shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年9月20日

○日本一の親子孫水車

 細川元首相が熊本県知事をしていたころ、平松大分県知事の「一村一品村おこし運動」の向こうを張って始めたのが「何でも日本一運動」でした。この運動は高度成長のブームに乗って日本全国に広まっていったのです。そのブームは過激ともいわれる熾烈なもので、ナンバーワン・ベストワンを狙って各自治体がギネスブックなる認定書を振りかざし、大きさや長さをやみくもに競争する馬鹿げた運動に堕落して行ったのです。石段の長さが熊本県で日本一と名乗りを上げれば、それよりも数段数を増やして日本一を名乗り、水車は僅か5センチ超えて日本一だと大きな看板を掲げてはみるものの、数ヵ月後には新たな日本一に追い越され「数年前までは日本一と言われておりました」と釈明する自治体も出たのです。私は水車の大きさでは自称日本一と名乗った水車を3箇所見ています。一つは大分県本匠村の水車です。この村には知り人も多く、成人式や社会教育の大会などに講演に行ったころは日本一だと胸を張っていました。最近岩国市と合併した山口県美川町の水車も度肝を抜く大きな水車でしたが、今は日本一ではないようです。本匠村と同じく美川町へは合併にからむ自治会のあり方について随分お邪魔をしたものですから複雑な気持ちでした。福岡県朝倉の三重連水車の優雅さや住民が出資して作った内子石畳の水車など数えればきりがないほど、日本の各地には水の国日本と言われるだけあって数多くの水車が今も現役で動いているのです。

 昨晩宿泊していた鳥取大山のふもとにある大山ロイヤルホテルを朝5時に早立ちし、カーナビゲーションの示すままに新見経由で福山まで出るコースを選んで走りました。その目的は親・子・孫の三世代水車を示す看板を昨年夜に通った時見ていたのが残像として頭の中にあったから、一度見て置かなくてはと思ったからでした。

 新見の市街を過ぎて川沿いに看板が立ち、記憶どおりその水車はありました。

 草家の向こうに見える水車は実は骨組みは鉄で出来ています、。多分この大きさになると木では長年持たないのではないかと思うのですが、屋根の高さをはるかに越える大きさですからいかに大きいかがお分かりでしょう。

 これが正面から見た親水車です。水は随分下の方から受けるように設計されていましたが、近くに行くとその大きさはまるでジャイアント馬場のようなお化け水車なのです。

 手前が子、その向こうが孫と3連ですが別々の機能を持たせているようです。ここは水車をシンボルにして紙の館と称して神博物館となってるようで、和紙の手漉きが体験できるようになっていました。

 先日の台風で吹き飛んだ葉っぱを拾い集めて周辺を掃除しているおばさんに少しその辺について質問してみました。水車の水受けは木でできているため風でも吹いてほって置くと木にヒズミが出来て動かなくなるそうです。水の量やその辺を調整するのにかなり手間が要るそうです。3つの水車を「親・子・孫水車と命名し、「三つ揃っているのは日本一」だt胸を張っていましたが、その人の話では北海道に日本一の水車があるのだそうです。

 まあナンバーワンやベストワンを目指すことも大事ですが。、わが町のようにどこにでもある夕日をオンリーワンにして日本一を自認するのも一つの方法だと思うのです。私の町の夕日は水車のようにメンテナンスもいらず、いま振り返れば、手間のかからない地域資源をよくも見つけたものだと、今更ながら感心しているのです。もうナンバーワンやベストワンのような競争の時代は終わり、いかに共生するかを考える知恵の時代になったようです。しかし数時前にも高知県のある町で風力発電の風車を日本一作ってまちおこしなんて話題がテレビで紹介されていました。少し時代のピントがズレているのかも知れないと思いました。

  「日本一 座を奪われて 子と孫を 作って何とか 対面保つ」

  「大きさが 5センチ小さく なっただけ 粉挽く力 変わらないのに」

  「風吹けば 桶屋儲かる 言い伝え 今は水車の 回り影響」

  「水車米 都会じゃ値打ち あるという 田舎じゃ米は どれでも一緒」

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