shin-1さんの日記

○父親はいいな

 このところ娘の体調が思わしくなく孫と一緒に実家であるわが家へ帰って静養していますが、そのためわが家は完全に娘と孫に乗っ取られてしまい、私たち家族の生活は二の次で二人中心に地球が回っているような錯覚さえ覚えるのです。朝起きるのも私より少し遅いものの孫が一番です。起きるなり早起きして書斎で本を読んだりパソコンを打ったりしている私を「おじいちゃんは何処へ行ったの」と探して私の元へやって来ます。仕方がないのでその手を休めて話し相手になります。やがて妻が起きると妻と連れ立って台所へ行き食事の準備を要求するのです。サンドイッチを作ったり卵を焼いたりとメニューの要求はそんなに多くはないもののちゃんと作るよう指示します。やがて「じいいちゃんご飯よ」と私を呼びに来てみんなの食事が始まるのです。その間トイレへ行ったり、顔を洗ったり、着替えをしたりと幼稚園へ行く準備で大忙しです。8時になると私か次男が車に乗せて松山の幼稚園へ車で連れて行きます。片道25キロ、朝のラッシュ時間帯なので約1時間弱かかります。私も何やかにやと忙しいのですが仕事をしている妻には余り迷惑をかけれないので、結局は自由人である私の手間を取られる羽目になります。

 2時になると幼稚園まで迎えに行くため家を出ます。3時の迎えですが幼稚園に着くと孫は嬉しそうに私に手を振って玄関まで荷物を持って出てきます。その後は幼稚園を出て車のチャイルドシートで5分も経たないうちに午睡となって家まで約50分は夢の世界なのです。

 やがて我が家に着くとおもちゃ遊びや戸外での散歩です。「何故、どうして」と探究心旺盛な反抗期なのでいつも質問攻めで困ってしまいますが、仕事から帰った妻が夕食を作り比較的早い夕食を済ませます。孫は食欲旺盛で幼児にしては何でも食べる優良児です。キャベツもピーマンも嫌がらず食べるし、あの酸っぱい梅干しや納豆だって大好きで、特に梅干しの入ったおにぎりは大好物のようです。

 只今は私がシーサイドの売店で今春買ってやった小さな恐竜セットが大のお気に入りで、暇さえあればこの恐竜を相手に遊んでいます。難しいステゴサウルスやティラノサウルスという舌を噛みそうな名前も覚えて、時には恐竜ごっこをします。勿論自分は変身するウルトラマンで、私は怪獣役なのです。いつの間にか恐竜と怪獣が混同しているようです。

 8時過ぎると「男同士」を口癖のように言う孫と私はお風呂に入ります。頭を洗うのも私流に工夫をしているので嫌がらず、鼻歌交じりで湯船に入ります。その後はシャボン玉を楽しんだりアヒルのおもちゃを湯船に浮かせて遊びます。「ばあちゃん出たよ」でバスタオルが用意され、パジャマを着て歯を磨いたりお茶を飲んだりお休み前の雑事に追われて床に就き、妻の読む本を見聞きしながら夢の世界へと入って行くのです。

 まあこんな具合に忙しい一日があっという間に終わってしまうのです。私などはその合間を縫ってブログを書いたり調べものをするのですから、忙しいの何のってありゃしません。これほどわがままな減らず口の一つも叩くこんな孫で、まるで蚊かハエのような感じがしますが、いざ帰るとまるで灯が消えたような寂しさを感じるのです。じじ馬鹿、ババ馬鹿ぶりを遺憾なく発揮している私たち夫婦なのです。娘の体調はお産初期のことゆえ、落ち着いたらまた帰って行くのでしょうが、まあこのまま忙しい日々を、来年の5月の予定まで、いやお産後の産休まで続くものと考えられますがじっくり見てやろうと心に決めています。

 昨夜遅く父親が出張先の大阪から帰って来ました。父親は眠っている間に帰って来ることを納得させていたのですが、今朝3時に突然起きて「お父さんと寝る」と言って二階へ連れて行くようせがみ、再び軽い寝息です。今日は孫の運動会らしく、私は広島へ出張しますのであいにく見ることが出来ません。やはり孫にとって母親も大事ですが父親の存在も大きいようです。

  「孫一人 加えて娘 里帰り わが家は占領 されてるように」

  「父親と 寝るんだ僕は ぐずる孫 午前三時の 小さな騒動」

  「じいちゃんが 一番好きと 言っていた あちらの部屋では ばあちゃん一番」

  「孫一緒 男同士で 風呂に入る わが子以上に 手をかけ育て」


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shin-1さんの日記

○あり過ぎて困るもの

 世の中には例えばお金のようにないので困ることが沢山あります。子どもだって昔は1ダースも生む人がいるなどあり過ぎて子育てに随分苦労した話を、12人も生んだ当事者である私の祖母から嫌というほど聞かされました。「そんなに辛いのだったら産まなきゃよかったのに」と、一度だけ言って叱責をかったことがありました。今は成熟社会というのでしょうか。、いろはカルタで「律義者の子沢山」なんて文句がありましたが、律義者がいなくなったのか子どもの数は日本全国平均で1.3人を割ってしまいました。ところが逆に医学の進歩とこれまた成熟社会のお陰で栄養が行き届き、昔に比べるとそんなに苦労もしないから人間がどんどん長生きするようになって高齢者の数の人口に占める割合がどんどん増えて、適切な表現ではなく大変失礼な言い方ながらあり過ぎるほどになっています。そのため支える人と支えられる人のバランスが崩れつつあり、年金問題は大きな社会問題となっているようです。

