shin-1さんの日記

○彼岸花の咲く頃 

 季節は移り彼岸花の咲くしのぎよい頃になってきました。この花は別名マンジュシャゲとも呼ばれていますが、その色合いが真赤でド派手なことから好き嫌いの好みも分かれています。わが町では敬老の日頃から咲き始め10月の終わりには姿を消す意外と夏季の短い花のようです。

 わが家の周辺は夏の終わりを告げる草刈を10日前に草刈機で刈り取ったのですが、その後に綺麗な彼岸花が四つ咲き始めているのをミョウガを取りに行って発見しました。その見事さに惚れ込み早速デジカメを取りに帰って撮影しにチャレンジしました。

 ご覧下さい。この彼岸花の美しさを。カメラの技術もさることながら自然が生んだ最高の傑作といっても過言でないほどの出来栄えです。上の花は満開ですが下の花はまだ7分咲きといったところでしょう。花を観察しながらもう一枚花を真上から撮って見ましたがこれまた夏の夜大空高く舞い上がる花火に似て絵に書いたような美しさなのです。最近は珍しい黄色い彼岸花もあちらこちらで見るようになりましたが、彼岸花はやはり燃えるような赤が一番と私は思っています。

 彼岸花は田んぼのあぜ道などに群生して真っ赤なジュータンを敷き詰めたようになっている姿をよく見かけますが、こうして一、二輪咲く姿も清楚でいいのではないでしょうか。この2枚の写真を見て俺の腕もまんざらではないと指で鼻の下をこすりわが妻に自慢たらしく者損を見せてやりました。妻曰く「私は彼岸花は毒花と聞いているので昔から余り好きじゃあない」と冷めた反応です。辺りを見渡すと葛の花やススキの穂、それに瑞々しいばかりの露草の青い花がこれまた印象的に咲いていました。しかしこの写真を見てがっくり、小さな写真だから目立たないのですが花は完全にピンボケしています。焦点が露草の葉っぱに当たっているようで、妻から「これボケてるよ」と指摘を受けて、「私はやっぱり腕が悪い」と先程の鼻をへし折られた感じがしました。

 やっと夏の喧騒からも夏の忙しさからも開放され、野の花を楽しむ気分になれました。といっても、明日はまた鳥取県へ出かけなければなりません。でも夏の疲れも出ず、今のところ体調もいいので、せいぜい虫の声や野の花を楽しみたいと思っています。

  「彼岸花 裏の畑で 見つけたり しゃがんでしみじみ 自然の神秘」

  「露草を 一輪摘んで 活けにけり 部屋に生気が 満ちて清しい」

  「台風の 風にもめげず 破れ傘 凛と咲き立ち 季節演出」

  「野の花に 心動かす 余裕出来 秋ゆっくりと わが家に来たり」  

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shin-1さんの日記

○小学校の運動会

 台風13号の接近で昨日の午後は暴風雨波浪警報が出るなど、西日本では雨交じりの突風が吹き荒れ各地に大きな被害をもたらしましたが、昨日の午前中は何とか天気が持って地元小学校の運動会がヒヤイヒヤながら行われました。機を見て敏なろとはこのことを言うのでしょうか。他市町村では早々と延期を決めたというのに、無謀とも思える決断が好結果を生んで開会を早めたりしながらの運営で暑くもなくいい運動会が出来たようです。

 評議員としてご案内をいただきましたので孫を連れて運動会の見学に行きました。やはり小学校の運動会は華やいで、万国旗が運動場一杯に張り巡らされ、とてもいいふんいきでした。私の見学した由並小学校は児童数が減ったといいながら100人以上を維持しているため、まあそこそこの規模ですから、親子のゲームもとても楽しそうでした。

 小学校の運動会はご多分に漏れずビデオカメラの数も相当なもので、低学年などは競技中ながらカメラにVサインをする子どももいて何ともほほえましい姿があちこちに見えました。

 水疱瘡で昨夜は眠れない夜を過ごした孫はまだ早い時間だというのに見学もそこそこで眠そうで、記念に一枚と撮った写真も何となく元気がなく早々に引き上げてきました。

 帰ると中二宮金次郎さんの銅像が気になって、お得意の『何故、どうして」と盛んに私に質問してくるのです。知ってることを色々話してやりましたが、背中に何を乗せてるか、本はどうして読んでるかなど、3歳の子どもらしい質問ですが私にとっては難問でそれ相当な物語になってしまいました。

 さて皆さん二宮金次郎が何の本を読んでるかご存知でしょうか。実は意外と知らない人が多いのです。二宮金次郎の銅像は中国の古書大学という本の一説を読んでいるのです。このことは旅の途中に大阪の古本屋で見つけた大学の中身にについて、詳しく書いたので割愛しますが、三歳の孫の「何の本を読んでるの」という質問には参ってしまいました。

