shin-1さんの日記

○秋蒔き野菜

 昼間は残暑が30度近くまで上がりかなり暑いものの夏の終わりを告げるように、やけっぱちに鳴いていたセミの声も何時しか遠のき、朝夕は涼しげな虫の声が次第に高まってきました。この頃になると町内のあちらこちらで細い煙が立ち昇ります。秋蒔き野菜の作付け準備のため菜園畑の草を引いて、その草を畑の真ん中で焼却するのです。最近は野焼きは環境汚染につながりCO2が増えるからいけないと、お上からお達しがあるようですが、田舎のことゆえ誰に迷惑がかかる訳でもなくみんな一向に構わないって感じで火をつけて焼くのです。夏草の猛威からこれで少し開放されるのかと思うと、したたる玉のような汗も苦にならず元気が出るのです。

 東京へ上京する前、親父から菜園畑の苗床が出来たから大根とカブの種を蒔いて欲しいと頼まれました。丁度東京行きの準備をしていて在宅時だったので長靴に麦藁帽子、首にはタオルというお百姓さんのスタイルで家の横に隣接する畑に出ました。先日まで夏野菜が植えられていた場所は耕耘機が掛けられてすっかり綺麗な苗床に変身していました。88歳になるというのに老いてなお矍鑠と耕運機まで動かす親父の奮闘ぶりにはただただ感心するばかりです。

 私の家は昔流に田舎流に言えば本家です。親父が3代目、私が4代目ですが、徳川家でも名君は3代目ですから私はさしずめ名君のどら息子といった位置づけでしょうか。わが家には親父の兄弟だけでも12人と、今時の時代では考えられないような若松家の末裔が近所にどっさり住んでいます。したがってその末裔を大切にする義務が親父にも私にもあって、野菜は近所の人が「商売でもするの」というぐらいどっさり作り、出来た野菜はあちらこちらに配るのです。今日も青首大根を2袋とカブを1袋蒔く予定だと言うのです。

 親父は何かにつけて几帳面で、畑に畝を作るのにも種を巻くのにも全て糸で作った定規を使い、丁寧な作業をします。それに比べ私は性格がアバウトなのか子どもの頃からよく親父に叱られてきました。いまも親父と私の関係は一向に変化せず、親父と私の意見の衝突原因はここら辺にあるようです。

 親父は最近目が薄くなり、加えて若い頃の手術で片目の視力を殆ど無くしているため、大根やカブのような種を蒔くことが出来ないのです。アバウトに蒔いても目の不自由な親父には分らないのですが、大根が生えてくると「あんな蒔き方を何故したのか」と厳しくとがめられるので、気の抜けないさぎょうになるのです。今日の作業では大根を12畝、カブを2畝も蒔きました。お陰さまで綺麗な菜園が出来ましたが、鳴れない中腰の仕事なので少々腰が痛くなりました。でも親父は休み休み作業をする私を尻目に休むことも無く一生懸命働くのですから頭が下がる思いです。

 全ての作業が終わると親父は肥料を軽めに振って湿る程度に散水をしました。明くる日から雨が降るという天気予報が当たればいい蒔き時となり、1週間もすれば可愛い貝割れ大根のような芽が生えてくることでしょう。

 大根やカブは来月の秋祭りの頃になると早くも食べれるようになります。これからはキャベツや白菜、ブロッコリーやタマネギとその敵機を選んで植え付け冬から春への準備をするのです。この歳になっても元気な親父が野菜の作付けシグナルを出してくれるのですが、私には自信がありません。

 親父は手入れがよいので野菜がよく出来ます。自家製ですので極力消毒をしないよう注意をしているので、安全な野菜が買うこともなく食卓に上ります。いよいよ気温は上昇から下降へと向かいます。流れる風も南風から東風や西風に混じって北風も吹くことでしょう。大根の美味しい季節はもう目の前です。今年も元気で種を蒔けたことに感謝しながら、種を蒔き終わった畑の隅に竹を差込み、その竹に大根とカブの空袋を差し込みました。

  「大根と カブ種パラリ パラリ蒔く 親父と息子 長閑けき田舎」

  「六十を 越しても未だ 親父指示 自立できない 私恥ずかし」

  「空高く 雑草焼く煙 たなびいて 早くも秋は 始まりにけり」

  「俺んとこ 本家名乗って おすそ分け する分余分に 大根蒔きぬ」

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