shin-1さんの日記

○庭木の消毒

 今朝方、このところの雨続きで「庭木に害虫が異常発生しているようなので防除したいから手伝ってくれないか」と親父から相談が入りまました。そういえば天気予報だと明日はまた台風がらみの雨になるかも知れないとのことなので、快くでもないのですが引き受けました。誰だって消毒は好きではないのでしょうが私も消毒は極力避けてきました。でも人間と植物が共存していくためには最低限の消毒は必要かなと思いつつ、親父に付き合ったのです。このような話を聞くと何か仰々しく感じるでしょうが、私の手伝いの内容は50メートルを2本繋いだ約100メートルの消毒用ホースを、親父の消毒に合わせてただ引っ張ったり伸ばしたりするだけなのです。

 親父は消毒用機械を作業しやすく家の隅にある小屋の中に設置して、電源コイルに差込を差すだけで動くようにしています。その横にはコンクリートの1石タンクを置き、消毒液を定められた倍率で薄めて入力と出力のホースを差し込めば、勢いよく噴霧になった消毒液が出てくるのです。今日の作業は約100メートルに渡って植えられているつつじの生垣と、畑に植えられているみかん類、松・ヤマモモ・クロガネモチ・マキ・サザンカなどの庭木類、それに早めに蒔いた大根に早くも虫がつき始めたため倍率を低くしてかけました。

 88歳になった親父は偉いです。約2時間の消毒作業を一人でこなしてしまいました。近所の人がこの光景を見たらどう思うでしょうか。多分「若松さんちのドラ息子は88歳にもなる親父に消毒をさせ、自分は後ろでホースを引っ張るだけで何もしない」と言うに違いありません。私自身さえそう思ったのですから人は思うに違いありません。

 最近は消毒の残留農薬が随分世の中を騒がすようになってきました。先日も何処かの町の生産者が出荷した大葉の残留成分が検査で引っかかってえらい騒ぎとなりました。数年前には考えられなかったような話です。わが家でも野菜類は極力農薬を使わないようにしていますが、中々いい成果は出ません。ふと八百屋に並ぶあの野菜はどのようにしてあんなに立派に出来るのだろうと考えたりするのです。「嘘」と「誠」という言葉がありますが、自分が納得して自分が消毒した野菜はどこへも文句は言えません。でも買った野菜に「無農薬の有機野菜」と表示されていて、安心だと思って買った「誠」の野菜に農薬の残留成分が出るとこれはもう明らかに「嘘」としか言いようがありません。農薬は見た目には何ら見えないものですから騙そうと思えば騙せるし、その騙して高値で売れるのでしたら人をだまして自分が儲ける立派な詐欺罪なのです。

 消毒が終わってホースや機械類を片付けやっと一段落、風もなく雨の前の穏やかな天気で消毒できたと親父は喜びを隠しきれないようでした。これで後は冬を迎える年末に防寒用のマシン油をかけて一年が終わります。庭が広く庭木も沢山植わっていて剪定や草削りという夏の作業も大変だったのだろうと、少し疲れが出てきて体の調子を崩しそうになった親父を見て、心の底で労わりの気持ちを持ちました。

 さてこれらの作業は、88歳という親父の年齢を考えるともうそこまで代変わりの時期が来ているのです。はてさて、私は親父のようにただ黙々とこれらの作業が出来るかどうか、今から深いため息が出ています。妻曰く「お父さんなら大丈夫、おじいちゃんの子供ですから」だって・・・・・。褒められたような気もするし、「あんた頑張んなさいよ」と叱咤されているようにも聞こえました。

 早くも夕方雨模様、945mbの大型台風が宮古島付近を北上しており、本土をうかがっているようです。長雨や大雨が心配です。明日は私が自治会長をしている灘町区の敬老会です。大した雨にならなければよいのですが・・・・。