 帰り際学校の直ぐ下にあるシーサイド公園の池で、顔なじみの所長さんから鯉の餌を貰い池の鯉に餌をやりました。鯉は凄まじい勢いで餌に群がり孫の餌をめがけてまるで押し競饅頭のような勢いで迫ってきました。

 この3~4日、水疱瘡の孫は幼稚園にも行けず、昼間は両親の仕事の都合でわが家へ預けられたままです。私にそのお守り役が舞い込んで思わぬ仕事が増えました。お陰さまでこの週末は少し疲れ気味です。水疱瘡といっても体は元気ですから動くのなんのって、いやあ孫の守りは体力が要りますねえ。今日はやっと自宅へ帰るようなので今晩は枕を高くしてゆっくりと休めそうです。

  「おじいちゃん 金次郎さんは 何の本 読んでいるかと 難し質問」

  「校庭に 万国旗風 はためいて 長閑な秋の 一日楽しむ」

  「カメラ据え まるでスターの 運動会 教育熱心 いつまで続くか」

  「コンビニで 買った弁当 広げ食う どうして手づくり しないか不思議」 


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shin-1さんの日記

○台風の威力

 裏山の崖が家まで迫っているわが家では長雨や台風の度に心配で眠れる夜を過ごすのですが、昨晩も大型台風の接近で暴風波浪警報が出たため家の周りの見回りをして台風に備えました。幸いというより不幸にして私たちの地方では大した被害がなかったものの九州地方では9人もの人がなくなったり土石流が発生したり、宮崎県では突風で列車が横倒しになるなど、各地に大きな被害をもたらしました。台風の進行方向に向かって左を通ると危ないといわれるほどに左側を通って、長崎県佐世保に上陸した台風は玄界灘~日本海を通って、行く手を高気圧に遮られながらも北海道を覗っているようです。

 明日は講演のため鳥取県へ行く計画なので、気をもんで台風の行方や速度を気にしていましたが、どうやらこの分だと大丈夫のようなので安心して出かけられそうです。

 しかし台風はどうしてあんなに大きな力を貯えているのか、台風の来る度に人間の科学でさえも説明できないような不思議を感じるのです。アメリカのハリケーンもそうですが、今は気象衛星のお陰で台風の動きを逐一上空から監視して予報を出せるまでになりました。しかしその予防は幼稚でいわば台風をやっつけるような決定的対策は残念ながらまだありません。台風が発生するのは熱帯の海ですから、発生した場所で台風を壊すような方法はないものかと浅はかな知恵で思うのは私一人ではないと思うのです。もしそんなことが可能ならばノーベル賞ものでしょうね。

 台風で思い出すのは私が18歳の時、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へマグロを追って帰る途中の出来事でした。冬としては珍しい980ミリバールの低気圧の洗礼を受けマグロを腹いっぱい抱えていた愛媛丸は何日もその時化に翻弄され、伊豆半島沖の海で木の葉のようになすすべもなく漂い続けました。船を風上に立てるのがやっとという1時間1ノットの速さの向こうに日本があるそのジレンマは、「ひょっとしたらこの船は沈没するかも知れない」という恐怖に変わり若干18歳の若者たちに死さえも覚悟させたのでした。幸いなことに荒れ狂う数日間の暗闇の生活の果て、水平線の彼方に富士山の姿を見た時の感動は今も忘れることが出来ません。人は必ず一度は死ぬのですが生きていることの実感は中々つかめるものではありません。生きていてもつまらないからと悲観して死を選ぶ若者に言いたいのです。日本では戦争で生きたいのに死ななければならない人を数多く死なせました。私たちのように死ぬかもしれないと思いながら死ななかった人間は、生きるということがどんなに素晴らしいことなのかよく分るのです。死ぬかもしれないと思った時に頭の中に思い出したのは「ふるさと・両親や兄弟といった家族・友人」でした。何気なく傍にあるものの価値は普通は中々その意味すら分らないものなのですが、無くして初めてその存在に気付くのです。

 台風は時には裏山を壊したり水害に会ったりの悪さもしますが、私にとっては生きることや自分の周りにある大切な宝物を発見することが出来た恩人かも知れないのです。恩人は手厚く迎えたいのですが、招かざる客なので出来れば来ないに越したことはありません。でも台風が来たら備えを万全にしてその心を受け止めながらじっと通り過ぎるのを待つのです。

 台風は私たちの町から遠ざかりつつありますが、一方で近づきつつある地域もあります。東北や北海道では稔りを迎えたリンゴの実がたわわになって収穫を待っています。気が気ではないと思いますが、どうか海の上を早く去ってくれることを祈ります。

