○東京とスリランカ
今回の東京行きは「独立行政法人国際協力機構(JICA)によるTV会議システムを使った「JICA-ネットセミナー」の講師として招かれたものです。JICA本部にある会議室とスリランカの会議室をテレビやパソコンで結ぶという画期的なもので、私をその講師に推薦したのは三菱総合研究所の松永さんでした。
スリランカにおいて観光振興はスマトラ沖地震の復興事業の中で重要な施策となっており、2006年より国際協力銀行(JBIC)による観光振興を目的とした「観光セクター事業」が開始されています。JICAはボランティア事業を主体に連携を図る予定で、そのボランティアの受け皿かつ持続的な観光振興を行う組織としてスリランカの地方自治体に観光課を設立することが求められています。観光課の設置に向けてスリランカプロジェクト関係者に動機付けを高めるため、遠隔講義を通じて日本の地方自治体の観光事例を紹介しようとするもので、その白羽の矢が私に当たったのです。
今回のセミナーのテーマは「地方自治体における観光課の役割」と「地方自治体における観光協会の役割」という2本立てです。そのために37枚のスライドを用意しました。しかし私の書いたシナリオを東京へ送り、その添削したものを資料や写真とともにえひめ地域政策研究センターの職員にパソコン処理してもらう作業を行いました。そしてそのソフトを東京で英訳処理してスライドショーが出来るよう教材を作ったのです。
昨日はJICA本部の研修センター2Fのテレビ会議専用室で入念なチェックが行われ午後1時からスタートしました。前段は観光課の役割について通訳処理した30枚のスライドを基に、総合司会を株パデコの谷口加奈さんと、私の通訳を徳重富士子さんが両横に座ってサポートするのです。
私は真ん中に座りました。そしてテレビに映し出されるスリランカの参加者に問いかけるような口調で話しかけるのですが、私の話と徳重さんのレクチャーと映し出されたスライドが上手くかみ合わなければ相手に伝わりませんからそれはもう大変な緊張でした。でも慣れてくると次第にアドリブや冗談も混じるようになって手応えは十分感じられました。現地と日本では時差が4時間とか、テレビ会議のため音声と映像に多少の遅れが出て少し変な感じもしました。
10分間の休憩を挟んだ後段は観光協会の役割について話しました。私は双海町の観光協会の事務局長を20年間もやっているので、観光課と観光協会の住み分けはうまく話せたような気がしました。前段と後段では50分間のレクチャーに続いて質問や意見交換があり、同席した三菱総研の松永さんからいただいた事前資料でスリランカのことについて知ったかぶりで質問を投げかけたりしましたが、反応も上々でいい質問と答えが出て来ました。特に海辺の町ニゴンボの海を守る運動について、テレビに映し出された双海の海が美しいいことに驚いた様子で、どうすれば海を美しく出来るのか関心が集まりました。20年前は私の町でも海に関する意識は低かったが、今で漁協の女性が山に木を植えに行ったりEM菌で海を浄化していると、取り組みを紹介したところ、大変感心していました。またシーギリアロックという山から見る夕日も美しいと聞いていたのでその夕日こそオンリーワンだと気付かぬ地域資源をそれとなく教えました。
真ん中の画面にスリランカの会場の様子が写ります。左の画面にスライドが写ります。右には真ん中横に置いたカメラで私と谷口さんと徳重さんが発言の度に大写りで写るのです。
やがて3時間のテレビ会議はまとめとそれぞれの感想を述べて終わりました。スリランカは猫目石の世界一の産地です。最近は内戦も続いているようですが、スリランカは私にとって「遠くて遠い国」から「遠くて近い国」になりました。国づくりは国を愛することから始まります。また観光地づくりはコップの共磨き、国民が内なる資源を磨き、外なる人が外側を磨いて行くことが大切だとエールを送りました。スリランカ、一度は訪ねてみたい国ですね。
「外国と テレビで結び 会議する 英語も喋れぬ 何と私が」
「あの私、うんの通訳 息も合い 上手く喋れた 今は安堵に」
「二ヶ国語 話せる人が 羨まし 俺など日本語 さえもタドタド」
「俺の顔 俺の町など 輸出する そんな時代に 俺は生きてる」
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若松さんの「脳みそ」はスリランカに行ったのですね。 SF映画の世界が現実化してきている昨今、スリランカの人たちと同じく 自分の故郷を大切に思う気持ちがより強くなってきている今日この頃です。
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観光カリスマを生んだ
ふるさとへの熱い思い
テレビ会議にて学ぶ
本当にお世話になりました。益々のご活躍をお祈りいたしております。お身体もお大切に。