○葬儀事情と仲間との交流
私には私と同年代に各地の役場で働いた同年代の仲間が沢山います。いずれも退職期を向かえたり、既に退職してそれぞれの道を歩んでいますが、同年代ということは私と同じように親がそれなりの年齢に達しているので、訃報がある度にその葬儀に出かけるのです。
一昨日松野町の基教育長をしていた芝さんから旧明浜町に住む原田さんのお母さんの訃報と葬儀の知らせがありました。それぞれに連絡を取り合って今日の午後2時から西予市宇和町のセレモニーホールで行われる葬儀に参列しました。原田さんのお母さんは享年89歳だそうで、まあ平均寿命まで生きたのですから、それはそれとして天命を全うしたことになりますが、ご遺族の心境を思うとまだまだ長生きをして欲しかったようで、心中を察するのです。
明浜町では葬儀に先立ち午前中にご遺体を荼毘に伏し、遺骨で葬式をする風習があるようで、私たちの地域とは随分違った葬式でした。葬式後は49日の法要が営まれ、たっての希望で私たちも参加することにしました。故人の遺影や位牌を飾った中ホールでお食事をご馳走になり、故人の積もる話を聞いたり、近況を報告したりしながら束の間の時間を過ごしました。
お目出度やお悔やみでもないと顔を合わせることが少ないのは何も親族だけではなく、私たち友人にとっても同じことがいえるのです。
若松「毎日暑いが、その後元気か」
塩崎「元気なだけど、先日畑で摘果中に畑で転げて、頭を怪我して5針も病院で縫ってもらった」
若松「お前はこの間もモノレールに挟まれて怪我したじゃあないか。お前も相当きょろまつじゃのう」
塩崎「そうよそうよ、そのことよ。若いと思っていたが、やっぱり歳には勝てん」
若松「仕事は順調か」
塩崎「みかん畑を1町余り作っているが、今は摘果の最中で、先日もトラックに水槽を積んで横倒しないなって
ドアが傷んだわい」
若松「よく照るが潅水はせんでもいいのか」
塩崎「阿弥陀池があって、潅水の水には困らんけれど、水をやり始めるとずっと水をかけなければならんので
まだはじめとらん」
若松「お前も本物の百姓になったなあ」
塩崎「百姓にはまだなっとらん。70姓くらいじゃあ」
若松「まあ怪我せんように頑張れや」
塩崎「ありがとう。また会おうな」
こんな他愛のない会話で別れ、宇和から大洲まで無料区間の高速道路を通って海岸周りで帰ってきました。帰るとき受付で祭壇に飾っていたお花を一束ずついただきました。前もって荼毘に伏したためお花を使えなかったのです。葬式の花なので忌み嫌う人もいますが、私は原田さんのお母さんの冥福を祈るつもりでいただき、妻が玄関先に綺麗に活けてくれました。そしてこちらとは違う葬式事情を話してやりました。普通は受付で会葬お礼の挨拶状とお茶かハンカチなどの小物をお返しにいただきますが、ここでは成果いつ改善運動が行き届いていて、受付で挨拶状のみでした。受付と挨拶状の中にその地域の運動への取り組みについてメモが入っていました。公民館に勤めていた頃同じように生活改善運動に取り組んだこともあるので、嬉しい地域ぐるみの運動に大きな心からなう拍手を送りました。
「葬祭の 簡素化運動 懐かしい かつて私も 先頭立って」
「元気かい 何とか元気 そりゃあいい 葬式会場 会話弾みぬ」
「ご遺体の ない葬式に 参列し どこか勝手の 違うを感ず」
「他人事と 思えぬ葬儀 連チャンで 親父気がかり 今年の夏は」