shin-1さんの日記

○酔芙蓉の咲く頃

 双海町の町内には私が在職中特にこだわった花々が、多くの町民に守られながら今も季節の香りを漂わせながら美しく咲いています。季節は夏から秋へと変化をしつつありますが、花はどのようにして季節を感じるのか分りませんがちゃんと季節を知って咲くのです。百日紅の花が終わると双海町の海岸線には普通の芙蓉と酔芙蓉と呼ばれる2種類の花が咲きます。特にシーサイド公園の国道ドハには酔芙蓉、対岸国道ドハには芙蓉が今を盛りと咲いています。

 この花は本郷三島神社の鳥居付近に亀の森のおばちゃんたちが挿し木や播種によって増やした芙蓉です。この花にはピンクと白の2種類の花がありますが、可憐で何とも穏やかな色をして咲き道行く人の目を楽しませてくれます。シーサイド公園の対岸国道ドハは下側の写真のようなピンク一重咲き系ですが、白もピンクも清楚で綺麗です。

 実は写真を撮り忘れて、明日の朝撮りに行って載せようとしているのが酔芙蓉なのです。

この花が酔芙蓉の花です。

この花が昨日咲き終わった後、萎んだ酔芙蓉の花です。上の写真と見比べると、これが同じ花だとは誰も思いません。

 花は八重咲き系でこの花に私は勝手に「夕日花」と名前をつけました。何故かというと酔芙蓉の花は朝真っ白で、昼過ぎて夕方になると白い花が薄淡いピンクに変身し、夜には真赤になって萎むのです。その姿はまるで太陽の一日の変化を見ているようで、特に夕日を売りにしている双海としては夕日にちなんだ物語には格好の花だったのです。この花も随分馴染みの花になって私の作戦が当たったのかNHKが晩夏の季節の話題として全国中継したほどなのですから面白いものです。

 水仙、菜の花、アジサイ、桜、つつじ、つわぶきなど双海町を代表する花は多いのですが、その花一つ一つに思い出や物語が込められ懐かしさが甦ってくるのです。

 シーサイド公園付近の国道バイパスがついたとき、土木事務所からどんな植栽をしたらよいかまちづくりを担当していた私に相談がありました。私は芙蓉を植えてくれるように頼んだのですが、土木事務所も国道沿線に芙蓉を植えた経験がなく、「それは草ですか」と尋ねたほどでした。それでも私の言い分を聞いてくれ、ドハにブロック花壇を作ってくれ扶養の小道として整備をしたのです。最初は手入れをする人もなく、5年間は私の家族で手入れをしましたが、結局は太って追いつかず、役場の人に手伝ってもらったこともありましたが、今は地元の人が手伝って手入れをしてくれています。

 花は美しいのですが手入れが大変で、花作りは置くが深いなあとしみじみ思っています。

 数日前閏住では菜の花畑の草刈を地区総出で行っていました。下浜の水仙畑も野焼きの煙が上がっていました。そろそろ来春に向けて花の準備が水面下で行われているようです。

  「芙蓉花 夏の終わりを 告げるよに 一際大きく 一際綺麗に」

  「芙蓉にも 話し数々 思い出す それは草かと 言いつつ植えた」

  「鉄道の ドハは早くも 草を刈り 春花咲くを せっせと待ちぬ」

  「花も見ず スピード上げて 通り過ぎ どこへ行くのか そんなに急いで」

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shin-1さんの日記

○地元中学校の運動会

 私が子どもの頃は秋祭りの前後だったと記憶している秋季大運動会が、いつの間にか残暑厳しい九月の初旬から中旬になった様な気がします。何の意味を持ってこんなに早くなったのかは定かでありませんが、「こんな遊びみたいな運動会にうつつを抜かすより早く片付けて勉強をすることが大事」とばかりに見えるのです。みかんや稲のように早く作れば高く売れる訳でもないのに何故か早く、秋季運動会なんて代名詞は使えず極早生運動会と改名すればよいのにと思う程なのです。ですから子どもたちも残暑の中で夏休みボケして練習しているものですから身が入らず、結局はやる方も見る方も感動しない運動会になってしまっているようです。運動会が予定されていた日曜日はあいにく秋雨前線の悪戯で順延となり結局月曜日の昨日行われました。

