○昨日の愛媛新聞の二つの記事からの学び
昨日の愛媛新聞の四季録と門欄に面白い記事を見つけました。同じような気持ちで同じ新聞を見ていたのでしょうか、年輪塾の松本小番頭がPDFファイルに加工して年輪塾ネットの会員宛に配信してくれました。清水塾頭を始めネットの心ある会員は折につけこのように様々な情報を流してくれるのですから、せめて見たとか読んだとか乾燥ぐらいは流して欲しいと願っています。
門欄の「さようなら私たちの田処小」は、大洲市柳沢に住む徳田糸江さんです。糸江さんは双海町から大洲市田処へ嫁いでいる筆まめな方で、これまでにもメールやお葉書をいただきました。田処で西田さんや亀本さん率いる大杉塾の強力なメンバーとして活躍されています。先日人間牧場近くに住む布田さんが亡くなられましたが、布田さんと親類らしく葬儀会場でもお会いしましたし、何度か他の仲間と共に人間牧場へも足を運んでいる顔見知りの方なので、記事を興味深く読ませていただきました。
記事の内容は、今年の3月末日をもって閉校となった田処小学校の閉校式の模様でした。文字数の制限もある欄なので短文ですが、実に上手くまとめられていて、当日の模様や歴史が手に取るように分かりました。田処小学校には講演に招かれたり、ホタル祭りに参加したりするため何度も訪れているので、亀本さんから閉校の話を聞いた時、またこの記事を読んだ時、同じような寂しさを大いに感じました。願わくば学校跡地を再度訪ねてみたいと思っています。
今年の春には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの企画事業である、千本桜の森づくり事業に呼応して、田処小学校周辺に、下灘中学校と共に桜を植樹していただき、よき記念になりました。
四季録の記事は松井宏光松山東雲短期大学教授のの書かれた記事です。内容は二宮金次郎の銅像に関するものです。私が塾長を務めている年輪塾では昨年から二宮金次郎をテーマに学習会をしていますし、今月末を目途に県下各地に点在する180体もの金次郎像を会員が手分けして訪問し調査をしているので、余計興味のある記事でした。二宮金次郎の背中にしょっている薪について暮らしの視点から含蓄ある内容が書かれていました。私たちの年輪塾では学びの中で、二宮金次郎、後の尊徳翁が復興の祖であることを学んでいます。時あたかも東日本大震災の復興に心を痛めていますが、尊徳翁の夜話には沢山のヒントが隠されているのです。夜話に詳しい清水塾頭から届くメールには再三再四このことが書かれていて、その度に配信された夜話綴りを開けて読み返しているところです。
「小番頭 メール便にて 配信す 二つの記事を スキャンし保存」
「閉校の 憂き目に遭いし 学校を 何度訪ねた 指折り数え」
「また一つ 日本の田舎の 灯が消えた 寂しくもあり 腹が立つやら」
「金次郎 背中背負ってる その薪は 日本の暮らし そのものでした」