  「台風を 壊す発明 ノーベル賞 俺の浅知恵 それは出来ぬな」

  「何事も 無かったように 行く台風 リンゴ農家の 苦悩ありあり」

  「気がつけば 台風一過の 高い空 目にも鮮やか 飛行機雲が」

  「台風が 来る度思う 愛媛丸 死んだつもりで その後を生きた」

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shin-1さんの日記

○灘町地区の敬老会

 敬老の日を18日に控え、各地で敬老会などの催しが盛んに行われていますが、私が自治会長を務める灘町地区でも敬老の日に先駆けて昨日敬老会を開催しました。台風13号の襲来で結果的にはいい日を選んだと胸を撫で下ろしましたが、昨年は食中毒騒動で随分気を揉んだため、今年は万全を期して敬老会に臨みました。

 灘町地区では75歳以上が122人いますが、70歳以上に対象を広げているため約60人が加わって、合計180人程度なのです。組長さんを通じて申し込み制にしているため3分の1に当たる70名ほどの参加となりました。昨年までは市役所から申請すれば3,000円の補助金が出ていたのですが、1,000円も減額されて2,000円となってしまい、そうかといって昨年より仕出し弁当の質を下げることも出来ず、結局はこれまで対象者全員に配っていた記念品を取りやめることになってしまいました。高齢者にとっては一年に一度の楽しみにしていたことなので随分悩みましたが、老人クラブの会長さんと事前に相談していたため高齢者の理解を得て何とか改革に踏み切りました。

 それにしても広報区長会の席で市役所の言い分を聞いた区長さんから随分そのことについてブーイングが聞かれました。高齢者の敬老より、高齢者の生きがい対策に社会全体の方向が向かっていて県下の実態は・・・・。だから伊予市も・・・・。と横並びの話をして財政難に対する理解を求めようとする市側と、予算の乏しい自治会が高齢者の祝賀行事を市側の一方的な理由で縮小するのは納得できないという自治会側の議論がかみ合わず、減額して浮いたお金をどのような高齢者の生きがい対策に振り向けたのか説明するよう詰め寄る険悪な一幕もありました。

 私は思うのですが、対象人数×2,000円という、出席もしない人もいる人数に金額を乗じた補助金よりも、出席した人数に減額しない金額を乗じたらいいのではないかと実質てきな考えを思い浮かべました。そうすれば金額が3,000円から2,000円に減るような錯覚をしないで済むだろうにと・・・・。まあ来年どうなるかお互い知恵を出して考えるべきだと両方の意見を聞いて思いました。

 さて、今年の敬老会は12時から始まって14時までの2時間、会食や地元婦人会の皆さんのフラダンスや踊りなどを中心に例年通りの盛り上がりを見せました。ご多分に漏れず女性が元気で女性が多いという傾向はどこも一緒で、米寿や卒寿を迎えた人への市と社会福祉協議会からの記念品も女性が圧倒的に多かったようです。市会議員さんと民生児童委員さんの祝辞や、市長さんと国会議員さんのメッセージなども昔の敬老会に比べたら簡素でいい敬老会だったように思いました。昨年出席した人で今年は病気で出席できない人や亡くなった方の思い出話をしながら、来年もぜひ出席するよう、「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャン」に気をつけましょう」とお得意の笑い話をしましたら、みんな大爆笑で多いに受けました。

 婦人会長さんの踊りも、老人クラブ会長さんの歌も、そして私のハーモニカも大きな拍手をいただきました。

  「あと何年 すれば私も 敬老会 世話をするのも 今年最後か」

  「昨年は 腹がうずいて 中毒に 今年こそはと 言いつつ食べる」

  「台風に 合わず敬老 会終わり ほっと息つく 片付け終わり」

  「下手なれど 吹いた楽器に 拍手来て 私てっきり アンコールだと」

 

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sin-1さんの日記

○シーサイド公園周辺の景観整備

 シーサイド公園の整備を始めたのは平成5年度からでした。国道のバイパスを通すついでに海を埋め立てて造成地を作り道の駅を整備する計画は、目に見えないものだから町の命運をかけた事業と位置づけて推進するも反対意見と賛成意見が拮抗してえらい難儀をしました。でも孤軍奮闘の末完成し、その後の運営も軌道に乗り希に見る成功例として極光を浴びたのでした。

 シーサイド公園の整備と合わせて国道の周辺整備も目論みましたが、県管理の国道だけに私たちの思いと県の思いの板ばさみで苦心しましたが、結果的には県の献身的な努力によって素敵な景観整備が出来ました。

