shin-1さんの日記

○あり過ぎて困るもの

 世の中には例えばお金のようにないので困ることが沢山あります。子どもだって昔は1ダースも生む人がいるなどあり過ぎて子育てに随分苦労した話を、12人も生んだ当事者である私の祖母から嫌というほど聞かされました。「そんなに辛いのだったら産まなきゃよかったのに」と、一度だけ言って叱責をかったことがありました。今は成熟社会というのでしょうか。、いろはカルタで「律義者の子沢山」なんて文句がありましたが、律義者がいなくなったのか子どもの数は日本全国平均で1.3人を割ってしまいました。ところが逆に医学の進歩とこれまた成熟社会のお陰で栄養が行き届き、昔に比べるとそんなに苦労もしないから人間がどんどん長生きするようになって高齢者の数の人口に占める割合がどんどん増えて、適切な表現ではなく大変失礼な言い方ながらあり過ぎるほどになっています。そのため支える人と支えられる人のバランスが崩れつつあり、年金問題は大きな社会問題となっているようです。

 さてあり過ぎて困るものに大漁貧乏の魚と豊作貧乏の農作物があげられます。私たちの住む双海町は第一次産業中心の町ですから、これまでの経済や産業の歴史はこの繰り返しで、随分苦労をしたようです。今年はあまぎという魚が豊漁で先日までは値崩れのような形で、小さいものは一箱五百円以下と随分安かったようです。お陰さまで漁師さんからおすそ分けが届き美味しいあまぎの料理を味わうことが出来ました。トリ貝の異常発生やハギの大漁などの度に漁師は大漁貧乏に泣かされてきました。

先日まであれ程安かったあまぎも、海況の変化か季節の変化か分りませんが品薄となり、随分高値で取引されるようになりましたが、残念ながら量が思うほど揚がらずいたし返しのようです。一方農作物はこの何年かは生産調整にもかかわらずダブつき気味で、特に露地もののみかんは今日から極早生の取入れが始まったようですが、甘くて美味しいハウスみかんの味に馴れた消費者の舌を変えるのは容易なことではないようです。

 わが家ではここに来て、夏野菜の代表格であるナスが夏の暑さを生き抜いて秋茄子として出来始め、沢山なっています。自分の家で食べれる量はタガだか知れているので、毎日のように近所へおすそ分けしているのですが、それでも食べ切れず、ゴミと一緒にゴミ袋に入れてゴミに出しているのです。「私の知恵もあり過ぎて困る」なんて戯言を言っても誰も信じてくれませんが、せめて一生に一度くらいは「お金があり過ぎて困る」なんてことに、夢でもいいからなって欲しいものです。昨日のテレビでセレブといわれる日本の女性が紹介されていました。立派なお屋敷に住んで、高級車を乗り回し、美味しいものを腹いっぱい食べてるセレブな人の姿を見て、それなりの屋敷に住んで、軽四に乗り、家庭菜園で取れたものや漁師さんからのいただき物を美味い美味いと、夕餉の膳を囲んで家族全が食べる方がよっぽど幸せだと、貧乏人らしく納得したところです。

 人生はあり過ぎるより少し足らない程度、つまり程々の貧乏が幸せなのかも知れませんね。

  「あり過ぎて 減すため努力 何だろう 体重血圧 それに見栄張り」

  「俺の知恵 あり過ぎ困る 言いたいね 老い先短か 一生ないわ」

  「あり過ぎて 財産分与で もめる家 いっそない方が 返って楽だ」

  「あり過ぎて 少々お疲れ お座敷が 人気あるのも 楽ではないな」

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shin-1さんの日記

○サツマイモ畑全滅の被害

 これまでイノシシや鹿や猿に農作物を食べられて困るというお百姓さんの話は同情はしても他人事だと思っていました。勿論里に住むわが家でもこれまでイノシシの被害には遭ってきました。しかしそれも親父の作っている作物であって、自分には他人事のようにしか思わなかった節があるようです。ところがどうでしょう。数日前人間牧場へ上がって地元の子どもたちと作付けしたサツマイモの畑に異変があることに気がつきました。緑の蔓がいっぱい茂っていた畑の所々に赤土が見えるのです。変だとは思いましたが別に大した気にもかけていませんでした。しかし昨日見ると全滅という表現がピッタリのような被害状況なのです。

 イノシシにやられるのが分かっていて植えた訳でもなく、イノシシを軽んじていた訳でもありませんが、被害を食い止めるための防護策をしなかったこちらにも非があるわけですから、この際は仕方がないと諦める以外にないのですが、それにしても収穫を楽しみにしていた子どもたちに何と説明するか思いを巡らせています。

 あのしんどい農作業を思い出すと多分子どもたちは落胆するでしょうが、子どもたちにはこの事実を正直に話そうと思っています。問題はそこからです。失敗の事実から何を学ぶかです。怒り心頭なれどイノシシの側に立って環境問題や田舎の現実をしっかりと子どもたちにアフターケアーしなければなりません。どこのどんなイノシシかこの目で見たこともないので特定できぬうらみもありますが、これまた人間の目には見えない環境の変化も話さなければなりません。また現実に農家がどんな被害に遭いどんな苦悩をもって暮らしているか話すことも重要だと考えます。

 その上において予定していた芋畑会議なるものを計画通り実行するにはどこかでサツマイモを買ってきて、買って来たことを正直に話して焼き芋と蒸かし芋にして食べたいと思っています。聞いてみると芋畑会議に必要な45人分の芋を用意するには3箱暗い必要ですから2500円の3倍で7500円の出費です。でもそれくらいは私の懐から出せるかもしれないとポケットの財布を撫でています。芋づるの費用と合わせると凄い出費ですが、自然からの学びの受講料ですから仕方がないと諦めています。

 ふとこれまで気付かなかった一本の栗の木の存在を思い出しました。梅の木の畑にある威風堂々として立っている栗は今頃どうなっているのでしょう。痛いイガを実にまとっているから大丈夫と思うのですが、イノシシはこれさえも食べるという話を農家の人から聞いたことがあるので、早速調べて見なければなりません。折角夏の暑い頃に草を刈って手入れをしたのですから、せめて栗も茹で栗にして食べたいものです。

 イノシシと私の知恵比べは知恵を出す暇もなく私の惨敗に終わりました。多分イノシシたちはイノシシを甘く見た訳ではありませんが無防備だった私を笑い転げて軽蔑していることでしょう。今年はイノシシの餌を作って自然に貢献しましたので、来年は是非イノシシとの知恵比べに勝ちたいとリベンジを誓いました。

 ここまで書いて、孫を松山の幼稚園に連れてゆくためブログを公開・保存にするためクリックして出かけました。帰ってブログの書き込み欄を開くと、旧西土佐村の和田産業課長さんからメールが届いていました。「旧西土佐村はイノシシ被害の先進地、今度来られたと時にイノシシの被害対策の知恵伝授」とありました。これはイノシシを捕獲するワナなのか、それとも私を誘い出すワナなのか?。一瞬思いました。

  「イノシシに 食べた芋味 聞いてみる 答え返らぬ はずと知りつつ」

  「東俺 西イノシシで 相撲とる 軍配西の イノシシ上がる」

  「イノシシも 生きるためだと 諦めた それでも何故か 諦めきれずに」

  「芋畑 見るも無残に 荒らされて 今頃泣きべそ 後の祭りだ」  

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