 私は地元中学校の評議委員をしているので、教頭先生が気を使ってわざわざ案内状を届けてくれました。午前・午後・夜間とトリプル会議が予定されていましたが、せめて義理だけはと開会式だけの見学となりました。

 ご多分に漏れずこの中学校も少子化で、加えて町内2校の中学校が統合せずに残っているものですから生徒数も少なく、ご覧のような寂しさです。でも驚いたのは校長先生の開会あいさつに全員の顔と目と心が釘付け凝視されていました。この集中力は余程の訓練がないと出来ないことです。凄いと思いました。また生徒と指導した先生を褒めてあげたい心境でしたが、残念ながら校長先生のお話は出だしにもかかわらずマイクの調子が悪く、父兄のテントまでは届かなかったようで、辛口に言えば前述の夏休みボケのようでした。

 帰り際見覚えのある顔に出会いました。私が教育長在任中に産休に入っていた栄養士の先生が元気な赤ちゃんとこどもをつれて見学に来ていました。あいさつと同時に懐かしさの余りに持っていたデジカメで記念写真を撮りました。娘さんはもみじのような手でVサインをして応じてくれました。

 私はふと自分が中学校時代の運動会を思い出しました。あの当時は生徒数も多かったし、中学校の運動会は取り立てて村に娯楽のなかった頃でしたから村の一大イベントで、学校の2階は全て窓ガラス戸が外され入りきれないほどの観客が大きな声で声援を送ってくれました。花形の分団リレーやマラソンなどは拍手と声援で学校がまるで傷んだスピーカーのようでした。

 私はマラソンが得意でしたが、一年下の従兄弟に心臓の強い早いのがいていつも一番と二番を争いましたが、今考えると他愛のない競争だったと思うのです。

 何年か前、西土佐村へまちづくりの仕事で行った折、「俺はかけっこで3番より下がったことがない」と酒の肴に自慢した若者がいました。よくよく聞いてみるとその学校に彼の同級生は3人しかおらず、結局ビリでも3番と分って大笑いをした話です。その当時は小さな村の小さな話と他人事のように受け止めていましたが、わが町のも少子化の波はどんどん押し寄せ、西土佐村の笑い話が双海町の笑い話になりつつあるのです。人は何故田舎を捨てて都会へ行きたがるのでしょう。人は何故子どもを多く生まないのでしょう。人は何故無意味な競争をするのでしょう。何故の思いが募る中学校の運動会でした。

  「生徒減り 寂しい学校 運動会 雨で順延 さらに寂しく」

  「マイク出ぬ 校長声を 張り上げて 子ども生き生き それに反応」

  「手渡しの 案内届く 運動会 さすが教頭 しっかり頑張れ」

  「三等以下 ならぬと胸を 張る友は よくよく聞けば 三人で走る」

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shin-1さんの日記

○違う道筋を行く・岩間地区(20-13)

 双海町から高知県四万十市西土佐を目指す場合、双海町~大洲~鬼北~松野~西土佐というルート以外に、双海町~伊予市~川之江~須崎~西土佐という高速道路を使うルートがあります。後者は一見逆コースのような感じがしますが、時間的にはそんなに変わらないのですから高速はお金は要っても凄いもんだと思います。しかし昨日は途中の国立大洲青少年交流の家で「大人を考えるフォーラム」の実行委員会があり、思案した挙句時間が切羽詰っていたのでもう一つ別のルートを選んで走りました。それは双海町~大洲市~青少年交流の家~宇和町~歯長峠~三間町~松野町~西土佐というルートです。特に歯長峠の曲がりくねった道は私のような田舎者で狭い道に慣れていない人にはお勧めできませんが、このルートも最短距離のようで僅か1時間20分足らずで、お約束の午後6時には西土佐に到着しましたから今日の判断は正しかったとホッと胸を撫で下しました。

