shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年9月24日

○どこの夕日も美しい

 昨日広島県福山市沼隈町に出かけてその日のパンフレットを見て驚きました。私の紹介は私のホームページから取った私の顔写真と双海町の夕日、裏と表には沼隈町の夕日の写真が載っているのです。館長さんが「別に若松さん所の夕日に対向して載せたわけではないのですが、結果的に夕日の写真になってしまいました」と恐縮していました。でも私は「どうだ、沼隈町の夕日も綺麗でしょう」という主張が伝わってきてとても嬉しく思いました。

 私は日本全国へ出かける機会がありその度に、特に海沿いに面した町を訪ねると決まったように「おらの街の夕日も若松さん方の夕日より綺麗だ」と自慢するのです。すかさず私は「それがどしたん」と喧嘩を吹っかけるようにしています。それは私の町の夕日の方が綺麗と自慢しているのではなく、夕日が綺麗だけならどこでも綺麗のですが、それをどう地域資源として活用し、どう自分たちの自慢に結び付けているかが大切なのです。

 昨年だったと思いますが私が埼玉へ講演に行った帰り道、国電に乗って夕闇迫る赤羽辺りに差し掛かった頃、美しい夕日が富士山の傍に感動的に沈むのを見ました。私は窓越しにその姿を眺めながら辺りを見渡したのですが、残念ながら国電に乗っている乗客は誰もその夕日を見ようとはせず、ただし下を向いてメールに夢中になったり本を読んだり眠りこけているだけでした。私は思わず電車が止まったのでプラットホームへ降りてその感動的なシーンに酔いしれました。直情的な私の行動は結果的に荷物だけが先に国電に乗って東京駅まで着くというハプニングを引き起こしましたが、美しい夕日を見て感動しない人も都会にはいるのです。

 昨日沼隈町からの帰り、今治北インターを降りて海岸周りの国道196号を帰りました。ここのところの忙しさもあって少々疲れを覚え、心はわが家に早く帰りたいという一心でした。北条辺りに帰った頃、西の空に綺麗な夕日が沈むのが見えました。車を止めてと思ったのですが、適当なPもなくついつい悪いと思いつつ運転席側の窓を開けデジカメをパチリとやってしまいました。そんな危ないことをと叱られそうで告白をためらいましたが、丁度運良く車が渋滞でノロノロだった時を見計らって撮ったものですからご容赦ください。

 この夕日を見ながらふと日本一を自認するわが町双海町の夕日の存在を思い出しました。多分この頃はもっと夕日が美しいシーサイド公園のベンチに若いカップルが沢山座って、恋を語っていることだろうと・・・・・。そしてこの風景を心だけでなくカメラに収めようとポイントを選んでシャッターを切っていることだろうと・・・・・・。

 先日私の元に一通の手紙が届きました。「久しぶりにシーサイド公園へ行ったけど、あなたの関わらなくなった公園は何か気が抜けて、夕日さえもかすんで見えました」と書いているのです。夕日への思いを前面に出して戦ってきた私への最大の美辞麗句だと思い感謝しつつも、私は彼女に返事を書きました。「確かに今のシーサイド公園は誰がどんな想いで夕日を物語りに仕組んでいるのかよく分らないし、合併という区切りによってもう過去のようなまちづくりの仕事は、伊予市という中心地への横並びで全てが平準化されようとしていることも事実です。でもいつか心ある人が斜陽化や不活気を復元してくれるでしょう。私のような夕日に狂った専門馬鹿のような人間は時代が古いと思うのです。夕日は今も昔のままで色あせないし科学的には何の変化もありません。私たちは本当の夕日の美しさや夕日への想いをこれからも思い続けてゆきたいものです」と書きました。でも人の数が少なかったり売り上げが落ちると社会のせいや人のせいにしてやり過ごすような風潮は少々気になります。

 秋風が吹き始めました。シーサイド公園の上空にはカラフルなパラグライダーが飛び交い、いよいよパラグライダーのシーズンです。パラグライダーを飛ばせたいとはるばる香川県や高知県へ何時間もかけて見に行って実現した夢追いし若いあの頃が懐かしく思い出されます。

  「夕日見て あれやこれやを 思い出す 歳経た証拠と 心苦笑す」

  「もし今度 生まれ変われる ことあらば 夕日の前で 愛を告白」

  「この夕日 自分のものと 勘違い あのまちこのまち 夕日はしずむ」

  「今頃は 俺町夕日 沈んでる 訳の分らぬ 心騒ぎて」

 


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