○一億円の魚梁瀬杉御殿で
今回の講演会会場はダムで水没して集団移転した魚梁瀬地区の真ん中にあって、森林鉄道の鉄路も記念に残されている場所に建つ象徴的な建物でした。ご存知竹下首相のふるさと創生資金一億円を活用して馬路村では魚梁瀬杉をふんだんに使った建物を建てたそうです。村の迎賓館とも思われるこの施設はさすが自慢の魚梁瀬杉材らしく、筋の通った贅沢な造りで思わずうなってしまいましたが、立派過ぎて地元では持て余し気味のようにも思われました。家は大事にし過ぎて使わないとかえって傷みます。しっかりと活用して人が新しい空気を家の中に吹き込まないと中の空気が淀んでしまうものです。
講演会は田舎の時間にしては少し早いのではないかと思われる夕方6時から始まりました。しかしそんな心配を他所に学校の校長先生や診療所の医師先生も来るなど賑やかで、東谷組合長、顔見知りの組合職員、デザイナー、馬路村温泉支配人、木下さんの沖縄から嫁いで来ている奥さんなどの下から上がってきてそれは賑やかな顔ぶれとなりました。「まるで吉本の話を聞くようで久しぶりに楽しい話でした」と、講演が終了した折お世辞を言って闇に消えた人もいましたが、殆どの人が残って横の食堂で交流会が行われました。会費2千円だというのに洒落た料理が並び、高知弁丸出しの酒盛りは多いに盛り上がり、東谷組合長らの乱入もあっていつの間にか「この村をどうする」という地域づくりの方向に向かっていました。印象的に残ったのはNHKのテレビで大雨の旅に「高知県魚梁瀬では○○mmの雨が・・・・・」と宣伝してくれている雨をテーマにむらおこしをしてはどうかという、土木建設会社の社長さんの話でした。水を売る水商売も面白いと、早速自慢の美味しい水を私のテーブルに運んでくれるなど余念のない努力です。毎日降った雨を細長いアクア水槽に一年間溜めて百年分展示するのも一つの方法だし、雨は唄、雨は水、雨は天気、雨は笠、雨は映画、雨は恋などなど面白いとアイディアが次々披露されました。
人間牧場水平線の家に魚梁瀬杉のテーブルがあるので「私の家には150年の年輪を刻んだ魚梁瀬杉のテーブルを置いていて、来た人に魚梁瀬杉の話をいつもしています」と得意げに言ったところ、その社長さんが「150年生の杉は魚梁瀬杉とはいい難い。少なくとも200年はこえていなくては」と口喧嘩を吹っかけてきました。この話も大いに盛り上がり結局は「自分の車庫倉庫に眠っている切り株をあんたにあげるから」とついつい口を滑らせてしまいました。社長さんは今頃酒に酔った失言に気が付いて悔やんでいることでしょうが、私は素面でしたし硬い握手をして確認したことですのでよろしくお願いします。これも酔った勢いでしょうか、東谷組合長が「その魚梁瀬杉はわしが車で運んでやる」と啖呵を切って、「さすが組合長、太っ腹」と皆の拍手喝さいとなりました。やったぞ、本物の魚梁瀬杉のテーブルが手に入りそうです。社長さんの奥さんはとても美人で社長の目を盗んで私とツーショットの写真まで撮りました。
この人が噂の社長さんです。何でも徳島出身だとか。奥さんの顔に惚れて高知県入りしたのでしょうか。
この人が美人の奥さんです。何でもこんな華奢なのにユズ畑5反を耕して昨年は13トンもユズを収穫した東谷組合長自慢のユズ農家だそうです。嬉し恥ずかし若松君。体が凍っているようではありませんか。しかし上の2枚の写真ともさすが夫婦です。偶然にも二人とも同じようなVサインをしているではありませんか。
はいこの人が私の親愛なる友人で、私と同格の観光カリスマ百選です。めxxxxっっぽう酒が好きで、酒が強い高知賢人のモデルのような方です。でもこの方が年間20億を越えてごっくん馬路村を全国に売っているのですから驚いた傑物です。
結局はお酒を行って気も飲まなかった私の一人勝ちとなった交流会でした。行司を務めた木下君も酒に酔っていましたのでどうなるか分りませんが、魚梁瀬杉の切り株の届く日を一日千秋の思いで待っています。あっそれから「足にするのも付けてやる」と社長さんはいってました。木下君お忘れなく。
「魚梁瀬杉 濡らしてシトシト 戸糠雨 迎賓館に 想い集いて」
「口車 乗った相手が 悪かった 杉の切り株 約束どおり」
「人恋し 魚梁瀬の夜は 賑やかに 話し弾んで 夢の数々」
「忙しき 身を押し会場 来てくれる 律儀な人の 心に感謝」