shin-1さんの日記

○ウナギの蒲焼

 写真はその時その場所があるとシャッターチャンスの必要性を思ったのはこの2枚の写真です。逗留した旅館の二階から見える雨上がりの風景が余りにも綺麗だったのでカメラに収めたのですが、明くる日の旅立ちが早く暗闇だったため、よくぞ撮っていたとしみじみ思いました。旅館の手入れの行き届いた庭は一幅の絵になる風景でしたし、赤い橋のかかるダム湖もまた捨てがたい風景です。いつか近いうちに妻にもこの風景を見せてやりたいものです。 

 高知県馬路村魚梁瀬の旅館を早朝4時30分に起床、身支度を整えそっと旅館を抜け出し、見覚えのある曲がりくねった道を引き返して約束の場所へ着いたのは5時15分でした。間もなく朝の早いことを自慢する木下君が手に抱えきれないほどの荷物を持って現れました。雑種愛犬チロも一緒のお見送りです。昨日見せてもらったウナギもしっかり氷水に入れてガムテープで水か漏れないにしているのです。木下君はわざわざホカホカのお結びを二個包んで持ってきてくれました。

 私は木下君と同じで朝が早く、毎日朝4時には起床をします。ですから朝の早いのは苦にならないのですが、今朝は8時過ぎにどうしても地元で片付けなければならない所要があって朝早い旅立ちとなったのです。木材運搬に向かう大型トラックが時折急なカーブから突然出てくる安田川沿いの道を注意しながら下って海岸国道を右折し、南国までの道程はそんなにかかりませんでした。南国から高速に乗って約束の8時30分に無事わが家に到着です。少し飛ばし過ぎたと自戒しながら迎えに出た妻にお土産を手渡しながら、楽しかった昨夜の事や、世話になった木下家のことを話して素早く身支度を整え次の行動です。

 夕方生協の理事長さんたちを見送って家へ帰ると妻は留守、「そうだ俺がウナギをさばいてやる」と思ったまでは良かったのですが、それからは悪戦苦闘の連続でした。私も魚料理は妻が褒めてくれるほどに上手です。あまり上手だといつも妻に使われますのでやらないことにしているのですが、包丁を研ぎ軍手をはめて調理に取り掛かりました。氷水の中では死んだように静かにしていたウナギが調理し始めるとこれは大変といわんばかりに荒れ狂いもがくのです。千枚通しを打ち込むのすら嫌がるウナギをしっかりと手で押さえて自分としてはまあまあな5本のウナギをさばきました。特に一番大きなウナギは立派なもので腕首ほどもある肉厚の厚いもので、用意したボールに一杯になりました。

 ウチワを使ってバタバタと七輪で火をおこし、網をかけて焼きました。ウナギを焼くコツはアナゴと一緒で皮目から焼かないと反りくり返りますので、アナゴ焼きの要領で焼いて行きました。最初は全てのアナゴを白焼きにしないとタレで焦げてしまうのでその要領で串を打つこともなく白焼き完了、戻ってきた妻が秘伝のタレを作ってさあ仕上げです。七輪の火を少し弱めてタレをつけて付け焼きにするのです。香ばしい匂いが当たり一面に立ち込めそれはもうお腹がグーグーです。私は料理人の特権とばかりに一口食べちゃいました。さばきだて、焼きだての天然ウナギは何ともいえない美味しさで思わず口がとろけるほどでした。妻はこのウナギのためにアサリの味噌汁を造り、肝吸いは次の機会にと冷蔵庫にしまうしたたかさでしたが、炊きだちのご飯に乗せるうな丼はお代わりまで「やっぱり天然のウナギは上手い」と褒めあい、このウナギを捕獲した木下君のことなどすっかり忘れて賞味しました。「これを機会に木下君とは末長いお付き合いをしたいもんだ」といったら妻に叱られました。

 私の町は海沿いにあって漁師町です。ですから魚はそれ程珍しくありませんし、川魚は独特の臭みがあって家族もそんなに喜びませんがウナギは別で美味しいですね。天然ウナギが年々減少している昨今、もう腹が黄色い天然ウナギも幻の魚になってしまうのではないかと心配されています。ウナギは淡水魚ながら海で生まれることは皆さんもご存知だし、その産卵場や生態も最近の研究で分ってきましたが、実は海にもウナギはいるのです。私が子どもの頃は港に餌をつけた釣り針を仕掛けておくと、アナゴに混じって時折ウナギが釣れました。海の人間ですからウナギは全部逃がしたり石に叩きつけて遊んだことを思い出しました。今思うと反対でウナギこそ大事にすべきだったと反省をしています。

