○初めての孫からのハガキ
昨晩は広島県尾道市瀬戸田町での講演が終わってからの深夜帰宅だったし、妻も2日ほど民生委員の役員研修で家を留守にしていたため、郵便ポストの大まかな郵便物は妻が取り込んでくれていましたが、今朝開けてみると、ポストの底に2枚のハガキが残っていました。1枚はこの春学校を退職した春田勝利先生からでした。先生とは社会教育や学校教育で何かと気の会う間柄で、様々な分野で深いご縁をいただいた方です。先生がハガキに書いていただいた「高市小学校に(教頭として)赴任した一年目(平成4年)の夏に灘町の浜にテントを張って、(妻の作った)たこ飯を食べたり、(北風組合長にお願いして)クルージングをした思い出はいつも思い出されます」は、私にとってもよき思い出です。毎日毎月毎年どれ程の人に会い、どれ程の思い出があっても、このシーンは記憶に残っているのです。子どもたちの嬉しそうな笑顔や、春田先生の笑顔も忘れられない記憶のスナップ写真なのです。
もう1枚のハガキは何と孫朋樹からのハガキです。4歳にして始めて書いたハガキなのです。今日は私の63回目の誕生日なのですが、自分さえも自分の誕生日を忘れるような歳になっているのに、娘が教えたのでしょうかたどたどしいひらがなで、誕生日のメッセージメールなのです。
おじいちゃんへ
おたんじょうびおめでとう
これからもむしをいつも(の)よ(う)にとってあそんでね
ともきより
(の)と(よ)が抜けてはいますが、自分の主張がよく分る嬉しい便りです。今朝は気付くのが遅れてしまい、孫はもう幼稚園に出かけた後でしたので、今日から大学の後期講義が始まって大学へ出かけるので、久しぶりに立ち寄ってお礼を言おうかと思っています。
「子どもことは10時10分、孫のことは8時20分」、つまり自分の子どものことは目を吊り上げ、孫のことになると目尻が下がることを私が勝手に言い表している言葉なのですが、このハガキは私にとっては大切な宝物にも値するメッセージなのです。それにしてもまだ4歳だというのに、私なんぞは小学校へ上がっても文字も書けず10までの数さえ数えられなかったのですから、驚きの進歩です。
いい歳になりましたが、最初の21歳までの21年間は分らずまま過ごしました。次の42歳までの21年間は仕事に明け暮れた21年間でした。でも「町に吹く風」という厄年で書いた本がその生き方を総括してくれました。その次の63歳までの21年間は自分の思いや主張で仕事をしてきました。こうして21年間刻みの不惑の21年、がむしゃらの21年、主張の21年がこれから過ごすであろう1年で終わります。今年は3クルー目の仕上げと同時に4クルー目への準備期間です。じっくり頑張ってみたいと決意をさせてくれた孫からのハガキでした。
朋樹君誕生祝のハガキありがとう。
「いつの間に ハガキが書ける 人となる 孫から嬉し ハガキ一枚」
「じじ馬鹿と 言われる程の 馬鹿でなし 素直に嬉し 孫からハガキ」
「気がつけば じいちゃん呼ばれる 歳になり 後なき半生 いかに生きるか」
「カマキリや バッタが好きな 孫だけに 自分の主張 忘れず書いて」