〇行き場を失ったブーメランテーブル
平成元年と記憶しているのでもう20年も前の出来事です。今から29年前の昭和56年に結成した21世紀えひめニューフロンティアグループでは、無人島に挑む少年のつどいやセスナ機をチャーターしてふるさとを空から見る運動を華々しくやっていました。その活動のつれづれに討論激論をやっていましたが、もっと素敵な会議は出来ないものかと思案した挙句、組み立て自由自在なテーブルの製作を思いつきました。早速国内の有名な家具メーカー、事務機器メーカーに公開質問状を出しました。早速何社かから企画書が送られてきたものの、当時のお金で制作費は2百万円もするというのです。そんな余力のない私たちは提案してくれたメーカの了解を取り付け、自分たちで製作することになりました。
幸いメンバーに大工をしている日浅さんがいるので、小柱を沢山使い集成財のように繋ぎ合わせて、とんでもない大きさのテーブルを四つ造りました。想像以上の出来栄えは当時新聞にも載りましたが、会議の度にこのテーブルは出張を重ねました。南吉田公民館、文教会館などで使った懐かしい思い出がありますが、その後このテーブルは平成3年から始まった10年で40回開いたフロンティア塾の占有物として、地道な活動の一助となりました。
フロンティア塾が平成13年、永六輔さんを呼んでフィナーレとなって暫くは、フロンティア塾のために借りていた双海町東越の廃屋で眠っていましたが、廃屋が身売りされたため止む無く内子の大野産の癒えに間借りを経て、大洲の佐々木さんの倉庫に移動し最近まで保管されていました。
倉庫を占有し続けたテーブルは行き場を失い、結局は製作に携わった日浅棟梁の元へ払い下げと相成ったのです。年輪塾を開いた先日メンバーの佐々木さん、湯山さんを伴って日浅棟梁は佐々木さんの自宅までトラックで積みに行き、慰安張りへの道中途中に人間牧場へ立ち寄ってくれました。二つは日浅さんが持ち帰り、途中でつなぎの一個を私と相談の上わが家へ降ろして帰ったのです。
はてさてわが家の玄関横にでんと置かれたこのテーブルの残骸を私はどう使うか、ただ今のところ思案の最中なのです。
これまで若気の至りで前後の見境もなく考えずに、ただただ走り続けてきた私たちのグループですが、ここにきて後始末の大切さを嫌というほど実感した次第です。人間牧場でも私設公民館煙会所でも使うことは出来るのですが、その保存となると「千日持って一日の用をなす」ようなものは中々持ち堪えられないようです。
ふと昔のことを思い出し、結成20周年を記念して私が執筆した「今やれる青春」という本を書棚から取り出して中を捲って見ました。フロンティア塾の記録には県内外から集まった多くの若者がブーメランテーブルを囲んで写真に納まっていました。
ブーメランは「元の場所に戻る」という意味もあります。もう一度そのことを考え年輪塾に引き継がれている精神をしっかりと考えて見たいと思っています。
「見境も なしに走った 三十年 テーブル行き場 なくして帰る」
「結局は その名の通り ブーメラン 手元に戻り 次の出番を」
「記念誌の そこここ見える 懐かしさ 彼ら今頃 どうしているか」
「幾つかの 案が頭を 過ぎってる 早速行動 善は急げだ」