○東京からやって来た慶応大学生(その2)
双海町での半日を終えた慶応大学生の山内さんと私は、田舎ゆえ食事をするところも殆どない中、人間牧場へ来られた人をもてなすために時々行く、海沿いの「潮路」というレストランに入りました。ここは今回山内さんを紹介してくれた友人と始めて食事をした場所でもあるのです。昼前でしたがレストランは空いていて、私たち二人は海が直ぐ横に見える席に座って、色々と話をしました。
私はこの町で生まれ、この町で育ち、この町で暮らしています。宇和島で過ごした3年間の高校生活を除けば人生の殆どをこの町と深いかかわりを持ちながら生きてきたのです。
人間の生き方や価値観、それに発想の原点は、生命誕生という小さな穴を通って次第に広くなりますが、広くなった自分の世界はやがて歳とともに狭くなって、死という穴へ入ってゆくもののようです。私の生い立ちの中であえて挙げる広い世界は、高校生の時実習船愛媛丸でオーストラリア近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけたり、30歳の時総理府派遣青年の船の班長として建国200年のアメリカへにっぽん丸で旅をしたことです。
それまでは、目の前に広がる海を見ながら、「この海の向こうに何があるのだろう」とか、「海の向こうの知らない国へ行って見たい」などと漠然としていましたが、この二つの旅は私の価値観を根底からひっくり返すようなカルチャーショックだったように思うのです。
聞けば山内さんは一年間も世界の中心アメリカ・ニューヨークで暮らしていたとのこと、ゆえの言動だと納得しながら色々な雑談めいた話をしました。人は異文化ギャップの中で何かを発見するものです。今まで暮らしていた場所と違った地域で感じる風、今まで出会ったこともない人との出会いで感じる風などなど、僅か一瞬のこれらのすきま風が、やがて微風・強風・温風になって人生を左右するのです。今はある意味心の基層にそうした様々な風を溜め込む時期かも知れないと、山内さんと話しながら思いました。
お昼のことゆえ大したもてなしも出来ず、彼はエビフライセット、私は夕日セットを注文しました。東京育ちの彼の舌に合ったかどうか気がかりですが、旅先のことゆえお許しいただきたいと思いました。
(坂本龍馬宿泊の旅籠跡)
夕やけこやけラインを通り、途中長浜の赤橋や江湖の港、橋の袂の旅籠など坂本龍馬ゆかりの地をさらりと見学し、肱川沿いの道を大洲駅まで車を走らせました。時間があれば大洲城やおはなはん通りなどもと思いましたが、運よく13時ちょうど発の特急宇和海が、3分遅れで到着したお陰で乗車することが出来ました。
彼は友人の書いた旅のシナリオに沿って、宇和島経由で愛南町西海の次の目的地に向かって消えて行きましたが、今も再会を約束して別れ際握手した、手の温もりが今もこの手の中にあるようです。出会いは一瞬でしたが桜の咲く良い季節に、山内さんと出会ったことは、忘れられない思い出になりました。
「すきま風 基層集めて 準備する やがて強風 温風なりぬ」
「人はみな 小から大へと 進むもの やがて再び 小へと帰る」
「俺などは 龍馬の倍も 生きながら 千分一も お役に立てず」
「旅は人 育ててくれる ものなりて これから先も 心の旅を」