 さてあり過ぎて困るものに大漁貧乏の魚と豊作貧乏の農作物があげられます。私たちの住む双海町は第一次産業中心の町ですから、これまでの経済や産業の歴史はこの繰り返しで、随分苦労をしたようです。今年はあまぎという魚が豊漁で先日までは値崩れのような形で、小さいものは一箱五百円以下と随分安かったようです。お陰さまで漁師さんからおすそ分けが届き美味しいあまぎの料理を味わうことが出来ました。トリ貝の異常発生やハギの大漁などの度に漁師は大漁貧乏に泣かされてきました。

先日まであれ程安かったあまぎも、海況の変化か季節の変化か分りませんが品薄となり、随分高値で取引されるようになりましたが、残念ながら量が思うほど揚がらずいたし返しのようです。一方農作物はこの何年かは生産調整にもかかわらずダブつき気味で、特に露地もののみかんは今日から極早生の取入れが始まったようですが、甘くて美味しいハウスみかんの味に馴れた消費者の舌を変えるのは容易なことではないようです。

 わが家ではここに来て、夏野菜の代表格であるナスが夏の暑さを生き抜いて秋茄子として出来始め、沢山なっています。自分の家で食べれる量はタガだか知れているので、毎日のように近所へおすそ分けしているのですが、それでも食べ切れず、ゴミと一緒にゴミ袋に入れてゴミに出しているのです。「私の知恵もあり過ぎて困る」なんて戯言を言っても誰も信じてくれませんが、せめて一生に一度くらいは「お金があり過ぎて困る」なんてことに、夢でもいいからなって欲しいものです。昨日のテレビでセレブといわれる日本の女性が紹介されていました。立派なお屋敷に住んで、高級車を乗り回し、美味しいものを腹いっぱい食べてるセレブな人の姿を見て、それなりの屋敷に住んで、軽四に乗り、家庭菜園で取れたものや漁師さんからのいただき物を美味い美味いと、夕餉の膳を囲んで家族全が食べる方がよっぽど幸せだと、貧乏人らしく納得したところです。

 人生はあり過ぎるより少し足らない程度、つまり程々の貧乏が幸せなのかも知れませんね。

  「あり過ぎて 減すため努力 何だろう 体重血圧 それに見栄張り」

  「俺の知恵 あり過ぎ困る 言いたいね 老い先短か 一生ないわ」

  「あり過ぎて 財産分与で もめる家 いっそない方が 返って楽だ」

  「あり過ぎて 少々お疲れ お座敷が 人気あるのも 楽ではないな」

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shin-1さんの日記

○サツマイモ畑全滅の被害

 これまでイノシシや鹿や猿に農作物を食べられて困るというお百姓さんの話は同情はしても他人事だと思っていました。勿論里に住むわが家でもこれまでイノシシの被害には遭ってきました。しかしそれも親父の作っている作物であって、自分には他人事のようにしか思わなかった節があるようです。ところがどうでしょう。数日前人間牧場へ上がって地元の子どもたちと作付けしたサツマイモの畑に異変があることに気がつきました。緑の蔓がいっぱい茂っていた畑の所々に赤土が見えるのです。変だとは思いましたが別に大した気にもかけていませんでした。しかし昨日見ると全滅という表現がピッタリのような被害状況なのです。

 イノシシにやられるのが分かっていて植えた訳でもなく、イノシシを軽んじていた訳でもありませんが、被害を食い止めるための防護策をしなかったこちらにも非があるわけですから、この際は仕方がないと諦める以外にないのですが、それにしても収穫を楽しみにしていた子どもたちに何と説明するか思いを巡らせています。

 あのしんどい農作業を思い出すと多分子どもたちは落胆するでしょうが、子どもたちにはこの事実を正直に話そうと思っています。問題はそこからです。失敗の事実から何を学ぶかです。怒り心頭なれどイノシシの側に立って環境問題や田舎の現実をしっかりと子どもたちにアフターケアーしなければなりません。どこのどんなイノシシかこの目で見たこともないので特定できぬうらみもありますが、これまた人間の目には見えない環境の変化も話さなければなりません。また現実に農家がどんな被害に遭いどんな苦悩をもって暮らしているか話すことも重要だと考えます。

