shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年9月12日

○地元中学校の運動会

 私が子どもの頃は秋祭りの前後だったと記憶している秋季大運動会が、いつの間にか残暑厳しい九月の初旬から中旬になった様な気がします。何の意味を持ってこんなに早くなったのかは定かでありませんが、「こんな遊びみたいな運動会にうつつを抜かすより早く片付けて勉強をすることが大事」とばかりに見えるのです。みかんや稲のように早く作れば高く売れる訳でもないのに何故か早く、秋季運動会なんて代名詞は使えず極早生運動会と改名すればよいのにと思う程なのです。ですから子どもたちも残暑の中で夏休みボケして練習しているものですから身が入らず、結局はやる方も見る方も感動しない運動会になってしまっているようです。運動会が予定されていた日曜日はあいにく秋雨前線の悪戯で順延となり結局月曜日の昨日行われました。

 私は地元中学校の評議委員をしているので、教頭先生が気を使ってわざわざ案内状を届けてくれました。午前・午後・夜間とトリプル会議が予定されていましたが、せめて義理だけはと開会式だけの見学となりました。

 ご多分に漏れずこの中学校も少子化で、加えて町内2校の中学校が統合せずに残っているものですから生徒数も少なく、ご覧のような寂しさです。でも驚いたのは校長先生の開会あいさつに全員の顔と目と心が釘付け凝視されていました。この集中力は余程の訓練がないと出来ないことです。凄いと思いました。また生徒と指導した先生を褒めてあげたい心境でしたが、残念ながら校長先生のお話は出だしにもかかわらずマイクの調子が悪く、父兄のテントまでは届かなかったようで、辛口に言えば前述の夏休みボケのようでした。

 帰り際見覚えのある顔に出会いました。私が教育長在任中に産休に入っていた栄養士の先生が元気な赤ちゃんとこどもをつれて見学に来ていました。あいさつと同時に懐かしさの余りに持っていたデジカメで記念写真を撮りました。娘さんはもみじのような手でVサインをして応じてくれました。

 私はふと自分が中学校時代の運動会を思い出しました。あの当時は生徒数も多かったし、中学校の運動会は取り立てて村に娯楽のなかった頃でしたから村の一大イベントで、学校の2階は全て窓ガラス戸が外され入りきれないほどの観客が大きな声で声援を送ってくれました。花形の分団リレーやマラソンなどは拍手と声援で学校がまるで傷んだスピーカーのようでした。

 私はマラソンが得意でしたが、一年下の従兄弟に心臓の強い早いのがいていつも一番と二番を争いましたが、今考えると他愛のない競争だったと思うのです。

 何年か前、西土佐村へまちづくりの仕事で行った折、「俺はかけっこで3番より下がったことがない」と酒の肴に自慢した若者がいました。よくよく聞いてみるとその学校に彼の同級生は3人しかおらず、結局ビリでも3番と分って大笑いをした話です。その当時は小さな村の小さな話と他人事のように受け止めていましたが、わが町のも少子化の波はどんどん押し寄せ、西土佐村の笑い話が双海町の笑い話になりつつあるのです。人は何故田舎を捨てて都会へ行きたがるのでしょう。人は何故子どもを多く生まないのでしょう。人は何故無意味な競争をするのでしょう。何故の思いが募る中学校の運動会でした。

  「生徒減り 寂しい学校 運動会 雨で順延 さらに寂しく」

  「マイク出ぬ 校長声を 張り上げて 子ども生き生き それに反応」

  「手渡しの 案内届く 運動会 さすが教頭 しっかり頑張れ」

  「三等以下 ならぬと胸を 張る友は よくよく聞けば 三人で走る」

[ この記事をシェアする ]