 この10日余り天気が不安定で雨や雷に悩まされ、特に高知県や愛媛県南予では度々大雨警報が出され、前日も江川崎では時ならぬ大雨で列車の運転を見合せたほどでした。それでも季節は秋に向かって確実に進んでおり、朝晩は苦しめた暑さからも開放されて上布団を用意するほどになりました。宇和町では道沿いに沢山のぶどう園が巨峰の即売所を設けて、道行く人の呼び込みに懸命のようでした。この雨で観光ぶどう園のお客も少ないのではないかと、他人事ながら心配しています。

 昨晩はこの仕事の元請けとなって毎回出席している雇用促進センターの石川さんたちと落ち合い、食堂で夕食をともにしながら話し合いをしました。同席した奥野さんの奥さんが似顔絵を書くらしく、私の絵を書いたと届けてくれました。多分この絵はインターネットに出ている観光カリスマ百選の紹介写真を基に書かれたようですが、特徴をつかんで書いており中々の出来栄えのようです。バックには夕日や夕焼けまで書く気配りです。

 それにしても中々いい男じゃあないですか。一緒にいた皆さんは一応に「実物より男前」と言わんばかりの心境でした。

 昨晩の会場は岩間という集会所でした。折から屋根を叩く雨足が強くなって、出鼻をくじかれた格好になったのか客の寄りは今一でしたが、それでも殆どの人がメモを取るなど熱心さでは負けないほどの迫力でしたので、こちらも思わず力が入ってしまいました。昨晩は係長さんが知らせていたのでしょか高知新聞の女性記者が同行取材していました。こうした地道な取り組みを外の目で取材して地域の人に知らしめることは大切な情報発信だと思っています。

 昨日の岩間地区で面白いものを見つけました。地域に住んでいる人の年齢毎の名簿が一覧表のような形で張り出されているのです。最近は個人情報保護とかで名簿の取り扱いに何やかやと言う人が多いようですが、こうして公民館に張り出されると、「あそこのじいちゃんは近頃見んが元気なんじゃろうか」とか、あのじいちゃんはもう96歳か。相変わらず元気で畑仕事をしよる」とか、いつも集落に住む人の話題が出てくるのです。防災組織も大事ですが、過疎の地域でこうした近況の確認が出来ることはとても大切なことだと思いました。

 昨晩は会議が始まるまでイノシシの話で盛り上がりました。せっかく実りを迎えつつあるサツマイモが昨夜被害にあったそうです。ニンジンも根こそぎやられたとお手上げの状態のようで、何か妙案はないものかと互いの知恵を確認しながら話していました。「田舎は過疎で人がいない分、「寂しいからとイノシシや猿や鹿が慰めに来てくれる」という言葉が印象的でした。

 入口に早くから陣取っている人から久しぶりと声を掛けられました。そういえば見覚えのあると記憶を辿ると、カヌー館横の東屋で開いていた男の料理教室で出会った方でした。たった一回の出会いなのにもう10年来のような親しさです。「田舎はいいね」としみじみ思いました。山里にも早い秋が忍び寄って、道端の草むらからは賑やかな虫の声が聞こえていました。「今日はええ話しじゃった。若者にもこんな話は聞かせたい」と戸口を出る背中の向こうでおじさんが皆に向かって話していました。この地区でも計画されている道の駅のことについては関心がおありのようで、質問が出されました。

 午前・午後の会議をこなして、ダブルヘッターならぬトリプルヘッターをこなし、少々お疲れモードでしたが、少し心にブレーキをかけながら夜道を125キロ再び引き返しました。

  「普通とは 違う道行く 土佐参り カーナビ相手に 独り言いう」

  「イノシシが おらの畑の 作物を 何か妙案 ないか尋ねる」

  「やあ元気 いきなり声を かける人 見れば見覚え 田舎はいいね」

  「熱心に メモ取り聞き入る 村の人 学ぶ意欲が ビンビン伝わる」


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