 その上において予定していた芋畑会議なるものを計画通り実行するにはどこかでサツマイモを買ってきて、買って来たことを正直に話して焼き芋と蒸かし芋にして食べたいと思っています。聞いてみると芋畑会議に必要な45人分の芋を用意するには3箱暗い必要ですから2500円の3倍で7500円の出費です。でもそれくらいは私の懐から出せるかもしれないとポケットの財布を撫でています。芋づるの費用と合わせると凄い出費ですが、自然からの学びの受講料ですから仕方がないと諦めています。

 ふとこれまで気付かなかった一本の栗の木の存在を思い出しました。梅の木の畑にある威風堂々として立っている栗は今頃どうなっているのでしょう。痛いイガを実にまとっているから大丈夫と思うのですが、イノシシはこれさえも食べるという話を農家の人から聞いたことがあるので、早速調べて見なければなりません。折角夏の暑い頃に草を刈って手入れをしたのですから、せめて栗も茹で栗にして食べたいものです。

 イノシシと私の知恵比べは知恵を出す暇もなく私の惨敗に終わりました。多分イノシシたちはイノシシを甘く見た訳ではありませんが無防備だった私を笑い転げて軽蔑していることでしょう。今年はイノシシの餌を作って自然に貢献しましたので、来年は是非イノシシとの知恵比べに勝ちたいとリベンジを誓いました。

 ここまで書いて、孫を松山の幼稚園に連れてゆくためブログを公開・保存にするためクリックして出かけました。帰ってブログの書き込み欄を開くと、旧西土佐村の和田産業課長さんからメールが届いていました。「旧西土佐村はイノシシ被害の先進地、今度来られたと時にイノシシの被害対策の知恵伝授」とありました。これはイノシシを捕獲するワナなのか、それとも私を誘い出すワナなのか?。一瞬思いました。

  「イノシシに 食べた芋味 聞いてみる 答え返らぬ はずと知りつつ」

  「東俺 西イノシシで 相撲とる 軍配西の イノシシ上がる」

  「イノシシも 生きるためだと 諦めた それでも何故か 諦めきれずに」

  「芋畑 見るも無残に 荒らされて 今頃泣きべそ 後の祭りだ」  

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shin-1さんの日記

○あっ、夕日が穴の中に入った

 恋人岬の突端にある穴の中にすっぽり夕日が入る写真は、このモニュメントが完成した時記念に撮影しましたが、それ以来多忙と忘却でその時期を逸していました。夕方の急な思いつきで昨日そのモニュメントに入る劇的な夕日を写真に収めることが出来ました。残念ながら孫同伴だったので行動範囲が制限される中、美しい夕日に助けられてまずまず作品が出来ました。それにしても地元カメラ愛好家の清田さんや金本さんのカメラを見ましたが、ウン10万円もする凄いカメラを持っていて、私は恥かしいようなカメラで少し控え目な撮影となりました。それでもこのカメラは私が教育長に就任するため役場を退職する時、職場の友人がプレゼントしてくれた大切なカメラですから、大事に使わなければならないと、この一年は私の相棒として大活躍なのです。

 私の一番好きなS字形の構図です。後ろの突堤と砂浜、それに恋人岬の突端が織りなすS形は絵に書いたような何ともいえない姿をしています。夕日がまだ高い位置にあるのでモニュメントの近くに寄らなければこの写真は撮影できません。夕日の光が四方に飛び散って穴が光姿は神々しいものです。

 これは二つの夕日というタイトルでもつければいいのかも知れません。モニュメントの穴が一つ、モニュメントの両端につけた突起の中に夕日を入れて撮影するとまるで二つ夕日が並んでいるような錯覚に陥ります。秋分を過ぎた頃にはこの夕日が見えるように考えたアイディアですが、まだそのような作品を見たことはありません。右の突起は春分の過ぎた頃を意識して作っています。

 上の句(夕焼け小焼けの赤トンボと下の句(負われてみたのはいつの日か)が合った場所から見た夕景です。僅か1週間程度の差ですがもう夕日はこんなに西に寄っています。それにしてもサーモンピンクの夕景は何ともいえない美しい光景ですね。向こうのウッドデッキやウッドベンチには沢山の若いカップルが陣取り、携帯電話のカメラで盛んにフラッシュをたいていました。

 恋人岬付け根で写真撮影している人も沢山いました。多分このアングルで海に尾を引く残照を狙っているのでしょう。

 やがて夕日がモニュメントの穴の中にすっぽり入りました。

 今日の撮影のとっておきの作品は「テーブルの上に置いた宝物」とでも言うべきこの一枚です。

 この一枚がラストシーン、あっという間に水平線の彼方に沈んで行きましたが、いやあ今日は堪能しました。カメラの扱いも少し慣れてきたのか、まあこのカメラではこんなものかと思えるような夕日の天体ショーでした。

