○切手の貼ってないハガキ
「若松さん、先日はハガキをいただいてありがとうございます。ハガキを出そうと書いたのですが、投函する間もなく若松さんが来られたので手渡しすることにしました」と切手の貼っていないハガキを手渡されました。手にとって見るとSHIMANTO RIVERと書かれた横文字のハガキは沈下橋から四万十川へ勢いよく飛び込む少年の姿がイラスト風に描かれた絵葉書でした。
その二日前、高知県四万十市西土佐から、やはりThe Shimannto River 四万十川(高知県西土佐村)と書かれた沈下橋の綺麗な風景写真絵葉書が送られてきました。その写真の下には、私の笑売啖呵を意識したのか「ふんぎって やっと書いたる ハガキ見つ 三枚を書く 偉人に脱帽」と書いてありました。
この二人はいずれも西土佐に住む女性です。今回の西土佐巡りの旅で知り合った女性なのですが、既に彼女たち二人はもう13回も私に同行し私の講演を聞いたことになります。その講演の中で「知識と知恵の違い」についてどの会場でも話をします。具体的な事例として、「一日三枚のハガキを書いたら人生が楽しくなる」という言葉を信じて毎日三枚のハガキを19年間続けている私自身の実践を話すのです。その結果私は幸せになったとその効果についても述べますが、田舎のことゆえ少々エンジンのかかるのが遅いものの西土佐の凄さは、この頃になってハガキを書く人が次第に増えていることです。嬉しいことです。だから私も返事を書いて、早い人だと一週間ペースでハガキ交換をしている人まで出来ました。
田舎に住むと「俺の人生こんなもの」とスローな村のリズムに慣れてしまい、目標を見出したり努力もしないまま日々を過ごしている人が案外多いのです。シカや猿やイノシシが出たと騒いでもそこここ食い物も作っているし、年金だって少ないと文句を言ってもそれなりに入るし、別に努力しないでも生きていけるのですから、余程反社会的な行動をしない限り適当に近所つきあをしていれば村八分になることもなく暮らして人生を終えるのです。しかしそんな生き方で人生の仕上げをしないまま、また世の中のお役に立たないまま自分の人生を終わっていいのでしょうか。
私たちは自分でも気付かないほど多くの知識を体内に潜在能力として持っています。しかしそれは知っているというだけの知識にしか過ぎません。その知識を知恵に変えるには行動や実践しかないのです。無知によって生じる不幸は知ることによって避けられますが、不幸にならないためにどう行動しどう実践したのかが問われているのです。私の場合は知りえた知識を基に目標を立て、その目標を手に入れるために努力や行動や実践をします。その過程には挫折や壁や時には失敗もありますが結果的には
「夢はドリームではなくターゲットである」と確信するほどの成果をつかめたのです。
西土佐の集落を巡ってみて、私たちと同年代若しくはそれ以上の年代の、でも時代の生き方を共有してきた人々に沢山出会いましたが、残念ながら生き生きと輝いて生きてる人にはそれほど多く出合いませんでした。でもきっかけをつかもうとしている人は私の問いかけに応じ、とりあえずハガキを出す勇気ある行動と実践を選んだのです。
ハガキは面白いもので、字が下手だと思うコンプレックスを持っている間は中々出せるものではありません。でも私のように「それアラビア語?」なんてからかわれた経験のある私の字でも、相手のことを思って書けばちゃんと真心は相手に伝わるのです。私たちは字の上手いに越したことはありませんが書家である必要はありません。要は私の心を伝える道具なのですから真心さえあれば相手に意思は充分伝わるのです。
今朝西土佐に向けて3枚のハガキを書き、散歩がてら傘を差して雨の中を500メートル離れた郵便局まで投函散歩をしました。雨に濡れた赤いポストは少し寂しそうでしたが、私のハガキを口の中に入れてやるとかすかに「ポトッ」と音がして、ポストが顔を赤らめたように思いました。「急がしいいのでハガキが出せない」言う人に限って暇な人、「金がないから切手が買えない」と言う人に限って浪費人、まあいくら言ってもやらない人はやらない理由を言ってるだけですから進歩はありませんね。
「西土佐の 人は凄いぞ ハガキ書く 勇気持ちたる 人ぞ多かり」
「五十円 得したハガキ 手渡しで 思わず顔が 赤くなりそう」
「自慢する 訳でもないが 沈下橋 さりげなく来る はがきに添えて」
「雨だから 仕事もなしに のんびりと ハガキでも書く あの人想い」