  「消毒で 虫を殺すが 消毒に 強い虫たち 更にはびこる」

  「虫殺す 消毒液を 体浴び それでも長生き 親父ロボット」

  「消毒を すればてき面 蚊と蛾減る 自然を殺す 俺は罪人」

  「青ジソの 葉っぱ虫食い 太い穴 だから安全 言い聞かせ食う」

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shin-1さんの日記

○元役場職員からの電話

 私には尊敬する元役場職員がいます。多分35年間の役場職員生活の中でこれ程影響を受けた人は後にも先にもないと自分の半生を振り返るのです。その人はあえて実名をあげるなら役場の元総務課長で中嶋さんといいます。中嶋さんに始めて出会ったのは青年団頃でまだ私が漁師をしていました。当時中嶋さんは教育委員会で社会教育主事をしていましたが、双海町の自治公民館活動の基を築いた方で、学校の先生でありながら青年学級の指導をしていた福井先生や武智先生とともに、私たち青年の指導にも熱心で、田舎にありながら中嶋理論と言わしめるほど全県下にその名前は轟いていたようです。私の青年団活動への傾注は中嶋さんの紹介で、国立阿蘇青年の家で開かれた全国青年学級生研究集会へ派遣してもらったことがきっかけだったように思うので、いわば恩人の一人です。その後NHK青年の主張の県代表になった折も双海町の成人式で発表を依頼されたり、病気で転職して役場に就職したときも様々なアドバイスを受けたものでした。役場での上司と部下の関係は殆どといっていいくらいないのですが、何故か目標にしたり気になる存在として私の星であり続けたのです。わが家には何かの縁で中嶋さんから貰った山取り庭木の黒松が親父の手で大事に育てられています。この木を見るにつけ中嶋さんのことを思い出しています。

 歴史に詳しく郷土史に精通していて史談会の会長を務める元役場職員中嶋さんとは、今は史談会の会合で二月に一回程度会うのですが、一昨日の夕方私の留守中に電話がかかってきたと妻が高知から帰宅した折メモと口頭で伝えてくれました。早朝電話するとの約束どおり朝7時に電話がかかってきました。何事かと思いきや、シーサイド公園から唐崎に至る国道沿線の整備についての私観についての話でした。散歩をして見た周辺整備への感想は私と同感だったものですから延々20分も話し込んでしまいました。この周辺整備は私の強い要望もあって愛媛県伊予土木事務所が特段の配慮をしてくれた場所です。前例になると他の所へも波及要望が出るからと恐れながら当時の担当者は熱心に1キロにも及ぶ歩道整備事業を推進してくれました。

 魚の陶板を埋め込んだ石張りの歩道、階段式ドハの整備と芙蓉の花の植栽、黒松並木の植栽、東屋の建築、モニュメントの設置、常夜灯の設置、橋の欄干整備、帯ガードレールからパイプガードレールへの変更などなど、数え切れないほどの整備です。多分相当の金額になぅたのだろうと思うのですが、私たちの言い分をしっかりと受け止めて工事を完成してくれました。

 この沿線には長い石段と扇垂木で有名な三島神社があるし、遠望は町のシンボル的存在の本尊山や瀬戸内の島々が景観をなしているのです。人々は忙しくこの界隈を車で通り過ぎ、ゆったりとくつろいで談笑するのはツーリングを楽しむ人たちだけで、地元の人もその価値を知らないと中嶋さんは残念がっていました。でも中嶋さん一人でも、いや中嶋さんにこの価値に気付いてもらっただけで十分だと内心一人喜んだ次第です。

 中嶋さんは「価値が分る男」なのです。価値の分らない人に幾ら景観の価値を話しても「それがどしたん」で終わります。これこそ「猫に小判」で何の価値もないのです。私も精進して景観が分るような人間に成長したいものです。中嶋さんお電話ありがとうございました。

  「景観が 分る感性 持ちし人 少ないながら 出会い嬉しく」

  「景観を 愛でる心の ゆとり持ち 生きて行きたい 残し人生」

  「影響を 受けたであろう 人の声 響きあいつつ 長々電話」

  「早速に カメラ片手で 訪ね来し 歩いて足と目 確かめつつも」

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