shin-1さんの日記

○夕張市の激震

 市町村合併が進んだのは時の流れでしょうが、合併と同時にどの自治体も再編による合併効果が出てもよさそうなものなのに何故か「金がない」という言葉を盛んに発しています。それもそのはず適正規模とはほど遠く、職員の数は元の職員を全員解雇することもなく雇用し1+1=2になってしまったのです。勿論過渡期ですから旧市町村が抱えていた事業も地域への配慮から切り捨てることもなく1+1=2となっており、これでは誰が考えても経費削減どころかばら撒き行政のそしりをぬぐえないのは当たり前の理論なのです。

 北海道のほぼ中央、札幌市から約60キロ離れたところに旧炭産地夕張市があります。良質な石炭に恵まれエネルギー供給基地として戦時中は増産、戦後は日本の高度成長時代を支えてきました。石油の普及と安価な輸入炭に押され90年に炭鉱が閉ざされました。人口はピーク時60年の11万7千人が11パーセントの1万3千人にまで落ち込んでいます。しかし一方で夕張メロンやゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで街存在感を示し、まちづくりの成功事例として各方面で紹介されてきました。

 この街を一躍有名にしたのは90年に竹下内閣のふるさと創生一億円を活用して始まった映画祭でした。その年24を数えた夕張のヤマ(炭鉱)の最後の一つが閉山し、街は炭鉱から観光へと方向転換したのです。毎年2月の寒い頃の5日間、一面銀世界ローケーションが集まった人々の心を引き付け「映画のまち夕張」を定着させました。

 その夕張市が財政破綻したのです。普通自治体は県や国の手厚い庇護や指導を受け、毎年中期長期の財政計画を立てながらその見直し作業による自生完全科の道を歩んでいるはずなのですが、今年の6月20日自治体の倒産に当たる財政再建団体への移行を発表したのです。負債総額は聞いて驚く632億円だそうですが、単純計算すると大人も子どもも含めて1万3千人の夕張市民一人当たり4百861千円の負債というから驚きです。なんでこんなになるまで気がつかなかったのか、市長や議会、職員の職務怠慢としか言いようがなく、寝耳に水の市民の驚きと怒りは相当なものだろうと推察するのです。

 映画祭の運営は約1億円の経費がかかりますが、そのうちの7千万円が市の補助金で賄われていたことを考えれば、映画祭の末路は非をみるより明らかです。7月31日開かれた市長が運営委員長を務める運営委員会は僅か20分で中止を決定し終わったのです。「金がなくなったら止める」こんな単純な発想でイベントが消えてゆく姿を、ただ夕張の他岸の火事として見ることは出来ないのです。こんな事例は合併後の街にはニュースになるかならないかでどこにでもあることなのですが、いよいよ「金がなければ知恵を出せ、知恵がなければ汗を出せ、汗も出なけりゃ辞表出せ」になりそうです。

 市内の丘には高倉健さんが主演した「幸福の黄色いハンカチ」のセットがそのまま残って、今も黄色いハンカチがはためいているというテレビの報道が何かむなしく聞こえてきました。

 夕張市の財政破綻のニュースは日本全国に激震となって走りました。この事例が基で、財政再建団体になったら大変と益々財政の締め付けは強くなって、映画祭のような個性あるものが姿を消そうとしているのです。一方で は地域の個性をといいながら一方では地域の個性が消えてゆく、寂しい限りです。

 今年も北海道の知人から夕張メロンが届きました。半分に切ると夕張メロン独特のオレンジ色の果肉と香りがプーンと漂い、何ともいえない幸せ間に浸りながら北の台地にある夕張を思い出しました。債権団体になったからといって夕張メロンの味が変わるわけではありませんが、一日も早い財政の健全化を祈っています。

