○小さな景観空間
「田舎は長閑で自然が一杯あって美しいし人情が豊かである」と田舎に住む誰もが思っています。田舎の反対語が都会であるなら、多分都会と比較しての田舎でしょうが、本当にその言葉どおりなのでしょうか。私は仕事で田舎と都会をたまに往復する人間なので、いつもその対比をしながら考えるのです。都会のマイナス要因といわれた交通混雑、騒音悪臭、治安の危険、水質汚濁、孤独などのある部分での不安はあるものの、かつてのような殺伐とした都会の姿ではなく、人間の作り出したコントロール能力によって活気や緑が随所にある快適な景観空間に生まれ変わっているのです。これまで田舎の代名詞だったカラスやスズメさえも都会へ引っ越したのか随分都会で見かけるようになりました。
田舎は人間が手をつけてない自然のままであり続けるなら人間が作り出した不自然な都会よりはるかに価値があるはずです。ところが戦後六十年の間に田舎から知恵を持った人間が都会に移り住み、知恵の少ない残された人間が田舎を守ってきましたが、残念ながらその田舎人は徹底的に都会を模倣し始めて田舎はおかしくなってしまったのです。都会の食料供給源だった田舎はその能力さえも失い、安い東南アジアの国々との食料戦争に敗れて所得格差は益々広がるばかりなのです。
田舎は長閑に違いないのですが、車に乗れない弱者といわれる人にとっては交通手段は不便極まりなくまるで時間が止まったような錯覚さえ感じるのです。自然に目を向けても各所に乱開発の痕跡が生々しく残り、耕して天に至った先祖伝来の田畑は放任されて草生い茂り、台風の爪痕は修復することもなく放置されて随所に危険が露出しています。高齢化した社会では一人暮らしも寝たきりも高齢者を標的にしたニュービジネスの餌食となって、画一化された施設に囲われたり施設葬祭で悲しい一生を終わるのです。
そんな田舎なのに誰もそのことに気付かないのか、気付いても目と口と耳を塞いでただ黙々と生きるためだけに働いて、携帯電話みたいな都会と同じ持ち物を格好よさそうに持ち歩いて満足しているのです。
そんな双海町という田舎でも自然と調和した景観空間を作りたいと思っていました。人々の暮しの便利さを優先するために海は埋め立てられて国道になり松山へは僅か1時間弱で行けるようになりましたが、その国道を守るために幾何学模様と表現すれば格好いいのですが無数のテトラポットが海岸を埋め尽くし、無造作に白い帯のようなガードレールが美しい海や島影を遮っていたのです。「あのガードレールを取っ払ったらどんなに美しいだろうか」なんて浅はかな考えからスタートしました。でも海沿いの一直線の道はまるで高速道路ではないかと見まがう程のスピードで車が行きかうものですから、「とんでもない発想だ」と叱られました。でもその道その筋に心ある人はいるもので、私の話に耳を傾け「塩害でガードレールが危険になった」という理由をつけて、新設でなく修復という形で工事が行われ、ものの見事に海岸国道16キロのガードレールが海や空と違和感のない水色のパイプガードレールに生まれ変わったのです。まだその真意や景観に気付かない人が沢山いますがそれでもいいんです。自己満足といわれてもせめて私が満足する景観の向上にいささかなりとも役立てたのですから。私はこのガードレールの変化は国道が開通したと同じぐらいの価値があると景観空間の持つ意味を感じているのです。
「花より団子」の田舎の人々に「団子より花」と幾ら言っても平行線でしょうが、景観には目に見える景観と目には見えない景観があり、手っ取り早い景観は目に見える形の自然と人工による複合物で構成されるものだと仮定して、シーサイド公園の周辺整備を実験的に行いました。でも目に見えるこれらの景観すら人々には何ら意味を成さないのです。そればかりか田舎の景観空間創出事業も、「もっと他に金を使うことがあるのでは?」と言われ、「人が来なかったらどうするのか」とか「赤字になったらどうすrのか」といった無駄遣い論に終始するのです。
田舎は都市の模倣では駄目です。田舎の個性をどう田舎らしく保ったり美しく見せるかが大切です。「田舎はいい」というだけでは田舎は生き続けることはできないでしょう。
「田舎いい どこがいいのと 尋ねたら 空気上手いし・・・・ その後続かず」
「花植えて 少しばかりの お手伝い 町が綺麗と 褒める人あり」
「景観は 人と自然の ハーモニィー 見える景観 見えない景観」
「この町に 思いを寄せて 四十年 景観分る 次なる人は?」