妻にも私にもいい一日でした。

  「いやあ凄い 噂に聞いた 藤の花 紫色の 暖簾くぐりて」

  「妻立たせ 妻座らせて 写真撮る まるでモデルと 見紛うほどに」

  「巻尺を 伸ばしてこれは 何センチ 得意げ喋る 地元のおやじ」

  「出店にて 和菓子幾つか 見繕い 車で二人 お茶の休みす」

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shin-1さんの日記

〇一人で「いい~湯だなあ~」

 昨日はせっかく足湯をと人間牧場ロケ風呂にお湯を張ったのに、来客相手様の時間の都合で利用してもらえず新湯なので、「そうだ一人でお風呂三昧をやろう」と思い立ち、再びボイラーのスイッチを入れて少し暑いお湯を注ぎ込み、集めのお湯に仕上げて真昼間から入浴と相成りました。

 昨日は風呂釜の下から火を焚いていないためゲス板も必要でなく、裸になってゆっくりと湯の中に体を沈めました。北側の跳ね上げ窓を開け、両袖の隠し窓も開けているため穏やかな外気とあいまって、まあ最高の気分でした。

 眼下には土曜日休漁日とあって豊田漁港に行儀良く並んだ漁船が何とも長閑な雰囲気を醸してくれました。海も穏やか、遠くには瀬戸内海の島々がまるで一服の墨絵を見ているように広がり、また咲き始めた周りのミカン畑花の香りが、「ああ~幸せ」って感じになりました。

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(ロケ風呂にて)

 若い頃はそんなに風呂好きでもなく、またカラスの行水程度で長湯でもなかったのに、歳をとるにしたがって風呂好き長湯になり、今では閑を見つけて妻と二人近所の温泉巡りなどをしているのですから世の中も変わったものです。湯加減も私は元々ぬる目のお湯が好きでした。最近は少し熱めの温度が好きになり、妻からは「余り暑いお湯はよくない」と言われていますが、まあ火傷をするほどでもないのでほどほどにしています。

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(最盛期は68キロ、今は56キロ、もう少し太っても・・・・)

 悪趣味ではないのでご容赦を願いますが、昨日はデジカメを持ち込み高齢者の入浴シーン撮影会?となりました。犬も食わない、ましてや覗く気にもならない男の裸体ですが、初診に卯写った自分の体を見て驚きました。今流行のメタボではなく精悍だといえばそうも見えますが、まあ56キロの痩せた体には何処にも贅肉など付いてなく、余りにもみすぼらしいのです。タオルをかけ風呂でひとりくつろぐ姿は、まあ自己採点で「格好よい」としておきましょう。

 妻に言わせればもう少し太って欲しいのだそうですが、こればかりはどうにもなりません。でも今の体形を保ってこれからも元気に生きて行きたいと思っています。


  「ギョッ俺は こんなに痩せて いるのかと 自画像見つつ 少しがっかり」

  「女性なら 裸写真も 絵になるが 爺の裸 犬も食わぬわ」

  「さも二人 いそうな写真 自動にて アリバイ工作 サスペンスなら」

  「山の家 一人静かな 湯に浸かる ミカンの香り ウグイス鳴いて」

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〇民生委員さんが人間牧場へ研修に来られました

 私が町役場でまちづくりを担当していた少し前の昔は、わが町と内子町をセットにして視察に訪れる人が非常に多かったのですが、最近になって少し様子が変わってきました。まず翠地区のシンボル翠小学校を見学した後イチゴ園でイチゴを食べ、その後石釜香房みどりでピザ焼きを体験しながら昼食を食べ、午後からシーサイド公園や人間牧場で研修をするというコースです。翠地区、シーサイド公園、人間牧場が微妙に離れているため、その殆どは人間牧場への移動ですが、翠地区からだと往復1時間ほどかかるのです。