  「夕日見る 自分の作った シナリオに うっとりしつつ カメラに収めて」

  「この夕日 何処にでもある ものなれど ここしか見れない オンリーワンだ」

  「この夕日 オンリーワンだ ワンダフル 誰に見せても 恥かしないよ」

  「俺の腕 こんなもんだと 失望し 時には自信 取り返しつつも」 

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shin-1さんの日記

○みんな見てね・人間牧場が来週日曜日「もぎたてテレビ」に登場します

 昨日は忙しい一日でした。南海放送の大西さんから「もぎたてテレビ」という超人気番組の取材依頼が入っていたからです。朝食を済ませ8時までに人間牧場まで行き、掃除機をかけたり風呂を沸かしたりの準備をしました。特に風呂はいつも長男が沸かしてくれるので、私にとっては始めてのことなのです。五右衛門風呂のお釜を綺麗に洗い風呂の下栓を締めて灯油ボイラーのスイッチを入れ、温水を貯めるのですが中古とはいいながら調子よくあっという間に風呂が沸きました。本当は下の焚き口から薪で沸かせばいいのですがこの度ははそんな暇がないのです。風呂の沸く間に軒下やそこら辺のくもの巣を長い箒で取り去りました。外壁にキツツキが開けた穴はこの日のために息子が大工さんに依頼してとりあえずの応急修理を上手く終えていてホッとしました。大工さんに依頼した息子もその出来具合が気になるらしく携帯がかかってきました。湯加減を確かめさあ急いで下山です。大西さんとの約束は10時に下灘コミュニティセンター前の駐車場ということだったのです。

 今回の案内役であるアナウンサーは私の大好きな野志さんです。彼とはそんなに出会っているわけでもないのに、毎週テレビに出るものですから、毎週あっているような不思議な錯覚です。でも番組で何度か知り合い、何度か取材の車を見つけてお互いに手を振った間柄ですので呼吸もピッタリ、早速ピンマイクをつけて取材開始です。私の小さな車に野志アナウンサーが同乗し、その後ろを取材の車が追いながらカーブの多い山道を登って行きました。特に急な山道を降りる最後の難関は「大丈夫ですか」と野志さんが笑うほどの狭さですから、幾ら「もぎたてテレビ」で山間僻地の取材は慣れていても驚いたに違いありません。

 「取材は自然体」、いつも私が心がけてきたことです。新聞や雑誌、それにテレビなどに格好よく取り繕ってもそれは読んだり視聴する人には直ぐに分ることなのです。大西さんや野志さんも私のその辺は百も承知で、適当にカメラを回し、適当に求めに応じて取材は続きました。

 今回の取材の目玉はロケ風呂に野志アナウンサーが入るシーンです。その姿は10月8日までのお楽しみなので多くは語りませんが、いやあ驚きました。雪のように白い野志アナウンサーの白豚姿はこれは本邦初公開、特に女性の野志ファンにとっては必見のシーンなのです。取材の合間、野志さんと人生について話し合いました。取るに足らない四方山話でしたが、華やかなマスコミの世界を生きるアナウンサーの努力と苦悩を垣間見る思いがしました。野志さんの魅力は人を包み込むような包容力だし、野志さんと話していると心の窓が全部開くような気持ちになりました。人間牧場という訳の分らぬ私の妄想的発想も野志さんはちゃんと理解し、それを私との掛け合いの中で視聴者に分り易く説明しようとしているように感じられました。スタジオでの永江アナウンサーの鋭い突っ込みも魅力です。

 やがて2時間の収録は全て終わり、手を振りながら人間牧場を去って行きました。いい番組に仕上がるといいですね。ブログを見ている皆さんにお願いです。「もぎたてテレビ」は視聴率が命です。出来るだけ多くの人に声をかけて見てください。私はこれまでNHKの全国放送「人間マップ」でさえ、その放送を見てくれなんて誰にも言ったことがないのです。でも役所を離れて1年半も経った世捨て人の戯言と思い切ってブログに「予告」を出しました。

 アナログからデジタルへ、テレビの世界もいよいよ大きく変化しようとしています。大きな変革を望まない人たちはテレビを買うのに困ると、巷ではデジタルの可能性も考えずうそぶいているようです。しかし一方で進化する情報に振り回されて自分を見失っているようにも思えます。テレビ写りが悪く(本当な写りが悪いのではなく本物が悪いのです)ラジオ向きの私としてはテレビは今でも苦手です。でもまあいいか。それなりに写っていることを期待しています。大西さん。

 山を下りよったら近所のお百姓さんが「何しよるん」、私「今日はもぎたてテレビの取材があって」、お百姓さん「ほう、こんな田舎の何を取材に来たんぞな」、私「人間牧場です」、お百姓さん「人間牧場って何ぞな」、私「今日は急ぎますので詳しいことは今度、まあ10月8日のもぎたててれびを見てくださいや」、お百姓さん「役場に言うて有線放送でも流してもろたら、みんな見るのになあ」、私「そりゃあ出来んので、あんただけでも見てくださいや」、お百姓さん「おう、見る見る9月8日やな」、私「違う違う、9月8日はもう過ぎた、10月8日ですよ、忘れんように」、お百姓さん「分った分った」てな調子です。

  「見上げます 野志アナウンサー 大きいね 俺もスターだ この日限りは」

  「もぎたての お元気ですか 永江アナ 野志に熨斗つけ 近況報告」

  「うわっ見てよ 減量したって 言うけれど 風呂釜満杯 白豚茹でる」

  「取材中 寝椅子にもたれ 昼寝する 姿何とも お疲れモード」 


 

