shin-1さんの日記

○下関での朝

 昨晩は本州の最西端下関市内のホテルに泊まりました。今日午前中予定されている市民会館での講演のため、珍しくも前泊したのです。山口県といえば私の住む愛媛県からは、朝な夕な毎日沖合いに浮かぶ姿を見ている馴染みの土地なのですが、どういう訳か交通アクセスが松山市三津浜と柳井市を結ぶ防予汽船フェリーの一本だけなので、なかなか来る機会がないのです。加えて山口県には講演などの仕事で度々訪れているものの、県庁所在地の山口市周辺が殆どで、下関までは中々足が向かないようです。

 下関へは何年か前、平成の大合併で周辺町村と山口市が合併した折、記念の講演会に招かれたり、西瀬戸交流圏の事業で愛媛県の皆さんをお連れしたことがある程度です。

 昨日の下関はあいにくの雨で、ホテルに着いて夕食に出かける8時ころになっても弱い雨が残っていました。今朝は旅の疲れて自宅にいるときより1時間も早い11時に床に就きましたが、今朝はその疲れも取れて、いつも通りの朝4時過ぎに目が覚め、ホテルのロビーに設置されているインターネット用の無料パソコンで、立ったままこの記事を書いています。

 このホテルは7時から無料の軽食が振舞われるので、外の様子を窓越しに見ると多少霧がかかっているように見えますが、テレビの天気予報だと、今日は徐々に天気が回復しそうなので、これから少しばかり周辺を散歩しようと思っています。

 さて今日は山口県の漁協女性部連合会の200人の前で講演をする予定です。私は役場に35年間勤めていましたが、実は漁業とは縁がとても深い男なのです。

 ①鯛網をやっていた漁家に生まれた。

 ②宇和島水産高校に3年間遊学した。

 ③実習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に出かけた。

 ④高校卒業後ガンで倒れた親父に代わって若吉丸の船長として7年間漁師をした。

 ⑤母親は6年間下灘漁協の漁協婦人部長を務めた。

 ⑥体調を崩し役場に入った後4年間産業課で水産を担当した。

 ⑦海の直ぐ傍に道の駅シーサイド公園を整備した。

 ⑧漁協女性部の皆さんとともに名物のじゃこ天を開発した。

 ⑨2年前から愛媛海区漁業調整委員会委員をしている。

 ⑩愛媛大学農学部客員教授をしている。

などなど、ざっと拾い上げても10指に余るほどあるのです。


 今日はそこら辺から紐解きながら、「女性が輝くとき漁村が輝く」というテーマで思い切り話そうと思っています。午前中の講演なので、午後には下関を発ち、新下関・徳山を経由して防予汽船で柳井から三津浜を目指そうと思っています。帰りは多分夕方遅くなるものと思われます。


  「本州の 最西端に 来ています 霧に煙った 橋を見上げつ」

  「霧笛鳴る 海峡向こう 門司の街 ぼんやり霞み 旅情そそりて」

  「何年も 前にこの地を 訪ねたが 今は記憶も おぼろげながら」

  「さあ今日も 元気セールス するために 一汗かいて 仕事をするか」 

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