  「自治体の 財政破綻 結局は 市民にしわ寄せ 誰の責任」

  「送られし メロン食べつつ 夕張の ヤマが消えた日 思い出しては」 

  「夕張に 黄色いハンカチ はためいて そんな日の来る ことを願いつ」

  「さて俺に 宝くじなど 当たったら 映画祭費に 寄付をするのに」

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shin-1さんの日記

○スローフードという言葉とジャコ天

 昨日の愛媛新聞の一面「道標」という企画記事に「スローフード」という言葉の意味を食のジャーナリスト大本幸子さんが詳しく書いていました。

 「あなたが食いしん坊でなくっても、「スローフード」という言葉を、一度や二度は耳にしたことがおありでしょう。さてクイズです。スローフードって何?。①ゆっくり食べること。②月日や時間をかけてつくる料理や食品のこと。③郷土料理のこと。④ゆったりとした気分になれる料理のこと。答え。どれも不正解。実際のところ、日本では右のいずれかをスローフードと称する場合もありますが、スローフードってそもそもはファーストフードの脅威を覚えたイタリア人たちが考え出した伝統食回帰運動のことなんですよ。時は1986年、マクドナルドがローマのスペイン広場へ出店したしたことから、あの時代、ハンバーガーとコーラ文化が世界中の若者を魅了していたことはご存知の通り。90年にはモスクワ出店で話題を呼びましたよね。  ー中略ー  しかし、これではいかんだろう、うちの土地の生産物はどうなる、と危惧した北イタリア、ブラの町の人たちが、ファーストフード侵攻に伝統食を消されてよいのかと声を上げたところ、国内外から賛同者が続出し、世界的なスローフード運動となったわけです。

 この運動が世界に共感を得たのは、単にファーストフードは悪いと言い立てるのではなく、前向きに理念を定めたことでしょう。すなわち①現状のまま放置しておくと消滅する恐れのある伝統的な食材、料理、質のよい食品、酒を守る。②現状のまま放置しておくと消滅する怖れのある質の良い食材(農産物、酪農製品など)を、複数人で育て提供する生産者を守る。③消費者に伝統の味の教育を進める。概要としては以上。関係者でなくても、それは」大切だと思いますよね。この運動は、島村菜津さんの著書『スローフードな人生』(新潮社)などによって日本にも知られるようになりました。

 でもわれわれ日本人は横文字に弱くて、おまけにスローって言葉がとても情緒的なものだから、本来の意味を知る前に、心の琴線が震えてしまったのですね。スローって何だか素敵。間をおかず、スローライフという言葉が出現し、後は続々、スローな郷土料理、スローな酒、スローなインテリアなどなど、スローがつけば何でも売れる様相。『スローフードな旅』とは、脱都会美食会一泊旅のことでした。でもいいんです。そんなの宣伝文句なんですから。そういう表現があっても。でも、本来の意味をちゃんととらえないで、情緒だけを独り歩きさせてしまって、本家本元に仰天されるようなことになると、ちょっと困っちゃいますよ。  

   -後略ー

 同感した記事でしたが、私の町ではこのスローフードとファーストフードを組み合わせて成功した食べ物があります。それはじゃこ天です。じゃこ天は愛媛の伝統料理です。昔はまな板の上で小魚を叩き、それをカガスに入れてつなぎとすり合わせてつみれを作り油で揚げたシンプルなものです。これは多分スローフードと呼ぶに相応しい食べ物です。このじゃこ天に串を刺して歩きながら食べるというファーストフード感覚を取り入れたところ、ふたみシーサイド公園の名物食べ物になって、今や行列の出来る店となって年間5500万円を売り上げるようになったのです。スローフードに名を借りた商売やファーストフードを悪いと決め付けるのではなく、どういう折り合いをつけて現代風にアレンジするかは知恵の出しどころだと思うのです。だっていくらスローフードがよいからといっても、消費者に敬遠されるような食べ方や売り方では商売が立ち行かないのではもともこもないのですから・・・・・。

 若者の暮しと私たち古い時代の人間の暮しには大きな開きがあります。私たちはものを歩きながら食べたらお行儀が悪いと厳しく躾されました。しかし今の若者は歩きながら食べるのがファッションだし食文化なのです。歩きながら食べることは今でもいいとは思いませんが、そのことだけを大上段に振りかざしたところで、「あんたは古い」と言われるのが落ちなのです。

 世の中には流行があります。でも大本さんのいうように、スロ-フードを履き違えないようにだけはしないといけませんね。

  「串刺しの じゃこ天片手 ビールぐい 格好いいねと 言わんばじかりに」

  「スローフード ほんとの意味を 知ってるの 言いたくなるよな フレーズ乱れ」

  「イタリアに 意味の語源は あるという 知ってか知らず 誰でも口に」

  「新聞を 読んで知らない 知恵学ぶ 俺また一つ 利口なったり」

 

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