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shin-1さんの日記

○孫を連れて夕日を見に行く

 「今時の子どもたちは夕日を見ない」と北条出身の作家早坂曉さんが、「四国にビタミン」というテレビに競演したとき控え室でしみじみ話していたのを思い出しました。私も同感で夕日の見える時間に子どもたちは、塾に通ったり家でテレビゲームに興じたりしてそんな暇がないのだといわれています。でもたとえそれが本当だとしても、夕日を毎日見なさいという訳でもないのですから、たまには親が夕日の沈む時間に子どもを海岸へでも連れ出して、親子で夕日を見ながら会話をしたらよいのにとしみじみ思うのです。多分親の言い分は「そんな時間はない」とか「夕日を見て腹が太る訳でもなし、一銭の得にもならないようなことhあしない」とせいぜい言われるのが落ちなのです。

 娘の体調がこのところ思わしくなく実家であるわが家に帰っているため何かと孫の世話をやっていますが、今日は松山の幼稚園へ連れて行く当番が次男で、お迎えが私という役順だったため3時に迎えに行きました。運動会が今週末にあるのでその練習で疲れるのか、孫は車に乗ると直ぐにチャイルドシートでウトウトし始めます。片道40分の間すやすや眠り、帰ると母親に抱きつきます。寂しいのか少しぐずるので、思い切って夕日を見に行かないか誘ってみました。孫は「単車に乗りたい」と精気をよみがえらせて言うのですが、もう戸外の風は少し冷たく感じられますので娘の車に乗せて、10分ほどの人間牧場へ連れて行きました。

 本当は「もぎたてテレビの取材でロケ風呂のボイラースイッチを入れたまま忘れていたため、切りに行かねばならなかったのです。5時過ぎの人間牧場は快晴ながら山の端に太陽が傾き、緑陰では薄暗ささえ感じるほど夕闇が迫っていました。それでも水平線の家の前のウッドデッキには夕焼けの光が孫の姿を映し出し、長い人影が尾を引いていました。

 孫はテレビの影響かはたまた幼稚園の仲間の影響か、このところ写真を撮ると必ずといっていいくらい変身ポーズをとるのです。何とも奇妙な写真です。スイッチを切り再び戸締りをして帰宅の途につきましたが、途中念願のふたみシーサイド公園の夕日を写真に収めるべく立ち寄りました。今日は天気もよく夕焼けショーが期待できそうなので、急いで孫をおんぶして恋人岬の見える場所まで行き、早速撮影開始です。孫はその意味がまだ分らず、靴を車の中に忘れたため、素足で走り始めました。

 私はそれを無視して写真を撮り続けましたが、孫はかまってくれない寂しさか、「おジーちゃん、おじいちゃーん」と大きな声で周囲をはばかることなく叫ぶのです。その都度位置と安全を確認しながら周辺のカメラスポットに移動してはシャッターを押し続けたのです。

 私の狙っていた夕景は秋分の日前後にしか見ることの出来ない、恋人岬のモニュメントの穴の中に入る夕日です。かつて私が
構想した施設なのでその景観的価値とシャッタースポットは心得ているため、沢山のカメラの方列の前を迷惑のかからないように移動しながら撮影しました。

 撮影の都度孫に夕日が綺麗と指を差して見るよう促すのですが、孫にとっては遊びの方が重要で、石張りの上を歩いたり石席の上によじ登ったりと活発に動いていました。やがて西の彼方に夕日が沈んだので再び孫をおんぶしてシーサイドの駐車場まで歩きました。運良く町のミュージックサイレンから「赤とんぼ」の曲が流れてきました。孫と二人で夕闇迫る道を大きな声で歌いました。夕食の終わったその夜は「男同士」なんて言葉を口にする孫と二人で風呂に入り、歌を歌ったり夕日の話をしました。孫にとっても夕日のことが思い出されるのか、風呂上りに今日撮った夕日の写真や孫の写真をパソコン画面で見せるようせがむのです。

 写真はまあまあ綺麗に撮れていました。孫は満足そうに「綺麗やね」と相槌を打ちながら見ていました。孫の記憶に夕日はまだ残像として残るとは思いませんが、それでも束の間だけでもじいちゃんと美しい夕日を見たことはマイナスにはならないでしょう。むしろこれからも折につけ夕日を見せてやりたいものです。

