shin-1さんの日記

○最初の目的地は奈良の石舞台

 先月3日広島県福山市へ講演に招かれて以来の本州渡りです。あの時は今治からしまなみ海道を渡りました。2月に岡山県美星へ出かけた時は瀬戸大橋を渡りました。今回は大鳴門橋と明石海峡大橋を渡っての本州入りです。上天気の幸運にも恵まれ、世界最大級の明石海峡大橋は大パノラマでした。

  普通写真は運転席からフロントガラス越しに撮るのですが、車の後ろに荷物用の空間があるのでそこに座って渡り行く大橋の姿をじっくりと堪能しながら写真に収めました。後続の車の運転手は私たちの行動をきっと奇異に見たに違いないのです。

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(美しい明石海峡大橋)
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(橋の向うには本州明石・須磨の町並みが見えました)

 運転をしていないので説明を受けながら走るものの、何処をどう走ったかは定かでありませんが、車窓に広がる景色を勘案すると山陽自動車道を走って阪神を通過しました。途中大阪万博の太陽の塔が窓越しに見えました。サービスエリアやパーキングエリアでトイレ休憩や昼食をとりながら、のんびり旅を決め込みました。休日割引効果なのかどこも車でいっぱいで、入り口出口は車の渋滞に合いましたが、思ったよりもスムーズに亀石まで到着しました。

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(サービスエリアで食事を摂りました。私はちゃんぽんを食べました。美味しかったです)

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(これが亀石、何処かユーモラスな格好をしています。何でも私の足元にある亀の口が土地の境界線らしいのです。私と大野さんもすっかりリラックスして、亀に負けないくらいユーモラスな格好をして写っていました)

 石舞台は亀石からそんなに遠くない場所にありました。一昨年奈良に講演に来た折、青年の船でご一緒した谷川さんの案内で訪ねた明日香村の教育委員会や壁画保存館、それに石舞台を訪ねたことを思い出しながら散策しました。石舞台付近には名残の桜が咲いていて、いい日の訪問を喜びました。

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(昔人はどんな工法でこの石舞台の石を積み上げたのでしょう)

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(みんなで記念写真を撮りました)
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(石舞台内部の石室)

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(桜の花と石舞台)
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(珍しい桜が咲いていました)

  「大橋を 渡りて本州 踏み入れる 目指す奈良路は まだまだ遠く」

  「亀石の 顔に似ている 写真見て 思わず顔が ほころび笑う」

  「いやすごい 昔の人は どのように してこの石を 積み上げたのか」

  「園内に 名残の桜 咲き誇り 時々風乗り 桜吹雪が」

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shin-1さんの日記

○阪神淡路大震災から15年

 大きな災害をもたらした、平成7年1月15日朝に起きた阪神淡路大震災から、早くも15年の歳月が過ぎ去りました。あれほどの大惨事をテレビながら目の当たりにしたのは初めてだったので、当時はかなりのショックと恐怖を覚えていたものの日々の雑事に追われ、記憶の中から消えようとしているのですから人の記憶もいい加減なところがあるようです。

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(鳴門の渦潮の上に架かる美しい大鳴門橋)

 21世紀えひめニューフロンティアグループでは、毎年一回会員の意見を聞いて国内の世界遺産を巡る旅を実施していますが、今年は奈良を中心に回ることにしました。10人乗りマイクロバスレンタカーを借りて、河野、田宮両氏が運転をしてくれました。

 普通は瀬戸大橋か徳島自動車道を走るのですが今回は、松山道~高松道~大鳴門橋~淡路島~明石海峡大橋~奈良のコースを走りました。せっかくだからと淡路島の北淡インターで下りて、北淡町にある震災記念館に立ち寄りました。私は3度目なのですが、初めての会員が殆どだったため、大震災で動いた野島断層の姿を見てみんなびっくりしていました。

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(阪神淡路大震災記念館)

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(記念館に入るとへし折れた高速道路と落下したトラックが無残姿で展示していて衝撃を受けました)

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(地面が割れ動いた野島断層の模様が当時のまま保存されていました)

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(当時の大震災にあった家屋台所内部もリアルに再現されていました)
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(当時の惨状を伝える新聞)

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(被災した家屋)

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(避難民で埋まった体育館)

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(仮設住宅村)

 記念館には地震体験設備もあって、マグニチュード7の地震を体験しましたが、縦横に揺れる地震は想像以上に凄いものでした。当時私は小額ながら義捐金だけしか復興のお役には立てませんでしたが、役場に勤める元消防士がボランティアとして現地入りして活動した話を思い出しました。

 日本は地震大国といわれ、これまでにも沢山の地震が起きています。また歴史上では地震による津波によって沢山の人が犠牲になりました。いつ来るか分からない地震や津波への備えをと、行政は防災教育に熱を入れていますが、相変わらずその歩みは国民の丁重な意識に翻弄されているようです。

 奇しくもこの阪神淡路大震災が引き金になって、ボランティア活動の必要性が認識されましたが、これさえも記憶の彼方へと追いやられそうな雲行きなのです。

 忘れまい戦争の悲劇、忘れまい阪神淡路大震災の被害と悲劇、忘れまいボランティア精神・・・・・。


  「久方に 震災惨事 目の当たり 記憶戻りて 心消沈」

  「断層が 動いた姿 驚嘆す 自然の力 侮るなかれ」

  「今はもう 完全復興 しているが 心の傷は 癒えぬままにて」

  「もし俺が 地震に会えば どうなった しみじみ思う 自身の非力」

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