 シーサイド公園の入口です。右折レーンもあって道路はかなりゆったりした設計です。

 左脇には階段式花壇があって約千本の芙蓉が植えられています。

 昔の方位を示す磁石版が埋め込まれています。

 近海で獲れるお馴染みの魚がイラストで彫られ埋め込まれています。

 石張りの歩道と松並木です。

 ひょうたんとナマズをあしらったモニュメントが遊び心をくすぐります。

 夕観所と呼んでいる東屋です。沢山の人が休憩します。特にツーリングを楽しむ単車族が多いようです。

 東屋前の広場にはお洒落な車止めがあります。ここから見返ると双海町のシンボルである本尊山が美しく映えます。

 夕観所横の石積み常夜灯です。

 双葉公民館前の橋の欄干に陶板を埋め込んでお洒落にデザインしています。

 ゆうやけこやけと書かれた石で出来た水飲み場です。

 金子みすずの詩の世界や瀬戸内海のイワシの大群を思い出させるモニュメントです。

舟と白帆をイメージした巨大な石のモニュメントです。

 中間の3本柱の休憩所です。

 大きい石の灯篭ですが、何か口を開けているようにも見えます。

 意味ありげな石のテーブルです。残念ながら松が一本枯れました。

 一番最後の小ぶりな東屋です。ここもよく若いカップルがデイトをしているのを見かけます。

 僅か1キロ足らずの歩道沿線の狭い場所をよくもまあこんなに立派に仕上げてくれました。勿論前面に広がる伊予灘や水平線にしずむ夕日、さらには島影の遠望はまさに景観と呼ぶに相応しい光景なのです。歩道の巾も広いし、沿線の花作りは亀の森の人たちが花守りとなって立派な花を年中咲かせてくれています。三島神社の400段を超える長い石段も中間ぐらいにあり、歩いて良し、自転車で走ってよしの自慢できる景観なのです。

  「石畳 歩けば分る 心地よさ 松の緑が 目にも鮮やか」

  「目をやれば 季節の花々 咲き誇り 花守り人の 心思いつ」

  「瓢箪と ナマズ掘り込む モニュメント 意味も分らず 思わず撫でる」

  「みすず詠む イワシの大漁 彷彿と するよな彫刻 誰が彫ったか」

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shin-1さんの日記

○小さな景観空間

 「田舎は長閑で自然が一杯あって美しいし人情が豊かである」と田舎に住む誰もが思っています。田舎の反対語が都会であるなら、多分都会と比較しての田舎でしょうが、本当にその言葉どおりなのでしょうか。私は仕事で田舎と都会をたまに往復する人間なので、いつもその対比をしながら考えるのです。都会のマイナス要因といわれた交通混雑、騒音悪臭、治安の危険、水質汚濁、孤独などのある部分での不安はあるものの、かつてのような殺伐とした都会の姿ではなく、人間の作り出したコントロール能力によって活気や緑が随所にある快適な景観空間に生まれ変わっているのです。これまで田舎の代名詞だったカラスやスズメさえも都会へ引っ越したのか随分都会で見かけるようになりました。

 田舎は人間が手をつけてない自然のままであり続けるなら人間が作り出した不自然な都会よりはるかに価値があるはずです。ところが戦後六十年の間に田舎から知恵を持った人間が都会に移り住み、知恵の少ない残された人間が田舎を守ってきましたが、残念ながらその田舎人は徹底的に都会を模倣し始めて田舎はおかしくなってしまったのです。都会の食料供給源だった田舎はその能力さえも失い、安い東南アジアの国々との食料戦争に敗れて所得格差は益々広がるばかりなのです。

 田舎は長閑に違いないのですが、車に乗れない弱者といわれる人にとっては交通手段は不便極まりなくまるで時間が止まったような錯覚さえ感じるのです。自然に目を向けても各所に乱開発の痕跡が生々しく残り、耕して天に至った先祖伝来の田畑は放任されて草生い茂り、台風の爪痕は修復することもなく放置されて随所に危険が露出しています。高齢化した社会では一人暮らしも寝たきりも高齢者を標的にしたニュービジネスの餌食となって、画一化された施設に囲われたり施設葬祭で悲しい一生を終わるのです。

 そんな田舎なのに誰もそのことに気付かないのか、気付いても目と口と耳を塞いでただ黙々と生きるためだけに働いて、携帯電話みたいな都会と同じ持ち物を格好よさそうに持ち歩いて満足しているのです。