  「大声で 二人で歌う 童謡に 若いカップル 思わず拍手」

  「この夕日 二度と見えぬと 思うから しみじみ眺め 写真収めて」

  「孫背負い 孫の指差す 海辺り 長い尾を引き 夕日が沈む」

  「ミュージック サイレン郷愁 かき立てる 一日の終わり 静かに暮れる」


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shin-1さんの日記

○私の手配書

 私が講演などに呼ばれる場合、どの自治体や団体でもそれぞれの主催者が参加者を募る手段として講演会用のパンフレットを製作して、来てもらいたい人たちへ配るのです。パソコンの普及で工夫さえすれば、「えっ、これ手づくり」と見まがう程の出来栄えのチラシが印刷され、放送や広報に頼った昔を懐かしく思い出すのです。参加者はそのチラシを見て行くか行かないかを決めるのですから私にとってはまるで手配書のようなもので、その町に着くと公共施設のあちこちにやたらと手配書が貼られているのを見て顔が赤くなったりすることもしばしばです。先日も伯耆町へ行って受付で担当者を呼んで欲しい旨を告げたところ、その手配書のお陰で「あっ、あなたは今日講演される若松さんですね」何て言われ、面食らってしまいました。

 昨日は「愛workの委託事業を手掛けたキャップの安藤さんが作ったチラシによって集会が持たれました。早期退職やニート、フリーターといった社会風潮が大きな社会問題となっている中で、若い人が活き活きと働けるにはどうすればいいか、私を講師にして「汗と知恵のひとづくり」という算段なのです。

 イラストも入り中々よく出来たチラシでした。事前にインターネットで送られて来たチラシの原案をチェックするよう依頼する念の入れようで、さすが人材育成セミナーを手掛けるプロは違うなあと感心しつつも、話す内容については詳しく吟味もせず出かけたものですから少々慌てましたが、1時間30分の講義はまあそれなりに話せたようで、終了後の意見交換も鋭い質問が出ました。

 これは先日高知県馬路村魚梁瀬地区で開かれた講演会のチラシで、馬路村役場の山猿こと木下君が作った逸品です。私と南海放送の小原アナウンサーが写っているハイビジョンテレビ出演の時の写真を、インターネットのブログから転写して使ったものですから、地元の人は勘違いして「美女と野獣が一緒にやって来るもの」と勘違いして、野獣たる私だけの出演に少々ガッカリしていました。でもアイディアは素晴らしいですね。

 これはつい最近行った先程受け付けの話の伯耆町作成のチラシです。役場という行政が作っただけあって真面目で無駄のないもので、何時、何処で、何を、どのように、誰がなんて、まるで5W1Hといわれる広報伝達のモデルのようなチラシです。写真はやはりインターネットからの転写でしょうか白黒でした。

 これは高知県須崎市の教育委員会が作成した生涯学習・まちづくりフォーラムのチラシです。前の3枚はA4でしたがこれはA3to一回り大きく、ポスター兼用のようでした。2月14日の私と3月7日の福留先生が一緒の載ってリレーフォーラムの様子が一目で分ります。まあざっと手元にあるものをかいつまんで紹介しましたが、それぞれのチラシにそれぞれの工夫と味が感じられるようです。

 講演会は人の数だけではない私は思います。たとえ沢山集まっても居眠り集団では何の役にも立ちません。少なくてもその人たちが真剣に話を聞いて生かそうとする熱意が見えればそれはもう大成功なのです。でも主催者はやはり一人でも多くの人を集めようと努力してくれます。「いい人を沢山集める」これが究極の戦略で、チラシはその戦術です。そのチラシを作った人の想いと努力に報いるためにも馬力をかけてお手伝いをしたいものだと思っています。

  「手配書に 書かれた内容 写真見て 面映ゆなって トイレでポーズ」

  「この頃は 手づくりチラシ いいながら 色々知恵だし 一目につくよに」

  「写真より 男前だと 褒められて 美辞と麗句も ほどほどしなきゃあ」

  「入場は 無料と書かれた チラシ見て 無料な値打ちか 勘違いする」 

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shin-1さんの日記

○集会所が使えない西土佐・・地区(20-?)

 「若松さんですか。実は今日予定していた集会が、地区内に不幸があって集会所が使えなし、地区の人の殆どが関係者で、出席もままならないので今日の集会は延期したいと思うのですが」と早朝を待って電話が架かってきました。「そりゃあ仕方がありません」と電話を切りました。そのようなことで昨日は予定もなく、締め切りの過ぎかけた原稿書きを思い立って、頭に鉢巻の出で立ちで集中して原稿を書くつもりでした。午前中は何とか集中できたのですが、午後からは講演依頼の電話やメールがたくさん入ってきて、日程を時刻表で調べたりインターネットで検索したりとおおわらわの一日となりました。それでもどうにか原稿用紙30枚の短編が出来上がり、メールで送ってホッとしました。

 田舎はこうした突発的な出来事が時々あることはよく承知をしています。特に集会所といわれるものは田舎にとって冠婚葬祭の重要な場所で、私の町のある集落などは葬式まで集会所でやる場所もあるのです。そんな場合いくら重要な会議を前もってセットしても、住民の生死に関わる重要事項として最優先されるのです。それにしても20回を予定して始めた集会でしたが15回の前回までは不思議にそんな機会にも出会わずスムースに日程を消化してきたものです。