 知人前田直子さんの紹介で昨日は松山市味酒地区民生委員協議会のご一行23人が人間牧場へやって来ました。翠地区から石釜世話役の西岡栄一さんが道案内で乗り込んでくれたため、私が迎えに行くこともなくほぼ時間通り13時40分に全員が到着してくれました。

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 例によって前田さんの紹介でもあるので、私は少し早めの午前中に人間牧場へ行き、足湯をサービスするため風呂を沸かしました。そこここを掃除したりしてお客様を迎える準備をしましたが、私のやっていることが何処か山間の小さな旅籠か民宿の親父のやっていることに似ているようで、一人苦笑しました。はたごや民宿ならいざ知らず、金にもならないお客をこうして毎回毎回心を込めてお迎えするのは、私の修行だと思ってやっているのに他ならないのです。

 昨日のお客様は民生委員で日ごろからボランティアに徹し、心も豊かな人たちばかりなので、即興で30分ばかりお話をさせてもらいました。前日までの少し荒れた天気とは打って変わった晴天に、海も空も穏やかで咲き始めた白いミカンの花の香りがあちこちに漂い始め気持ちのいい午後でした。

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 余り時間がなかったため、結局用意はしたものの足湯はする閑がなく、予定の2時半には人間牧場を後にしてシーサイド公園に向かわれました。参加者の中には顔見知りの人や、私の公園を聞いたという人もいて、「次に家族と来たい」とか、「本を譲って欲しい」とか、「今度来る時の連絡先は?」などなど、人間牧場と私の話の印象は上場のようでした。

 中にはこの施設が私設であることを知らない人もいるようでした。市民はいつの間にか研修施設といえば公だと思っているのです。ゆえに「お茶も出さない」「何で道を拡張したり駐車場を整備しないのか」といぶかるのです。人間牧場施設は自費で作った施設ゆえ、運営も自費でやらなければなりません。そのため本の販売の収益金を運営の足しにしていますが、これも中々口に出して「本を買ってください」ともいえず、相手の気持ちに任せているのです。

 今月は季節が良いためまだまだ沢山の人が人間牧場へやって来ます。忙しくなった私はそれでも誠心誠意修行のためにお客をもてなそうと思っています。


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  「雨上がり 打って替わって いい日和 ミカンの花の 匂う道行く」

  「木漏れ日の 坂道俺の 今似てる のんびりゆるり 人生楽し」

  「記念にと ウッドデッキに 腰を掛け 見上げて写す 人は入らず」

  「マイクロを 見えなくなるまで 送りたる 我は再び 坂道一人」

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〇小さなイベント「紙ヒコーキ飛ばし大会」は大成功

 4月17日だったと記憶しています。年輪塾の打ち合わせを兼ねて八幡浜市日土のあらし山山荘を大番頭米湊さんと小番頭松本さん、それに塾長の私が訪ねました。あいにく清水塾頭は弁当の買出しのために市内へ出払っていました。ご主人様が帰るまでのほんの一時間弱を私たち3人は思い思いに過ごしたり、雑談に耽っていました。松本さんが「5月の連休に何か面白いイベントを考えたい」と切り出し、元々アイデアが泉の如く出てくる3人なので、「紙ヒコーキ飛ばし大会はどうだろう」という話になりました。善は急げとばかりに松本さんは、内容やチラシの原案を作る手立てを考え、早速官憲者に連絡しました。八重桜満開の座敷で弁当を食べながら酒を飲み3時間を過ごして帰る頃にはもう既に、5月5日のこどもの日のイベント企画が資金面・協力面も含めて出来上がっていました。

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(大会の告知チラシ)

 間もなく松本さんからイベントのチラシがメールで配信されました。5月5日といえば内子町五十崎のタコ合戦の日です。同じ大空をフィールドにするイベントながら月とすっぽんの差があるミニなイベントは、好天やシーサイド公園の地の利を生かして、僅かな好き者のスタッフが集まり実施されたのです。私は当日どうしても所要で協力できませんでしたが、気になって準備をしている会場へお邪魔した程度でしたが、松本さんの話によると手応えは十分で、来年へつなげるイベントに発展させたいと意気込んでいました。

