○師匠によるミツバチ巣箱の点検
前日の夜ミツバチの師匠井上登さんからメールが入っていたのに、私が早めにパソコンを切り読書をしていたため見落としてしまいました。朝の日課でブログを書く前にメールを見ると、「都合がよければ今日明日のいずれかにミツバチのご機嫌を伺いに参りますが・・・」と書き込まれていました。元船乗りだった私は早速打電にも似た返事を送りました。「趣き了解、今日午前10時、人間牧場にて待つ」という短いメールです。
それにしても便利な世の中になったものです。相手がタイムリーに見てくれさえすれば、パソコンで送るメールは短かろうが長かろうが、まるで相手と会話をしているように届くのです。電話であれば、いちいち電話口まで失礼ながら呼び出さなければならないのに、メールだと好きな時に見れるのです。田舎の熟年井上さんは多分早起きだろうなあと、早朝の失礼を承知でメールを書き込んでおきました。想像通り早起きの井上さんからメールの返事があり、商談成立となって人間牧場で10時に待ち合わせすることにしました。
ふとメールのやり取りをしながら、無線や電報のことを思い出しました。私は宇和島水産高校3年の在学中、実習船愛媛丸に乗って赤道を越え、南太平洋までマグロを獲りに出かけました。大海原を行く愛媛丸にとって無線連絡は今のような技術が普及していない時代だったので、電信とでもいうべき「トン・ツー・トン・ツー」というモールス信号でした。「SOSはトントントン・ツーツーツー・トントントンだ」と、乗組員の無線長から教わったことを今も覚えています。また船上で正月を迎えたため、ふるさとに向けて無線長にお願いして、「南太平洋上の愛媛丸からハッピーニューイヤー」と、有料電報を打ってもらったことも今はよき思い出です。私が南太平洋で実習をして帰国するまでの3ヶ月余り、影膳を据えて公開の安全を祈ってくれたと後で聞きました。その祖母は亡くなるまで、私が南太平洋から届いた孫の私の電報を、宝物のように大事に保管していました。
まあそんな時代に育った私ですから、今でもメールのやり取りに便利や不思議を感じるのは当然かも知れないのですが、無線や電報も今いずこの感がするのです。
(昨年4升も蜂蜜を収穫した巣箱に誘引のためランの花を取り付ける師匠)
(昨年種蜂が入れられお輿入れした巣箱も今は空き家です)
(種蜂巣箱の点検と掃除をする師匠)
ミツバチの師匠は10時の約束を、一分もたがわず野村町からやって来てくれました。早速ミツバチの巣箱の点検をしてくれました。冬を越した種蜂のいる重箱方の巣箱の下板を抜き取り、スムシやミツバチの糞を綺麗に掃除をしました。防護用の黒頭巾を被っているものの少し抵抗され、私も黒頭巾を被りましたが、何匹かの蜂が顔をめがけて突進してきました。多分点検のため巣箱の下穴から、デジカメを差し入れてストロボを焚いて撮影したことへの腹いせのようでした。
(デジカメを差し込んで撮影した巣箱の内部は無数の蜂が巣に群がっていました)
現在人間牧場には巣箱が四つ設置されています。種蜂巣箱を除いた後の3つは現在空き家です。師匠の算段で、空き家巣箱の入り口に分封を促すランの切花を取り付けました。蝋蜜は既に塗ってあるので、これで入居してくれればおんのじですが、早々上手くいくものではないことを昨年の経験で知っています。
先日馬路村の木下さんが新しい巣箱を2個届けてくれました。その巣箱もこれから自宅付近に設置する予定です。ふと裏山に誰かが設置している、丸い切り株をくり抜いて作った巣箱のことが気になり、夕方出かけて見ました。都合よく設置している方が松山から観察に来られていて、いろいろと話を聞きましたが、6個も設置して殆どに入居していて驚きました。しかしこの巣箱の欠点は下板がないため掃除ができない仕組みになっているのです。お話を聞きながら私の方がある部分進化していることに、内心ニヤニヤしながら得意げになって話すその方の話を、謙虚な気持ちで聞きました。この巣箱の周りには、蜂を呼び寄せるランの花の鉢植えまで置いていて、なるほどと思いながら早速一つ目の巣箱を家の裏の道沿いに設置しました。
「春盛り 今年も蜂の シーズンが 来たとばかりに 準備モードに」
「片道に 一時間半 かけて来る 師匠の熱意 感心しきり」
「フェロモンを 出すと思しき ランの花 空き家の巣箱 前に飾りて」
「春眠を 邪魔され蜂が 怒ってる 頭巾めがけて 攻撃しかけ」