 最近は葬祭も都会に葬祭ホールのようなものが沢山出来て、病院で死ぬと遺体は家へ帰らずそのまま葬祭センターへ直行し、そこで通夜と葬式、それに49日の法要まで済ませるまるでエスカレータにでも乗っているような葬祭のやり方が一般化してきました。毎日見る新聞のお悔やみ欄に目をやるとそれは一目瞭然で「葬儀は自宅」なんて書かれていると、「ほう、珍しい」と思える程の変貌ぶりなのです。「せめて住み慣れた家で通夜を」とか、「せめて地元の知人友人の列席できる葬式を」なんて思わないのでしょうか。確かに家でやると煩わしいし、金さえ出せば簡単に何でも滞りなくやってくれる葬祭ホールは便利この上ないものなのですが、何か割り切れないものも感じるのです。多分葬祭ホールのない私たちの地域のような所では、葬祭ホールが隣の町で遠いため慣れ親しんだ知人友人でありながら行けないお年寄りたちは沢山いるのです。勿論葬式を出す家の配慮で送迎のバスが出るのですが、それでもおっくうで中々出席できないと言っているようです。

 田舎の暮らしも知らず知らずのうちに随分変わってきました。四万十市といっても最近まで村だった西土佐は私たちの町から比べると田舎らしさがまだまだ残っており、それらの数々は文化的価値が高くなんとか残したいと思うのは私ひとりではないと思うのですが、多分時代の流れに逆行することも、それを残す想いを持った人も少なく、多分数年のうちには消えてゆく運命を持っています。でも何とか民俗学的にも残しておきたいものです。

 先日写真で見た権谷地区の施餓鬼の伝統的行事や、玖木地区の藁草履つくり技術も魅力あるものなのです。鮎やウナギや川海老、カニは美味珍味と喜んで食べますが、それらを捕獲する川魚漁師の伝統的漁法はスポットが当たらなし、マタギの狩猟技術も消えてなくなりそうです。

  「集会所 今日は葬式 使えない 電話一報 田舎らしいね」

  「病院へ 入院嫌がる 高齢者 家へ帰らず 葬祭直行」

  「訪ね来し 田舎の部落 オシメ干す 家は少なく 陽だまりおばん」

  「道祖神 見まがうほどの じじばばが 道端日向 何やら話す」

 

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shin-1さんの日記

○やっぱり日本一の夕日は違う

 私は日本一夕日の好きな男を自認していますが、その夕日の似合う男が何故か「朝日新聞」によく取り上げられるのです。まるでジョークのようですが、これまでどれほどの朝日新聞に紹介されてことでしょう。スクラップブックには地元紙ゆえに圧倒的に多い愛媛新聞に混じって朝日新聞の記事が並んでいるのです。

 先日も夕やけこやけラインの取材依頼がありました。その紙面を飾る夕日の写真を下灘駅で撮りたいとの申し出があって、四万十市での仕事がキャンセルとなったので、早速その日に約束して取材と相成りました。

 夕日は中々私の一存で思い通りに見せてはくれません。これまでにもどれ程の人を取材のために案内したことでしょう。その度に「ああ残念」と思う人は何人もいました。しかし強運の人はたった一回の取材で素敵な写真や映像を撮って帰る人だっているのです。「まあ秋の頃だから多分」という期待感と、「夕日が見れないのは俺の責任ではない」という開き直りの気持ちで出かけましたが、今日は「ウーン、やっぱり日本一の夕日は違うな」と自画自賛するような夕日でした。

 この頃になると夕日は随分西に寄って、私の友人大分県佐賀関の渡邊又計さんが引き寄せようとしているのか大分寄りになっています。下灘駅は夕やけコンサートの舞台ともなる絶好の夕日見学スポットなのですが、無人駅の散閑とした風情がなお一層夕日の美しさを引き立たせてくれるのです。これまで3回も青春18キップのキャンペーンポスターに登場しているだけあるなあと思いつつ、取材の合間を縫ってカメラに収めました。

 同じようなアングルでもプラットホームの屋根付き待合所を入れるとまた違った趣の写真となるし、そこに二人の恋人を座らせシルエットで表現すると物語風になるのです。

 朝日新聞の記者さんは、取材の意図が違うのか私を下灘駅というプラットホーム看板の横に立たせ、「はい、こちらを向いて」など、まるでモデル並みの注文です。自然体でも十分カメラに耐えれる顔なのですが、今日の主役は「夕日」なのですから、わがまま言わず言われるがままにポーズをとりました」。はてどんな紙面となるのでしょう。

 水平線の上に何やら怪しげな雲の帯です。「ああ今日も駄目か」と思った矢先、その雲が薄くて細くて、雲の下から再び綺麗な夕日が覗き始めたのです。私は若い女性記者さんとツーヨットで夕日を堪能しました。多分その女性記者は、相手がもっと若かったらと舌打ちしたに違いありません。

 その後真赤な空が日没後サーモンピンクに染まり、「あー何て私は幸せなんだろう」と思いました。再び「これぞ日本一の夕日」と確信したのでした。何度見ても下灘駅から見る夕日は素晴らしく、また私のフィルムフォルダーに新しい夕日の写真が保存されたのです。