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(5月7日付の愛媛新聞朝刊地方版)

 イベントのあった明くる日は新聞が休刊日だったため、昨日の地元紙朝刊にその模様がそれなりに地方版に紹介されていました。添えられた一枚の写真はいいアングルで砂浜に向かって紙ヒコーキを飛ばす子どもの生き生きした姿が表現されていました。

 金をかけてやるイベントもすれなりの意味がありますが、金をかけずともやる気さえあれば楽しいイベントはいっぱいあるのです。松本さんたちのように自らも楽しみながら夢と希望を持って、あくまでもボランティアに徹してやれば、いいイベントは次々生まれてくるものです。

 ふと自分が若かった頃に手がけたイベントを思い出しました。この町に定着している殆どのイベントはそんな思い付きから生まれたものですが、それが時には夕日のように町の運命さえも変えるのですから世の中は分からないものです。金がない、人が理解してくれないとやらないことをやれないと言って、言い訳ばかししてる間は何も生まれてこないのです。小さなイベントをある意味成功させた彼らに大きな拍手を送ります。


  「何気ない 会話アイディア 生まれ出る やれば出来るさ 魔法のように」

  「やれないと 言い訳ばかり していても 結局前へ 進むことさえ」

  「嬉しいね 後輩たちが 次々に 独り立ちする 俺は後押し」

  「新聞の 小さな記事を 見つけたり 嬉しくなりて 切り抜き保管」

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shin-1さんの日記

〇新聞は読めば面白い

 何気なく毎朝のように手にする新聞には、中央紙・地方紙を問わず驚くほど大量の情報が掲載されています。その全てを読み解く能力も時間もないため、時には言い訳程度にペラペラ見て終わることもあれば、食事の手と口を動かしながら、好きな頁を斜め読みしたり、また自分に関係のある記事を鋏で切り取り、スクラップして大切に保管し、永久保存とばかりにスキャナーで読み取ったりして活用しているのです。

 新聞には記事以外にも付録のようなチラシが時には驚くほどついてきますが、暮らしを組み立てなければならない妻は、むしろ新聞よりも広告に目を通す時間が長くて、「あれが安い」「この店がいい」などと、家計簿を頭に描きながらチェックをしているようです。

 新聞には連載や文芸欄もあって俳句王国愛媛では毎日のように俳句・川柳・短歌が載っています。私は凡人ゆえに俳句よりどちらかというと川柳が大好きで、私の知人の作品も選者の目に留まって毎回のように紹介されています。私は食事をしながらその短い17字程度に収められた川柳を妻に読んでやりながら、時には笑い声を上げて会話の潤滑油のようにしています。

 新聞にはチラシとは別に広告欄がどの頁にも下隅を使って載っています。商業紙にとって広告欄は新聞発行の大切な資金源なのでしょうが、残念ながら私たち庶民にとっては必要情報は少ないようです。それでも一面下に載る本の紹介は役に立つことが多く、この広告を頼りに本を買い求めることは意外と多いのです。


 数日前「まっすぐな生き方」という新刊本の紹介がありました。「竜馬も信玄、エジソンも、優等生ではなかった。みんなと同じように悩んでいた。そして、ほんのちょっとの心がけの違いで、偉人になっていった。」

 主な内容

 ※三国志の諸葛孔明「約束は、一日も違えてはならない」(孔明の強さは、正直と信義を貫くことから生まれていた)

 ※坂本龍馬の志「わがなすことは、我のみぞ知る」(世間に流されず、自分で考えて突き進む)。「正義を唱えるために孤立するのは、男の本懐だ」

 ※武田信玄強さの秘密「腹が立っても、怒ったり責めたりしない」「自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ」(目に見えぬ信用や徳となって、実践した人の身に備わっていく)

 ※秀吉の軍師黒田如水「偉そうに振舞うと、皆から嫌われ、やがて国が滅びる」(天才軍師が息子に伝授した教訓)

