shin-1さんの日記

○漆器食器を地下室へ移動

 昨日の朝6時、いつものように裏山へ散歩に出ました。空が曇り前日とは打って変わった少し肌寒さを感じました。折り返し点まで辿り着くと小雨がぱらつき始めました。森林の中の道なので木々の緑が笠の役目をしてくれて、雨が体には当たらなかったのですが、雨の様子が少し可笑しく感じました。やがて森林を抜ける頃になるとその雨が霙交じりであることに気がつきました。「えっ子の時期に霙?」と思いましたが、その雨はいっそう激しくなって、小走りに走って我が家へ急いだものの、すっかり濡れ鼠のような姿になってしまいました。着替えるため昨晩の残り湯に少しお湯を足して朝風呂を楽しみましたが、多分寒冷前線が通過したのではないかと思いました。

 その後雨は直ぐに止みましたが、風波が増し強風波浪注意報が発令され、春のこの次期としては珍しい北西の季節風が一日中吹き荒れる寒い一日となりました。昨日は前日に続いて家倉庫と物置倉庫の大掃除をしました。家の外に設えた2つの倉庫から収納しているものを全て取り出しましたが、まあ凄い量です。私の家は代々漁家なので、貧乏ながら少しはぶりの良い時代も合ったのか、ここら辺では名器といわれる漆塗りの桜井漆器が、沢山あるのです。お膳から始まり、お客事に使う食器は全て漆器で、幾つもの皿類がセットで50人分全て揃っているのですから、その数や相当な量なのです。加えて皿鉢料理のための双環台や大絵皿が幾つもあって、何年ぶりかに対面しました。

 わが家は漁師として結束深い頃は本家だったため、分家にも30人分の桜井漆器が配られて、結婚式や船下ろしなどの慶事には分家から持ち寄った漆器で150人分の料理を、料理屋に頼まず全て自宅で作っていたのです。私の結婚式も150人分の漆器食器が集められ、本家の亜たたりの結婚式とばかりに3日3晩の大宴会が繰り広げられました。その時使った鯛はおびただしい量だったし、近所の農協会館ホールに150人を集めた結婚披露宴は、参列してくれた友人の語り草になったほどでした。

 その漆器食器類を長男家族の同居が始まるため手狭になったため、親父とすお団して海の資料館海舟館の地下室へ移動することを考えました。親父は思い荷物が持てないため、私一人が腰を痛めないよう慎重に運びました。

 運よく漆器類は地下室にきっちり収まりました。これらの漆器食器を利用して料理をすることなどもうないものと思われるので、古きよき時代はこうして地下室にタイムカプセルのように終われて封印される運命となるのです。でもこうして記録にとどめておくことで息子や孫の代へのバトンタッチが出来るのです。

 多分無理かも知れないけれど、いつの日かこの食器を使って庶民の郷土料理を再現したいものです。時代は急速に進んで、昭和も遠くなりました。わが家ですらこんなに暮らしが変わるし、食文化も伝承できないのですから、圧して計るべしです。

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