 「双海の夕日を一度見てみたい」と思われる私の知人友人たちに申し上げます。私のような下手糞な写真より、あなたのその目で本物の天体ショーをご覧下さい。きっとご満悦になること請け合いです。今は一年中で最も夕日の綺麗に見える頃です。是非一度双海町へお越しください。ご案内いたします。

  「この夕日 俺が自慢の 日本一 感動するよ 今が旬です」

  「諦めて 再び覗く 夕日見る 何か得した そんな気持ちに」

  「沈み行く 西の空見て 友思う あそこら辺に 住みし人あり」

  「姫島が 茜の空に シルエット 遠くかすんで ここにあるよと」

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shin-1さんの日記

○悲しきハズ虫の行列

 昨日は朝日新聞の取材で下灘駅へ夕日の写真を撮りに行きました。少しの時間家の草引きでもしようと始めたまではよかったのですが草引きに夢中になって約束をすっかり忘れてしまいました。5時15分にポケットの携帯電話が鳴りハッと気付いて取るものもとりあえず午後5時30分と下灘駅を目指して一目散に車を走らせました。下灘駅界隈はこのところの北東の季節風のせいでしょうかすっかり秋も深まり、長袖のシャツを着ていても吹く風で少し肌寒さを感じました。

 朝日新聞の記者さんと二人でプラットホームのベンチに座り遠望をを楽しんでいると、下のレールの上で何やら小さな虫がうごめいているのです。よく見るとオレンジ色と黒色の縞模様をした尺取虫です。田舎者の私ですから、「あっこれはハズ虫だ」と見慣れた顔に驚きもしなかったのですが、見渡すと何と何とレールの上を無数のハズ虫が伸びたり縮んだりしながら大移動をしているではありませんか。

 私は列車の接近を確認してから線路に下りて観察しました。いるいるいるいる。その数は数え切れない無数です。ある虫は上りの上灘駅に、ある虫は下りの串駅に向かって大移動をしているのです。私はとっさに「危ない」と思いました。だって間もなく上りの列車が来るのですから。えっ、はい、それは勿論私自身も危ないので「よいしょ」と掛け声をかけてプラットホームへ駆け上りましたが、このハズ虫たちは列車の車に引かれてしまうと思ったのです。

 やがてローカルの駅らしく2両編成のジーゼルカーがエンジンの音も賑やかに区内に入ってきました。車両の下のレールを見ると無残にも先程まで生命を保っていたハズ虫は青い液体を出して交通事故にあっていました。ハズ虫を駆除する人間の側の主張だと、農薬もかけずに駆除できるのですから一石二鳥でなく一事故うん万虫で片付けられる喜びなのでしょうが、虫たちにとっては大変な災難なのです。私はふと金子みすゞの「浜は鰯の大漁だ」という詩を思い出しました。まさにハズ虫の世界では大量虐殺なのです。

 運転をしている運転手さんも運行している車掌さんも、勿論乗り合わせた乗客の皆さんもそのことにはまったく気付かず、列車は何事も無いように汽笛を鳴らして発車しカーブの向こうに消えてゆきました。このハズ虫がどのような成虫になるのか知る由もありませんが、秋風が吹き始めるこの頃になると決まったように発生するのです。ハズは雑草の一種で地下茎が強く幾ら除草剤で駆除しても次から次へ繁殖してカズラとともにお百姓さんを悩ませていますが、この葉っぱを常食にしてハズ虫は生きています。ハズの葉に止まって葉っぱを食べる様は凄い食欲で、一晩のうちにあたり一面茎だけになることもあります。体を音を立てて震わせる様は異様にさえ思えるのです。秋風が柔らかいハズの葉っぱを枯らし始めるとハズ虫たちは何処へ行くのか自然に私たちの目の前から姿を消すのです。

 レールの上をお行儀よく並んで歩くハズ虫の生態はよく分らないものの、ハズ虫はまるで真赤に染まった夕日に向かって大行進しているようにも思われました。一回の歩は僅か1センチか2センチですが、見ているあっという間に背中を丸めては伸ばすユーモラスな姿で1メートルも移動しました。「ウーンこれは季節の話題だな」と新聞記者さんに伝えましたが、私と同じように列車の去った線路に下りて写真に収めていましたが、果たして記事になるかどうか・・・。

 世の中にはハズ虫の大行進のように私たちの知らない世界がいっぱいあるようです。しかしそんなことに疑問を持っても何の得にもならないし金儲けにもつながらないから、私たちはそれを見て見ぬふりをして見過ごしてしまうのです。カメラを持つとこんな疑問が次から次に発見されて「何故」「どうして」と深みに入ってゆくのです。

  「ハズ虫が 線路の上を 黙々と 列車に引かれる 悲しさ知らず」

  「ハズ虫を 無視して列車 行きにけり 残った死骸 青く悲しく」

  「夕焼けに 鈍い光を 放つ道 極楽浄土と 思いつ進む」

  「この姿 金子みすゞの 詩と同じ 今宵ハズ虫 弔いしてる」

 


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