 時ならぬわが家のおご馳走に、久しぶりに夕餉の前が楽しくなった昨晩の夕食でした。木下さんありがとう。

  「天然の ウナギさばいて 炭火焼き 何とも贅沢 つまみ喰いする」

  「匂い立つ 我が家はウナギ 隣から 羨ましいと 言ってるだろな」

  「包丁を 研いでウナギに メス入れる まるで実験 腹から針が」

  「気がつくと ウナギは捨てる ところなし 肝も骨まで 料理に使う」


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shin-1さんの日記

○一億円の魚梁瀬杉御殿で

 今回の講演会会場はダムで水没して集団移転した魚梁瀬地区の真ん中にあって、森林鉄道の鉄路も記念に残されている場所に建つ象徴的な建物でした。ご存知竹下首相のふるさと創生資金一億円を活用して馬路村では魚梁瀬杉をふんだんに使った建物を建てたそうです。村の迎賓館とも思われるこの施設はさすが自慢の魚梁瀬杉材らしく、筋の通った贅沢な造りで思わずうなってしまいましたが、立派過ぎて地元では持て余し気味のようにも思われました。家は大事にし過ぎて使わないとかえって傷みます。しっかりと活用して人が新しい空気を家の中に吹き込まないと中の空気が淀んでしまうものです。

 講演会は田舎の時間にしては少し早いのではないかと思われる夕方6時から始まりました。しかしそんな心配を他所に学校の校長先生や診療所の医師先生も来るなど賑やかで、東谷組合長、顔見知りの組合職員、デザイナー、馬路村温泉支配人、木下さんの沖縄から嫁いで来ている奥さんなどの下から上がってきてそれは賑やかな顔ぶれとなりました。「まるで吉本の話を聞くようで久しぶりに楽しい話でした」と、講演が終了した折お世辞を言って闇に消えた人もいましたが、殆どの人が残って横の食堂で交流会が行われました。会費2千円だというのに洒落た料理が並び、高知弁丸出しの酒盛りは多いに盛り上がり、東谷組合長らの乱入もあっていつの間にか「この村をどうする」という地域づくりの方向に向かっていました。印象的に残ったのはNHKのテレビで大雨の旅に「高知県魚梁瀬では○○mmの雨が・・・・・」と宣伝してくれている雨をテーマにむらおこしをしてはどうかという、土木建設会社の社長さんの話でした。水を売る水商売も面白いと、早速自慢の美味しい水を私のテーブルに運んでくれるなど余念のない努力です。毎日降った雨を細長いアクア水槽に一年間溜めて百年分展示するのも一つの方法だし、雨は唄、雨は水、雨は天気、雨は笠、雨は映画、雨は恋などなど面白いとアイディアが次々披露されました。

 人間牧場水平線の家に魚梁瀬杉のテーブルがあるので「私の家には150年の年輪を刻んだ魚梁瀬杉のテーブルを置いていて、来た人に魚梁瀬杉の話をいつもしています」と得意げに言ったところ、その社長さんが「150年生の杉は魚梁瀬杉とはいい難い。少なくとも200年はこえていなくては」と口喧嘩を吹っかけてきました。この話も大いに盛り上がり結局は「自分の車庫倉庫に眠っている切り株をあんたにあげるから」とついつい口を滑らせてしまいました。社長さんは今頃酒に酔った失言に気が付いて悔やんでいることでしょうが、私は素面でしたし硬い握手をして確認したことですのでよろしくお願いします。これも酔った勢いでしょうか、東谷組合長が「その魚梁瀬杉はわしが車で運んでやる」と啖呵を切って、「さすが組合長、太っ腹」と皆の拍手喝さいとなりました。やったぞ、本物の魚梁瀬杉のテーブルが手に入りそうです。社長さんの奥さんはとても美人で社長の目を盗んで私とツーショットの写真まで撮りました。

 この人が噂の社長さんです。何でも徳島出身だとか。奥さんの顔に惚れて高知県入りしたのでしょうか。

 この人が美人の奥さんです。何でもこんな華奢なのにユズ畑5反を耕して昨年は13トンもユズを収穫した東谷組合長自慢のユズ農家だそうです。嬉し恥ずかし若松君。体が凍っているようではありませんか。しかし上の2枚の写真ともさすが夫婦です。偶然にも二人とも同じようなVサインをしているではありませんか。

 はいこの人が私の親愛なる友人で、私と同格の観光カリスマ百選です。めxxxxっっぽう酒が好きで、酒が強い高知賢人のモデルのような方です。でもこの方が年間20億を越えてごっくん馬路村を全国に売っているのですから驚いた傑物です。

 結局はお酒を行って気も飲まなかった私の一人勝ちとなった交流会でした。行司を務めた木下君も酒に酔っていましたのでどうなるか分りませんが、魚梁瀬杉の切り株の届く日を一日千秋の思いで待っています。あっそれから「足にするのも付けてやる」と社長さんはいってました。木下君お忘れなく。

  「魚梁瀬杉 濡らしてシトシト 戸糠雨 迎賓館に 想い集いて」

  「口車 乗った相手が 悪かった 杉の切り株 約束どおり」

  「人恋し 魚梁瀬の夜は 賑やかに 話し弾んで 夢の数々」

  「忙しき 身を押し会場 来てくれる 律儀な人の 心に感謝」  

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