○さてこれからどう生きようか
私は昭和19年10月3日の生まれです。昭和19年といえば日本がアメリカを相手に戦争をしていた時代です。「親父は大陸に出征していたのに何故私は生まれたのだろう」というのが私の小さいころの疑問でした。そのことを母や親父に聞くことも出来ず悩んでいると、隣のおじさんなどはそのことを面白おかしく皮肉って、「お前の親父はお前が生まれたころ大陸へ戦争に行っていたのに、お前が生まれるとはどう考えてもおかしな話だ。お前の親父は大陸からお前の母ちゃん目がけて、大きな大砲を打ったものよなあ」などと悪ふざけて、私の心を大いに揺さぶったりしました。
最近になって親父の兵歴などを聞く機会があり、戦争末期に傷痍軍人となった親父は国内の陸軍病院を転々として、何度か帰省や面会をしていることが判明し、自分が親父の子であることの確信が持てた時は内心ホッとし、内心親父の息子であることの喜びを感じたものでした。
私は昭和19年生まれですから戦争の記憶はまったくありません。子どものころは敗戦後間もないこともあってそこここに戦争の傷跡が残っていました。親父たちは酒を飲めば生々しい戦場の様子を語り、軍歌を歌っていました。また祖母は徴用先の大阪で空襲に会い死んだ二人の娘のことを涙ながらに語っていました。
私の家には親父が趣味で倉庫を改造した海の資料館「海舟館」があって、その中には戦争を語る幾つかの兵器が展示されています。機関銃、薬きょう、魚雷のエンジンなどなど、考えようによっては戦争を賛美するような物騒なものが沢山あるのです。92歳になった親父はこれまで戦争については多くを語りませんでした。これらの展示物はなくなった戦友への鎮魂のつもりだと話していますが、これらの兵器を受け継ぐであろう私は、残念ながら戦争について語ることは出来ない年代なのです。でも戦争がいかに愚かなことであったかや平和の尊さを語ることは出来るだろうと、親父の話を聞いて記録にとどめようと、少しずつ始めていますが、私の思いついた動機が、「暇が出来たら」で退職後の今になったため、親父が高齢になり、残念ながら記憶を遡ることができない年齢になってしまいました。
それでも少しずつ少しずつ始めていますが、あっという間に1日、1週間、1ヶ月、1年が過ぎ、まさに光陰矢の如き初老の日々が蓄積され、残された余命を気にする年齢を迎えようとしているのです。人は何のために産まれ、何のために生きるのか、考えれば考えるほど難しい思考のトンネルの中に身を置きながら、昨日も今日を過ぎて行くのです。
「若松進一の民俗学」なるものも考えて見ましたが、考えた当時は民俗学の本を読んだり、軸足を民俗学に置いてブログの記事を書いたりしましたが、これも焦点がぼやけて今に至っています。この4~5日少し暇が出来たこともあって、書斎で過ごすことが多くなったせいか、自分の思考回路に変化が現れ始めています。もう一度ゼンマイを巻き直して、日々を充実したものにしたいと思い始めた朝でした。
「年老いた 親父見てると あのように なるのか俺も 何年後かに」
「毎日が あっという間に 過ぎて行く これじゃダメだ これもまた良し」
「もう一度 ゼンマイ巻いて 生き直す そんな気がする 朝を迎える」
「とりあえず 今日を楽しく 生きようと 背筋伸ばして 思いも新た」