shin-1さんの日記

○伯耆町に招かれて

 日野川に沿って車で国道を走ると川の向こうの丘の上に大きな鬼の像が座ってこちらを見ています。「えっ、あれは何?」と最初目にした時は驚いたものでした。その像がある町は鳥取県溝口町で、鬼伝説をテーマにまちづくりを進めた町なのです。島根県境港のゲゲゲの鬼太郎とは県こそ違え鳥取と島根の県境に位置する場所なので、この地方ではよくよく鬼が好きな地域なのかと思うのも無理からぬことです。溝口町では駅や地域の小さなバス停など主だったものは全て漫画チックな鬼の形で彩られていますが、鬼ミュージアムの上に座る鬼の像は5億円もかけた本格的なブロンズ像で、車や列車で通過しながら見る度に一度は近くで見てみたいと思っていましたが、その念願かなって伯耆町での講演会に招かれたので鬼のいる丘へ登ってみました。

 鳥取花回廊に通じる道を登ると丘の上にはなだらかな広場があり旧溝口町の市街が一望できる場所に鬼様はでんと座っていました。

 それにしても大きく、それにしてもいい場所に据えたものです。今だったら考えても財政緊縮で出来ない時代ですが、作った時代はこうした遊び心が町を活性化させていたのです。合併した隣の岸本町には写真家の記念館があったり、それぞれの町がそれぞれの思いで様々な公共施設を作っているようで、その中には赤字経営の施設もあり、指定管理者制度の導入によって乗り切ろうとしているようですが、さて上手く行くかどうか心配です。

 旧友である大下室長の案内で夕闇迫る大山の麓の牧場へ夕日を見学に出かけました。牧場は5時閉店とかで、私たちが訪ねた時には蛍の光の曲が流れていました。微妙な置かれたベンチには若いカップルや若者が沢山いて夕暮れ時の風景を楽しんでいましたが、さあこれからという夕日の時刻に閉店とは何と勿体無いと思ったのは私一人ではないと思いました。

 ご覧下さいこのシルエット、何ともいえない風景です。

 ご覧下さい。夕映えに生える美しい伯耆大山の山を、この後大山が夕日に映えて赤大山となったのを、乗せてもらった車の後ろの窓から眺めることが出来ました。小雨に煙る大山、雨上がりの大山、夕映えの中の大山、そして昨日の朝5時にホテルを出た直後、朝ぼらけの中に月とともに見えた大山など、今回の旅では全ての大山を堪能したのでした。

 さて、その日の夕方7時から始まった講演会は会場は町長さんも出席されるなどほぼ満席、そして時間通りきっかり7時に会は始まりました。わざわざ大阪から帰郷して駆けつけてくれたNPO法人日本列島夕日と朝日の郷づくり協会の事務局長藤岡さん親子、江府町町議会議員の田中さんや井上企画財政課長さん、それの亡くなった宇田川さんの奥さんなど、多くの知人友人が駆けつけてくれ、旧交を温めることが出来ました。

 友人でアイモクの井上さんが「人は人によりて人となる」というように、私にとってはこうした市町村や県境を越えた交流によって培った仲間が沢山いることを今更ながらに実感した旅でした。今年中にまだ山陰路へは4回も来なければなりません。磨きをかけてしっかりパワーアップした話をしたいものです。それにしてもよく集まりました。満席立ち見ありです。

  「若松さん お久しぶりねと 握手され あなた誰?では 格好がつかぬ」

  「さあ聞いて 二時間熱弁 淀みなく よくも喋るね 自分に感心」

  「笑う人 うなずく人に 口合わせ 俺の体験 身振り手振りで」

  「俺ならば 夕映え大山 見て思う 夕日をカネに 儲ける手立て」



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shin-1さんの日記

○優美な山伯耆大山

 松山から特急しおかぜに乗って瀬戸大橋を渡り、岡山で特急やぐもに乗り換え、中国山地の幾つもの橋を越えトンネルを抜け、急に視界が開け始めると進行方向の後ろに伯耆大山の美しい山が窓越しに見えてきます。乗客は一応に窓辺に集まりその姿を心ゆくまで堪能するのです。島根地方や鳥取地方の町や村へ何度も足を運んでいる私にっては、見慣れた光景ですが伯耆大山、別名伯耆富士と呼ばれるこの山には何故か心引かれ、いずれ近いうちに必ず登ってやろうと思っているのですが、残念ながらその夢は未だ果せていません。それでも特急やぐもに乗り込むと何故か伯耆大山の見える側の席に陣取ってこの山の見えるのを持っているのです。

 今回の伯耆町(溝口町と岸本町が合併してできた町)への旅は明くる日の日程が積んでいることもあって、自家用車での旅となりました。松山道・高松道・瀬戸大橋・米子道と高速道路を乗り継いでひた走ると約5時間弱で目的地溝口のインターチェンジへ着きますが、途中蒜山高原などのサービスエリアでゆっくり目の休憩をとって約束の時間前の2時に到着し、当てもなく散策しようと決めていましたら、溝口のインターチェンジで、それまで小雨模様だった伯耆大山の雲が一気に晴れてその全容が見えてきたので、伯耆大山のふもとにある大山寺へ参拝することを思いつきました。何年か前登った大山寺までのダラダラ坂を登ると遠望では見えなかった深い樹海の中に入って伯耆町と大山町の境界を越え、大山寺が大山町にあることを知らせる大きな看板を横目に参道入口に到着、車を止めて長い参道をゆっくりと歩きました。標高が高いこともあって大山はもうすっかり秋の気配が漂い、一昨日の台風の名残かあちこちに小枝や葉っぱが散乱し、それを片付ける背負い掃除機の鈍いエンジン音が参道に響いていました。

 参道は訪れる人もまばらで、参道の両側にある土産物屋も旅館も流行る様子もなく往時を偲ばせていました。

 参道の奥まったところに山門があり、「檀家を持たない寺ゆえ300円の入場料」と書かれた看板に習って入場料を払いお参りを済ませ、石畳の続く奥の院へ向かいました。

 道端に可愛いお地蔵さんを見つけました。秋の木漏れ日がまるでスポットライトのようにお地蔵さんを照らし、雨露に濡れた赤装束のお姿は何とも神々しく見えました。

 苔むし、それでいて雨に濡れている石畳は何とも歩きにくく、余程足元に集中しないと滑るので飛び石を渡るように表面の平坦な杉木立の石道を15分も歩いたでしょうか、奥の院の参道を経て本堂へ到着しました。本堂は神社のようで中には金箔を貼りつめた立派な八角神輿が展示され、宮司が熱心に説明をしていましたが参詣の人もまばらで空耳のようでした。

 お参りを済ませた後再び同じ道を引き返し、ふもとにある物産交流センターで店員のお姉さんと特産品談義に花を咲かせました。鳥取は20世紀梨の山地だけあってこの季節はどこへ行っても梨が多く出回っています。最近は特産品センターや直売所のような店、道の駅などが各地に相次いでオープンし、どこに行っても見慣れた光景で、そこの色が出せないで閉店する店や商品が売れず苦戦が続いているようです。道の駅に深く関わった過去があるだけに他人事では済まされない気持ちでお話しましたが、売る気迫や物語が少ないような気がしました。

  「伯耆富士 ご本家山より こじんまり 一度は登って 見たいものだな」

  「参道の 店も旅籠も シャッターが かつての賑わい 今は何処に」

  「木漏れ日を 受けてお地蔵 あったかそう 思わず微笑む 仏と私」

  「この道に 何千年の 祈りあり 石段磨れて 少し傾き」 

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