shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年9月3日

○21回目の夕焼けプラットホームコンサート

 あれは確か21年前の6月30日の出来事でした。前日までどしゃ降りだった雨が止んで、その日は絶好の夕日が西瀬戸の水平線にジューンと音を立てるように沈んだのです。夕日の美しさを訴えても誰も耳を貸さず、夕焼けコンサートをやろうと相談しても「夕日は沈む、そんなもんでまちづくりはできない」と100人のうち99人が反対しました。「そんなにやりたいのならやってみたら」と少しだけ後押しをしてくれたのは妻だけでした。その言葉に押されて無謀ともいえる挑戦が始まり夕焼けコンサートはスタートしました。町名変更騒動の責任をとる形で左遷され(本人は左遷とは思わなかったが)失うものは何にもない時でしたから、かえって意志が強く正面突破やゲリラ戦を繰り返しながら当日を迎えましたが、大方の予想を覆して駅のプラットホームを舞台にするという奇抜なアイディアが受けたのか1000人もの人が集まり、駅は開業以来人で埋まったのです。野外イベントは天気次第ですが梅雨の真っ最中にも関わらず好天に恵まれた運の強さも味方しました。

 あれから21年が経った昨日9月2日(土)、21回目のコンサートが、21年前と同じシチュエーションで繰り広げられました。私はこのコンサート見学のためわざわざ福井県から来られた方々に夕日のミュージアムでまちづくりの話をしてから6時頃コンサート会場へ到着しました。あれ程残暑の厳しかった太陽も6時には随分水平線近くまで降りてきて、絶好の天気に夕日夕焼けを誰もが期待しながらコンサートを聴きました。

 客の入りは例年通りといったところでしょうか。今年も常連さんがかなりやって来て懐かしいあいさつを交わしました。コバの小林真三さんが司会を務め、メインゲストの高橋研さんや加藤いづみさんもすっかりお馴染みでいい盛り上がりを見せていました。しかし何といっても天気がよいことが一番で、この日は今までにないような美しい夕日が見えました。JR四国も夕焼けとロッコ列車を運行してくれ、列車が構内に入るときは思わず大きな拍手が起こったほどでした。

 21回も続いたのは、地元の青年たちが運営委員会を作りしっかりと支えていること。観光協会が町の助成を得て財政的に支援するしくみが出来ていること。行政が事務局となってリードしていること。小林真三さんが音楽プロデュースしていること。夕日を主役にした基本コンセプトがしっかりしていること。JRが全面的にバックアップしていることなどが挙げられますが、20回目の区切りまで深く関わった私としては、今年から予選を兼ねた夕焼け音楽祭が予算の工面がつかず中止になったことが惜しまれます。でも細々ながらでもこうして21回目が開けたことの方が嬉しいのです。

 市長さんや議員さんも数多く見えられていましたが、せめて夕日の町を標榜するのであれば、財政難とは言いながら一枚の名刺代わりとして来年以降も続けて欲しいと願っています。今年のコンサートも色々な出会いがありました。しかし毎年来てくれている人が、「随分顔見知りもいなくなって寂しい限りです」とポツリ漏らすように、お客さんの顔ぶれも随分変わりました。嬉しいいことに水産高校の同級生が顔を覗かせてくれました。定年後も同じ職場で働いているとか。コンサートで歌と夕日を見聞きしながらしみじみ人生について考えたそうです。

  「ああ20年前の私は若かった」コンサートの会場で一人しみじみ夕日に向かって独り言を言いつつ、茜色に染まった人間牧場を下灘駅のプラットホームから感慨深げに眺めていました。

  「二十年 よくも続いた しみじみと 見上げた空に 同じ月が」

  「はじめ年 生まれた子供 早二十歳 俺が老けるの 当たり前だろ」

  「観客の 入りをサポート 赤トンボ 数の上では 人+トンボ」

  「一級の 夕日しずんで コンサート 天気気にせず 唄に没頭」


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