 ※上杉鷹山の財政改革「父母の恩は山よりも高く、海よりも深い」「厄年やたたりは何の根拠もないデタラメ」(迷信に左右されない生き方を貫く)

 ※世界の発明王エジソン「人の倍努力しているから、人の倍成功して当たり前だ」(99の失敗の後に1回の成功がある)

 この新刊を買わなくてもこの本のエキスはかなり読み取れるようです。本に高い金をつぎ込んで読むのも結構ですが、この程度の情報を読み解くことも意味があると思いつつ、今日も昨日も、ひょっとしたら明日も新聞を読んでいる私なのです。

 

  「新聞は 読む気になれば 幾らでも 知恵の泉の 元になり得る」

  「知識とは 氷のようだと 言われてる 溶かして使う 術を持たねば」

  「わが妻は 新聞よりも 広告に 目が行くようで 二人すみ分け」

  「休刊を 知ってがっかり する朝は 何処かおかしい 暮らしのリズム」

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〇親父の診察

 昨日の朝隠居へ行くと親父が、「この一週間、体調が思わしくないので病院へ連れて行ってくれ」というのです。連休中も見た目には元気そうで、私の孫とサッカーボールを蹴って遊んでくれるなどしていたので、寝耳に水の話に内心驚きました。昨日は午前中人と会う約束をしていたのを無理を言って午後に回してもらい、早速7時30分に親父を乗せて県立中央病院へ向かいました。道もそんなに混んでいなかったので受付開始10分前に病院に到着しました。病院はただ今建設準備の真っ最中で、駐車場も変わっていて多少戸惑いましたが何とか駐車も出来て受付カウンターへ向かいました。

 車の中で見よう見真似で親父に問診していたのでそのことを書き込みましたが、最近はこの病院にかかっておらず初診なので受付の看護師さんに色々尋ねました。看護師さんが私の話を聞いて選んでくれたのは内科外科でした。

 受付で話したことを内科外科で再び詳しく問診され待合所で待っていると、「若松進様」とクラーク嬢に呼ばれ診察室に入りました。若い先生に「膀胱と大腸の付け根の方が膨らんで、菜園で草削りなどの作業で力を入れると痛い」「この一週間食欲はあるのに殆ど便が出ない」などの症状を訴えていました。

 選製も看護師さんも非常に丁寧で優しく、ズボンを脱いでベッドに横になり、診てもらいました。先生はコピー用紙を取り出して私に図解をして「これは脱腸です。手術をしないと直らない」と説明をしてくれました。パソコンを使いながら耳と口はこちらに向いて、「5月21日にCT検査をしましょう」と言われ、私の了解を取り付けました。私はあいにく予定表を持っていなかったのでその日は午前中も夜も予定が入っていたような気がして気が気ではありませんでした。それでも先生の都合もあるので親父の体を優先したいと思いました。


 「とりあえず、今日検査できるものは検査して帰って下さい」と心電図、レントゲン、尿検査、血液検査の順番に番号の書かれた場所をまるでスタンプラリーのように親父を金魚の糞にして巡りました。親父もこの歳になるとさすがに緊張の時間も長続きせず、最後には少し疲れた様子でした。検査を終え車に乗って何処へも立ち寄らず自宅へ帰りましたが、滅多に車に乗ることない親父はシートベルトで固定された助手席から降りてしばらくの間は放心状態、それでも午後には元気を取り戻し畑に出ていました。

 21日に検査、25日に説明を経て手術の予定が組まれるようで、何とか健康を回復して欲しいと祈っています。

  「九十の 山坂越えて なお病気 人はいつまで 闘うのだろう」

  「病気より 検査に疲れ ドッコイショ こちらも疲れ ドッコイショ」

  「病院の 廊下行き交う パジャマ族 どんな気持ちで 日々を過ごして」

  「見たような 顔が私に 会釈する さてあの人は 誰だったっけ」

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