shin-1さんの日記

〇足腰脛の三拍子

 この2~3日、叔母の急逝で親類縁者が顔をお合わせています。さすがに遠方に住む人たちは体の不調で顔を見せませんでしたが、近所に住む馴染みの顔の叔父や叔母たちは、座る度立つ度に「よっこらしょ」と掛け声を掛け、特に座っていて立つ時などは何かにつかまらないとよろけてしまうのです。

 口に出る言葉も「脛が痛くて座れん」とか、「私ももう歳だ」とか、「病院のご厄介になって薬を飲んでいる」とか、弱々しい言葉を口にするのです。「お前は若いからいいが、いずれ歳をとったら私のような体になる」と、私の将来予言まで助言してくれる有様です。

 確かに私の身の回りを見れば親父・叔父・叔母は言うに及ばず、近所にも年寄りがたくさん増えて、高齢化社会を実感するのです。それもそのはず若いと思っていた私さえ65歳の高齢者になったのですから、実感するのは当たり前のことなのです。

 歳をとった人の話は「体の不調」と「年金」、それに他愛のない「噂話」が殆どで、暇さえあれば3つのことをまるで舌好調に話すのです。体が不調で病院へ行くからでしょうか、病気のことや医療のことなどはまるでお医者さんのように詳しく、「〇〇の医者がいい」とか「〇〇の薬やサプリメントがよく効く」とか、口から出る言葉はまあ詳しいです。

 それに比べ年金の話になると「年金が少ない」「年金が介護保険などで引かれて少ない」など不満たらたらで、国会の答弁などを聞いているのか、まるで大臣のようなことを言って政治を悪者にしている反面、年金制度のことについてはまったく内容を知らずに話しているようでした。

 お年よりは噂話も大好きで、「ここだけの話じゃが、人には言わないように」と釘を刺し、ひそひそ話をしているつもりでも、耳が遠いため壁に耳ありなどそっちのけでボリュームを上げ、まるでスピーカでも使っているような大声で話をしているのです。

 歳寄りは思い込みが激しく、3ヶ月前に法事で出会った時に話したと同じことを聞きました。お年寄りは人に話を聞いてもらうだけで安心するのですから、初めて聞くようなそぶりを見せて相槌を打つのです。これは叔父や叔母を馬鹿にしたのでは決してなく、これも高齢者対処方なのです。「その話誰が言いよった」「みんなが言いよる」なんて噂話は枚挙に暇がないのです。

 「私のいずれああなるのか」と思いつつ、叔父や叔母を見ていますが、たった3ヶ月だけでも衰えを感ずる叔母も居れば、老いてなお矍鑠とした生き方をしている叔父や叔母も見受けられるのです。元気の源はどうやら働く、生きがいを持つ、心と体の健康が維持だ着ていることににあるようです。


  「健康と 年金それに 人噂 それしかやること ないのか知れぬ」

  「足や腰 それにお膝が 痛くてと 畳に置いた 椅子に座りて」

  「この次は お前の番と 予告する 膝腰肩の 痛み受け継げ」

  「体力と 気力微妙に ずれ始め 年齢悟る 分相応」

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shin-1さんの日記

〇気がつけば春真っ盛り

 初物好きな日本人好みのニュースとして、「今年の桜は例年より10日も早く高知で開花」という嬉しい便りが届いてから、まるでエレベーターのように論高下する気温の変化に翻弄されて、結局咲いてみれば例年と殆ど同じ頃の桜の花の満開となってしまいました。例年の事ながら宇和島や松山、高知、熊本など、どちらかといえば早く咲く地域では、開花日本一を目指す余り意味のない競争に一喜一憂し、「勝った」「負けた」「来年こそは」とリベンジを誓う人たちもいて、傍目少々同情したりもするのです。


 市役所支所に勤める大森さんからいただいた手作りの卓上カレンダーも、閏住菜の花畑を行く予讃線海岸周り列車をあしらった3月から、本郷潮風ふれあい公園千人塚の桜の写真が登場する4月に捲られました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 サンデー毎日の私に曜日は無縁なはずですが、長年のお勤めの癖なのか、やはり日曜日は人様同様、何処かソワソワ、ワクワクするのですそれは日曜日が勤めている妻の一週間に一度の休日でもあるためでもあるのです。今日4日から始まる今月の日曜日は4日・家族花見(私だけ坊ちゃん劇場で正岡子規の観劇)、11日は前日から私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの世界遺産を巡る旅でなら方面へ旅行、

18日は叔父の3回忌法要・今治講演、25日は前日の人間牧場での年輪塾セミナーに加え、西予市卯のほたるの牧場訪問と、まあ結局今日の突然入ってきた叔母の葬儀を含めると、相変わらず全ての日曜日が塞がってしまっているのです。

 まあこの歳になって毎週日曜日やることがあるというのは結構なことであり、仕事もさることながらやることがある向うにはたくさんの知人友人が居るということですから、それはそれとして喜ばなければならないのです。

 大森さんの綺麗な根源角写真を見て、ふと私のブログマイページを飾る私が撮った同じアングルの写真も中々の出来栄えだと手前味噌ながら喜んでいるのです。今年ももうそろそろこのアングルで桜の花を撮影したいと、お墓参りの際に石の上に落として少しガタが来たデジカメを見ながら思っているのです。

若松進一ブログ

 今年も巡ってきた桜の美しい季節を、もう少し愛でながらわが人生65年目の春を記録と記憶に残したいと思っています。お陰さまで下手糞ながらこうしてブログという優れもののデジタルに出会い、記録が出来ることを嬉しく思いながら、加齢とともに薄れ行く記憶を現状維持しようと、毎日せっせと朝夜2本のブログ書きに毎日挑戦しているところです。

  「友くれし カレンダー一枚 捲り見る 見覚え桜 華麗に咲きて」

  「俺にでも 写せるんだと 胸を張る 水平線が ゆがんで未熟」

  「そろそろだ 頭の中で 機伺う 天気の良い日 写しに行こう」

  「四日しか ない日曜日 全て駄目 自由人だが 自由にならず」

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