○一枚の版画
昨日の早朝えひめ地域政策研究センターに立ち寄りました。午前9時半から始まる講演会に行く途中でしたが、昨日の朝はどういう訳か信号も順調、車もラッシュ時間だというのに空いていて僅か40分で松山市内へ入ったのです。余り早く行ってもいけないので、失礼とは思いましたが時間つぶしの感じで立ち寄ったのです。センターは夜が遅いのに朝が早い人たちが多く、どこかのまちの市役所のように「夜が早いのだから朝ぐらいゆっくり」という駆け込み姿とは偉い違いなのです。お茶を入れてもらいそれれぞれの職員とそれぞれの仕事の話を済ませましたが、色々と関われるものだと感心しながら所用を済ませました。
松本研究員から一枚の版画を見せられました。見覚えのある版画です。えひめ地域づくり研究会議が今春20周年記念誌を作った折の記念誌の表紙を飾った版画なのです。
20周年はこれまでを総括するという意味では夕景です。でも20年が終り新たな旅立ちであれば朝の景色です。この版画はそんな目で見るとどちらにでも見えるのです。ふと手元にある記念誌を机の上に出してみましたが表紙の裏に作者と作者の意図が書かれていました。
この版画の作者山田清昭さんは画名が「山田きよ」です。プロフィルによると「1959年喜多郡五十崎町(現内子町)に生まれる。松山デザイン専門学校卒業後、会社員を経て家業の竹材加工業に赴く。1988年、喜多郡内子町にある内子座の企画集団「内子社中ふれだいこ」を仲間とともに結成、公演ポスター担当となったのを機に、シルクスクリーン(切り抜き手法)による版画ポスターの製作を開始、その独特の技法と色使いが評判となり、1993年から版画展を各地で開催、現在も精力的に創作活動を続けている。ふるさと愛媛の風景を題材にした作品が多く、その表現描写はいずれも詩情豊かで郷愁を誘う」とあります。
表紙の言葉/山田きよにもこんな短文が添えられていました。「私は、生業が林業に関係している仕事なので、山間部にはよく行く。こういった棚田は昔よく見かけたものだが、今では殆ど荒廃している。先祖が苦労して造り上げた水田なのであるが、米は作るより買う方が安くつくというおかしなじだいになってしまった。泉谷棚田の人たちは、皆元気である。内子町御そぎ地区に陽しずむ・・・・。まさに日本の原風景といえよう」
味のある表紙の言葉からすると夕景なのですが、見方によっては朝焼けにも見えるから不思議です。私は山田清昭さんとは古い友人で今は年賀状のやり取りしかしていませんが、彼と偶然にもNHKのテレビ出演で一緒になり、岡崎事務局長さんとのやり取りや私との出会いを経てこの版画をいただいたのです。この記念誌は今残部を一冊ワンコインで販売しており、私はノルマの50冊を完売したものの残りの30冊がまだ少し残っている状態です。この版画を見てまた少し頑張ってみようと思い始めました。
「この版画 夕景描きし ものなれど 見方変えれば 朝にも見える」
「原画見て 記念誌売れと 天の声 売れぬもんだな 本という奴」
「ノルマ課し ノルマ達成 出来ぬ人 ノルマ嫌だと ノルマ逆らう」
「早起きは 三文得と いうけれど 私は今朝も 大得したり」