 そんな双海町という田舎でも自然と調和した景観空間を作りたいと思っていました。人々の暮しの便利さを優先するために海は埋め立てられて国道になり松山へは僅か1時間弱で行けるようになりましたが、その国道を守るために幾何学模様と表現すれば格好いいのですが無数のテトラポットが海岸を埋め尽くし、無造作に白い帯のようなガードレールが美しい海や島影を遮っていたのです。「あのガードレールを取っ払ったらどんなに美しいだろうか」なんて浅はかな考えからスタートしました。でも海沿いの一直線の道はまるで高速道路ではないかと見まがう程のスピードで車が行きかうものですから、「とんでもない発想だ」と叱られました。でもその道その筋に心ある人はいるもので、私の話に耳を傾け「塩害でガードレールが危険になった」という理由をつけて、新設でなく修復という形で工事が行われ、ものの見事に海岸国道16キロのガードレールが海や空と違和感のない水色のパイプガードレールに生まれ変わったのです。まだその真意や景観に気付かない人が沢山いますがそれでもいいんです。自己満足といわれてもせめて私が満足する景観の向上にいささかなりとも役立てたのですから。私はこのガードレールの変化は国道が開通したと同じぐらいの価値があると景観空間の持つ意味を感じているのです。

 「花より団子」の田舎の人々に「団子より花」と幾ら言っても平行線でしょうが、景観には目に見える景観と目には見えない景観があり、手っ取り早い景観は目に見える形の自然と人工による複合物で構成されるものだと仮定して、シーサイド公園の周辺整備を実験的に行いました。でも目に見えるこれらの景観すら人々には何ら意味を成さないのです。そればかりか田舎の景観空間創出事業も、「もっと他に金を使うことがあるのでは?」と言われ、「人が来なかったらどうするのか」とか「赤字になったらどうすrのか」といった無駄遣い論に終始するのです。

 田舎は都市の模倣では駄目です。田舎の個性をどう田舎らしく保ったり美しく見せるかが大切です。「田舎はいい」というだけでは田舎は生き続けることはできないでしょう。

  「田舎いい どこがいいのと 尋ねたら 空気上手いし・・・・ その後続かず」

  「花植えて 少しばかりの お手伝い 町が綺麗と 褒める人あり」

  「景観は 人と自然の ハーモニィー 見える景観 見えない景観」

  「この町に 思いを寄せて 四十年 景観分る 次なる人は?」

 

 

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shin-1さんの日記

○庭木の消毒

 今朝方、このところの雨続きで「庭木に害虫が異常発生しているようなので防除したいから手伝ってくれないか」と親父から相談が入りまました。そういえば天気予報だと明日はまた台風がらみの雨になるかも知れないとのことなので、快くでもないのですが引き受けました。誰だって消毒は好きではないのでしょうが私も消毒は極力避けてきました。でも人間と植物が共存していくためには最低限の消毒は必要かなと思いつつ、親父に付き合ったのです。このような話を聞くと何か仰々しく感じるでしょうが、私の手伝いの内容は50メートルを2本繋いだ約100メートルの消毒用ホースを、親父の消毒に合わせてただ引っ張ったり伸ばしたりするだけなのです。

 親父は消毒用機械を作業しやすく家の隅にある小屋の中に設置して、電源コイルに差込を差すだけで動くようにしています。その横にはコンクリートの1石タンクを置き、消毒液を定められた倍率で薄めて入力と出力のホースを差し込めば、勢いよく噴霧になった消毒液が出てくるのです。今日の作業は約100メートルに渡って植えられているつつじの生垣と、畑に植えられているみかん類、松・ヤマモモ・クロガネモチ・マキ・サザンカなどの庭木類、それに早めに蒔いた大根に早くも虫がつき始めたため倍率を低くしてかけました。

 88歳になった親父は偉いです。約2時間の消毒作業を一人でこなしてしまいました。近所の人がこの光景を見たらどう思うでしょうか。多分「若松さんちのドラ息子は88歳にもなる親父に消毒をさせ、自分は後ろでホースを引っ張るだけで何もしない」と言うに違いありません。私自身さえそう思ったのですから人は思うに違いありません。

 最近は消毒の残留農薬が随分世の中を騒がすようになってきました。先日も何処かの町の生産者が出荷した大葉の残留成分が検査で引っかかってえらい騒ぎとなりました。数年前には考えられなかったような話です。わが家でも野菜類は極力農薬を使わないようにしていますが、中々いい成果は出ません。ふと八百屋に並ぶあの野菜はどのようにしてあんなに立派に出来るのだろうと考えたりするのです。「嘘」と「誠」という言葉がありますが、自分が納得して自分が消毒した野菜はどこへも文句は言えません。でも買った野菜に「無農薬の有機野菜」と表示されていて、安心だと思って買った「誠」の野菜に農薬の残留成分が出るとこれはもう明らかに「嘘」としか言いようがありません。農薬は見た目には何ら見えないものですから騙そうと思えば騙せるし、その騙して高値で売れるのでしたら人をだまして自分が儲ける立派な詐欺罪なのです。

