shin-1さんの日記

○平和の集いに参加して

 つい最近はお寺さんとのご縁が深くなり、昨日は宇和島市の神田川原にある泰平寺で行われた平和の集いに参加しました。昨年はイルカという有名な歌い手が来ていたこともあってお寺の境内は人で埋まっていましたが、今年は琴や太鼓とやはり歌い手さんが来ていて、去年ほどではないまでも沢山の人が秋の夜長のひと時を平和について考えました。泰平寺の住職さんの鳴らす平和の鐘が夕闇迫る宇和島の空に響き渡り、ローソクのほの暗い光とあいまって何とも言えない荘厳な雰囲気が漂いました。この鐘はニューヨークにある国連本部の鐘(元宇和島市長の中川千代治さんによって寄贈された鐘)と姉妹兄弟の鐘らしく、意味の深い鐘なのです。その意味を考えれば平和を考えるにはもっともふさわしい鐘かもしれません。

 太鼓や琴の演奏、歌い手さんの澄み渡るような平和への願いを込めた歌声は参加者の心を引き付けていました。

 最後は私の1時間弱の話です。屋外のしかも観音様の石造が建っている前ですからさすがに緊張しました。しかしその緊張もものの1分で、後は日ごろのよもだ心が頭を持ち上げ例によって吉本新喜劇のような笑いを誘ってしまいました。会場には知人友人も多く来ていて、手を振って存在を知らせる人もいるほど和やかでした。

 宇和島までの往復約4時間の道すがら私は平和って何だろうと自問自答しました。愚かな戦争も世界中のあちこちで行われているし、広島や長崎の核の悲惨な体験を声の限り叫び続けても何故か拡大傾向にある中で、「平和って何」と考えなければ思い浮かばないほど私たちは豊で平和な日々を過ごしているのです。韓国のように徴兵制度もなく平和でいられる幸せは、ある意味で日本人を堕落させているとも思うのです。一年のたった一日の一瞬でも平和について考え、そのことに感謝する心を持ったら、自分の存在と不幸な人への思いやる心がどんなにか生まれるのにとも思いました。

 宇和島も不況だ過疎だといいながらも、またわが母校の宇和島水産高等学校の実習船えひめ丸の不幸な出来事も過ぎ去り、ひとまず平和です。でも自分にもたらされている平和は国や市町村や多くの人々の力によって維持されていることを考え、人のために出来る幸せを考え行動したいものです。

 特設のマイク設備がとても声の響きがよく、思わず吹いたハーモニカの音色も吹いた自分が驚くほど澄み渡った音色として響きました。今朝会長の川口律子さんにお礼の電話を入れましたが、「ハーモニカがよかった」とみんなが言いよったそうです。まあ話の内容は別として考えさせられた一夜でした。

  「平和って 問われ答えが 見つからず そうだ俺たち 平和なんだと」

  「笑い声 お寺の境内 包み込む 和芸に加え ハーモニカ吹く」

  「悩んでる 人あり今度 訪ねると まるで賢治の 雨にも負けず」

  「近頃は 強いね女性 男ども しっかりせよと ハッパかけられ」

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shin-1さんの日記

○友人からの紹介

 「若松さんお久しぶりです。その後元気ですか。ところで今私の元に、愛媛県出身のいい若者がいるんですが近いうちに会ってやってくれませんか。ちょっとその若者と電話を変わりますから」と、携帯電話をかけてきたのは山梨県清里に住む舩木上次さんからでした。舩木さんは私と同じ観光カリスマ百選に選ばれている方で、清里フィールドバレーの仕掛け人として知名度の高い著名な方なのです。東京高輪プリンスホテルで開かれた日本観光協会主催のカリスマシンポジウムで同じ壇上に上がったのがきっかけで急接近し、私が彼を紹介したり彼が私を紹介したりの出会いですっかりお友だちになっている方なのです。私の元へは舩木さんのように多くの友人から沢山の人が紹介されて送り込まれてくるのです。

 昨日やって来た彼もその一人で、松下政経塾で学ぶ第26期生の兼頭一司さんです。あらかじめ電話で約束していた通り待ち合わせ場所のシーサイド公園に着いたと9時10分前に電話が入りました。この正確さや律儀さからも彼の思いが伝わってくるようでした。先日の敬老会補助金報告者の提出打ち合わせに市役所総合支所の窓口で少し時間がかかってしまい、電話で遅れる旨の了解を取り付けたものの、結局は20分も遅れての出会いとなってしまいました。

 松下政経塾といえば、松下幸之助さんの理念で生まれた有能な政治家などを育てる名だたる塾で、の本の政治家の中にはこの塾の門をくぐり門を出た方が沢山います。時々出会う愛媛県出身の国会議員小野晋也さんもこの塾の出身で、私も少なからず影響を受けた方ですので、松下政経塾での松下幸之助さんの講話集を読むなどした覚えがあります。

 彼とは始めての出会いなのですが、第一印象は一口で言うとやる気満々の知的な青年という感じでしょうか。早速私の車に乗って人間牧場まで案内しました。水平線の家の窓を全て開け魚梁瀬杉のテーブルを挟み二人で向かい合って約2時間、激論を交わしました。彼の目に私という人間がどういう風に映ったかは定かでありませんが、彼の研修テーマであるコミュニティについて私論推論を交えながら話し、果てはコミュニティビジネスにまで及びました。最後に人間牧場を案内し山を下り、元場所シーサイド公園で別れました。彼は別れ際「できればインターンとして私の元で学びたい」と言っていましたが、多忙な私と自由な私が同居する私は、自由な私を選んで断る理由もなく引き受けてしまいました。それは彼を反面教師として彼から若い知的エネルギーを得たいと思ったからです。61歳といえば還暦です。還暦を迎えた私にはもう若い知的エネルギーなど必要ないのかもしれませんが、彼とがっぷり四つに組んで汗と知恵の相撲をとるにはそれ相当の覚悟が必要なのです。多分彼の若い、しかも松下政経塾で学んだ豊富な知識には負けるかもしれません。でも私の長年培った汗と知恵で向かい合えば、横綱の朝昇龍だって一度や二度は負けるのだから金星の一つも取れるかも知れないと思っているのです。

 最近覇気のない若者に少々幻滅していたこともあって、久々にいい若者を紹介してくれた舩木さんに感謝しながら彼との出会いを待ちたいと思い、失礼ながらブログで彼を紹介しました。多分彼が私の元に来る頃には残暑と思える暑さも峠を越して秋風の次にやって来る初冬の季節風が吹く頃でしょうが、ふた私は昔読んだ司馬遼太郎の「峠」という本に出てくる越後長岡藩の河合継之助を思い出し彼とダブらせました。人生には幾つもの峠があって彼は最初の峠道に挑んでいるようにも思えました。今越えようとしている峠を上り詰めるとまた新たな峠が待ち構えています。でもその峠の連続が人生だと思いますし、山の上下を峠という以外にも大河や大海を渡らなければ目的地へは着かないのです。でも何よりも救いは彼の心の中に羅針盤と海図を持っているのです。さあ出発だ。

  「峠道 登りのきつさ へこたれず 汗かけ知恵出せ 回り道して」

  「若さとは 心の若さ 俺だって 青春謳歌 かかってこいよ」

  「久しぶり 人間牧場 放牧す 夢食い人間 どんなに育つか」

  「イノシシの 餌植え食われ 芋無残 自然はやはり こんなもんだな」

 


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