 消毒が終わってホースや機械類を片付けやっと一段落、風もなく雨の前の穏やかな天気で消毒できたと親父は喜びを隠しきれないようでした。これで後は冬を迎える年末に防寒用のマシン油をかけて一年が終わります。庭が広く庭木も沢山植わっていて剪定や草削りという夏の作業も大変だったのだろうと、少し疲れが出てきて体の調子を崩しそうになった親父を見て、心の底で労わりの気持ちを持ちました。

 さてこれらの作業は、88歳という親父の年齢を考えるともうそこまで代変わりの時期が来ているのです。はてさて、私は親父のようにただ黙々とこれらの作業が出来るかどうか、今から深いため息が出ています。妻曰く「お父さんなら大丈夫、おじいちゃんの子供ですから」だって・・・・・。褒められたような気もするし、「あんた頑張んなさいよ」と叱咤されているようにも聞こえました。

 早くも夕方雨模様、945mbの大型台風が宮古島付近を北上しており、本土をうかがっているようです。長雨や大雨が心配です。明日は私が自治会長をしている灘町区の敬老会です。大した雨にならなければよいのですが・・・・。

  「消毒で 虫を殺すが 消毒に 強い虫たち 更にはびこる」

  「虫殺す 消毒液を 体浴び それでも長生き 親父ロボット」

  「消毒を すればてき面 蚊と蛾減る 自然を殺す 俺は罪人」

  「青ジソの 葉っぱ虫食い 太い穴 だから安全 言い聞かせ食う」

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shin-1さんの日記

○元役場職員からの電話

 私には尊敬する元役場職員がいます。多分35年間の役場職員生活の中でこれ程影響を受けた人は後にも先にもないと自分の半生を振り返るのです。その人はあえて実名をあげるなら役場の元総務課長で中嶋さんといいます。中嶋さんに始めて出会ったのは青年団頃でまだ私が漁師をしていました。当時中嶋さんは教育委員会で社会教育主事をしていましたが、双海町の自治公民館活動の基を築いた方で、学校の先生でありながら青年学級の指導をしていた福井先生や武智先生とともに、私たち青年の指導にも熱心で、田舎にありながら中嶋理論と言わしめるほど全県下にその名前は轟いていたようです。私の青年団活動への傾注は中嶋さんの紹介で、国立阿蘇青年の家で開かれた全国青年学級生研究集会へ派遣してもらったことがきっかけだったように思うので、いわば恩人の一人です。その後NHK青年の主張の県代表になった折も双海町の成人式で発表を依頼されたり、病気で転職して役場に就職したときも様々なアドバイスを受けたものでした。役場での上司と部下の関係は殆どといっていいくらいないのですが、何故か目標にしたり気になる存在として私の星であり続けたのです。わが家には何かの縁で中嶋さんから貰った山取り庭木の黒松が親父の手で大事に育てられています。この木を見るにつけ中嶋さんのことを思い出しています。

 歴史に詳しく郷土史に精通していて史談会の会長を務める元役場職員中嶋さんとは、今は史談会の会合で二月に一回程度会うのですが、一昨日の夕方私の留守中に電話がかかってきたと妻が高知から帰宅した折メモと口頭で伝えてくれました。早朝電話するとの約束どおり朝7時に電話がかかってきました。何事かと思いきや、シーサイド公園から唐崎に至る国道沿線の整備についての私観についての話でした。散歩をして見た周辺整備への感想は私と同感だったものですから延々20分も話し込んでしまいました。この周辺整備は私の強い要望もあって愛媛県伊予土木事務所が特段の配慮をしてくれた場所です。前例になると他の所へも波及要望が出るからと恐れながら当時の担当者は熱心に1キロにも及ぶ歩道整備事業を推進してくれました。

 魚の陶板を埋め込んだ石張りの歩道、階段式ドハの整備と芙蓉の花の植栽、黒松並木の植栽、東屋の建築、モニュメントの設置、常夜灯の設置、橋の欄干整備、帯ガードレールからパイプガードレールへの変更などなど、数え切れないほどの整備です。多分相当の金額になぅたのだろうと思うのですが、私たちの言い分をしっかりと受け止めて工事を完成してくれました。

 この沿線には長い石段と扇垂木で有名な三島神社があるし、遠望は町のシンボル的存在の本尊山や瀬戸内の島々が景観をなしているのです。人々は忙しくこの界隈を車で通り過ぎ、ゆったりとくつろいで談笑するのはツーリングを楽しむ人たちだけで、地元の人もその価値を知らないと中嶋さんは残念がっていました。でも中嶋さん一人でも、いや中嶋さんにこの価値に気付いてもらっただけで十分だと内心一人喜んだ次第です。

 中嶋さんは「価値が分る男」なのです。価値の分らない人に幾ら景観の価値を話しても「それがどしたん」で終わります。これこそ「猫に小判」で何の価値もないのです。私も精進して景観が分るような人間に成長したいものです。中嶋さんお電話ありがとうございました。

  「景観が 分る感性 持ちし人 少ないながら 出会い嬉しく」

  「景観を 愛でる心の ゆとり持ち 生きて行きたい 残し人生」

  「影響を 受けたであろう 人の声 響きあいつつ 長々電話」

  「早速に カメラ片手で 訪ね来し 歩いて足と目 確かめつつも」

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shin-1さんの日記

○雨の四万十市西土佐界隈・中半地区(20-14)

 このところの四国地方は秋雨前線の影響で雨続きです。まだまだ残暑が残って高温なため洗濯物が乾かないなんてことはありませんが、それでも毎日配達をしなければならない郵便局員さんや新聞配達、牛乳配達などに携わる人たちにとってはカッパを着用しなければならず、カッパを着用すると熱がこもって汗をかき、うんざりといった感じで「よう降るなあ」と道行く人に声をかけながら通り過ぎて行きます。

 高知県は四万十川や仁淀川、鏡川、安田川といった名だたる大きな川があるだけあってよく雨の降る地域です。太平洋に面しているため台風の通り道になっていて、前線などの影響もあって半端じゃない雨がどんどん振ります。瀬戸内海地方のような年間降雨量1200ミリ程度の雨とは訳が違うのです。私のように高知県に足繁く通う人間ならそんな雨に一度や二度は遭遇し悩まされた経験を持っていることでしょうが、かくいう私も南洋のスコールに似たでかい雨粒の洗礼を何度か受けたものです。

?さて今回の会場は中半集会所ですが、これに先立ち高知県境に位置する民宿金毘羅に立ち寄りました。あいにく女将の井上茂子さんには会うことが出来ませんでしたが先日留守だったご主人がいて、四方山話に花を咲かせた後知人から頼まれた9月22日の宿泊予約を済ませ民宿金毘羅を後にしました。それから先日口屋内での集会の折民宿舟母の女将さんにウナギをご馳走になっていたので、いつも気にかけてもらう義理は返さねばならないと思い少し急いで役場を通り過ぎ、20分以上もかかる曲がりくねった細い道を一目散に車を走らせました。というのも出掛けに妻が秋獲れの綺麗な煮干しが手に入ったので手土産代わりに持っていくよう用意してくれたからです。夏のシーズンも終わり、ましてやこの雨ですから泊り客もいないのではと思いきや、民宿舟母はちゃんと泊り客がいて若女将もご主人も夕食の準備に追われていました。女将も子どももいて何かと賑やかな、それでいてホッとするような雰囲気の民宿舟母でした。

 西土佐が川の街だと思うのはカゲロウの存在です。いつだったか夏の終わり頃西土佐村でカゲロウの洗礼を受けたことを覚えています。集会が終わって深夜に車を走らせていたらカゲロウが先も見えぬほどに飛び交い、視界をさえぎって車が走れないのです。その様はまるで冬のボタン雪のようでにとても幻想的でライトに映えるカゲロウの飛ぶ姿は今も心の中にしっかりと焼きついているのです。私はそれまでカゲロウという言葉は知っていましたしカゲロウとは炎暑の夏に地上の道路や物体がゆらゆらと揺れて見える状態をいうのだとばかり思っていました。カゲロウという動物の存在は知りませんでしたから驚いたの何のって、言葉では言い表せませんでした。季節が変わりつつあるのでしょうか、前回の岩間と今回の中半は特に多いようで、岩間ではカゲロウが卵を産み付ける様子まで観察することが出来ました。今回の中半では集会所の前の道路がうっすら白くなるほど電球下にカゲロウが落ちていました。

 中半の集会所には、失礼な言い方ですが予想以上に多くの人が集まっていました。区長さんはかつて役場の職員だった人で、教育委員会に務めていた方らしく私の話も何度か聞いたと集会前の雑談で話をされていました。

 一通りの講演が終わって短い時間ながら質問がありました。ボランティアで国道沿いの花づくりをしているそうですが、「そんな銭にもならぬことを何故しよるのか」と冷めた言葉を浴びせられたりするとのことでした。これこそ田舎の「手を引っ張らず足を引っ張る悪い癖」でしょう。私は私自身が体験した同じような罵声を紹介しながら、それでも「頑張れば死んでから天国へ行けるから頑張って」と笑い話をしてあげました。私の町だって「花より団子」の人が殆どでした。でも諦めもせず率先垂範した結果、今では県下でもトップクラスの花のまる町に変身したのです。多分このおばちゃんだけでは苦労は水の泡になる可能性があります。こうしたおばちゃんの善行を認め讃え支援して輪を広げるのは行政の大きな仕事だと思うのです。花に心を動かすような心優しい行政マンが欲しいものです。かつての私のような・・・・・・。

 花はこれからのまちづくりの主役だと思います。閏住の菜の花、下浜の水仙、シーサイド公園の芙蓉、潮風ふれあい公園のアジサイ、高野川駅のつつじ、海岸国道の桜やツワブキなど、指折り数えても双海町の季節の花々は多くて、今では町の救世主となっているのです。頑張れおばちゃん。しっかりしろよ元役場(市役所)、。心動かせ役場職員(市役所)。

  「カゲロウが 飛ぶ夜四万十 幻想の 雨シトシトと 肌を濡らして」

  「西土佐に あっけらかんの 元気あり ほっとするよな しちゅうやっちょる」

  「手土産に 栗をいただき 秋を知る 山里暮れて 明かりぽつぽつ」

  「雨煙る 四万十川に 川舟の ひっそりつなぎ 気配もなしに」

 

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shin-1さんの日記

○お寺の奥さんたちと「はい坊~主」

 友人の紹介で縁あって内子町大瀬の明応寺の奥様と知り合いになり、中山町花の森ホテルでお寺を預かる奥様たちの前で講演したのがきっかけで、その方々が人間牧場へやって来ました。女性の運転者にとって人間牧場の道は少々きつく、事故でもあったら大変だからと、上の道に車を置いて歩いての来訪となりました。一昨日はあいにくの雨模様で、自慢の視界はすこぶる悪く、おまけに夏を過ぎた上がり藪蚊が何匹か出て、刻様方の足や腕にかゆみの注射針を刺す結果となってしまいすまなく思っています。でも全て後の祭りとしか言いようがなく平にご容赦ください。

 まずはそのメンバーですがさすがお寺の奥様だけあって知性に富んだ、それでいて品のある方ばかりでですが、記念写真は「ハイポーズ」ならぬ若干一名の偉いお坊さんに合わせて「はい坊~主」と相成りました。

 私は女性の来訪が大好きですっかりその気になってごつい座布団を敷いた魚梁瀬杉の高座に上がって熱弁をふるいました。お坊様はさておいて10人もの女性を前にかぶりつきで話すのですから視線は頭の向こうの海と空を分けている水平線しか見ることが出来ませんでした。

 お茶を飲みながら雑談めいた1時間半もの長い話に熱心に耳を傾けていただきましたが、住職さんたるご主人の説教やお経を聞き慣れている人の耳にどう聞こえたのか、今でも思い出しては赤面する思いなのです。一通り話が終わって質問雑談の時間になったのですが、ある女性から「あなたの元気の源は何?、あなたの夢は何?」と尋ねられました。えっ、私の元気?、私の夢?と心の中を探ったのですがいい答えかどうか分らずにアドリブで適当な答え方をしてしまいました。

○私の元気の源

 私の元気の源は肉邸的にも精神的にも何といっても家庭です。肉体的には栄養のバランスを考えて妻が作ってくれる家庭料理の数々です。野菜と魚と玄米を主食にした日本料理がメインでそれに果物や海草を取り入れ、痩せることもなく太ることもなく体型を保ち健康を保持できるのはやはり家庭というより妻のお陰かもしれません。精神的には4人の子宝に恵まれ、母や祖母は亡くなりましたが88歳の長寿を保ちながら認知症にもならず生きている親父についてもわが家は安定しています。その要はどうやら妻にあるようです。妻は昨日で61歳の還暦を迎えましたがまだ近所の歯医者さんにパートで務めていますが、私の元気は妻の元気だとしみじみ思っているのです。

○私の夢

 私の夢は一杯あり過ぎて一言では語れません。じゃあ二言でと言われそうですが、書き溜めた原稿で本も出したいし、人間牧場をもっともっと充実させたいし、案外金の要ることが多いのです。しかし私は現在無職で夢をかなえるための資金が不足しているのです。これからまた人間牧場のように夢の実現に向けてへそくりを溜めねばならないのです。幸いもう直ぐ62歳の誕生日を迎えるため待ちに待った年金支給が開始されるのです。僅か1年半の浪人生活でしたが飢えることもなく、借金することもなく、首をくくることもなく生き延びてきました。これもやはり財布を持っている妻のなせる業とでも申せましょう。

 結果的にはやはり私の人生はよきパートナーとよきパートナーシップができたことだと結論付けられそうです。だのに無職をいいことに35年間もの長年続いた妻の誕生日のプレゼントをキャンセルしてしまいました。まあいいか。

  「元気とは 自分ひとりで 出来ぬもの 今頃気付いて 妻への感謝」

  「夢叶う ためにはお金 必要だ コツコツ貯金 コツコツ始める」

  「平凡を 積み重ねこそ 非凡なる 凡人それしか 出来ぬのだから」

  「元気あり 夢も沢山 あるけれど 金がないのが 玉に傷かな」



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