shin^1さんの日記

投稿者: | 2006年9月2日

○隠れた歴史を学ぶ

 私たちの身の回りにはスポットも当たらず苔むして忘れ去られようとしている隠れた歴史がいっぱいあります。例えば道端に建っている記念碑などはその典型で、日ごろ何気なく傍を通ってその存在は知っているものの、「誰が何のために建てたのか」までは知らないし、それを知ろうと思っても「誰に聞けばよいのか」や「どんな文献に紹介されているのか」さえも知らないのです。そんな単純な疑問質問に答えてくれるのが郷土史や地元の歴史家なのです。双海町という町が昭和30年に誕生しておおよそ50年が経ちましたが、双海町と名の付く郷土史は明治100年を記念して編纂された昭和45年に発刊された「双海町誌」と合併前の平成17年に発刊された「改定双海町誌」があります。双海町が誕生する前に手書きの「下灘村誌」「上灘町誌」が3冊発刊されていますので都合5冊しか双海町に関する専門歴史書はないのです。しか手書きの3冊は役場に保管されていて研究のためでないと借り受けることも出来ない訳ですから2冊の「双海町誌」に頼るしかないのです。私は幸いなことにこの2冊の編纂に関わりました。昭和45年当時は歳も若く補助的な存在でしたが、昨年発刊されたものは教育長という職責から編纂委員長として深く関わりました。私は基本的に歴史は大好きです。しかし他の編纂委員を務められた方々のような深い洞察や知識もないのですから、ただ好きというだけの素人なのです。

 先日史談会の現地学習会に参加しました。玉井琢磨という人を顕彰するため建立している記念碑を解読するためです。臨済宗東福寺派の禅寺慶徳寺に集まって玉井琢磨の位牌にお経を唱えた後、早速お寺の和尚さんの話や中島史談会長、磯田副会長、西岡さんの話を中心に興味ある話を随分聞きました。このお寺には中世以来の城主の位牌があったり、歴代の庄屋の位牌が祀られており、その一つ一つも解読して説明を受けました。

 早速雨のあがった現地に赴き、五輪の塔や庄屋のお墓、玉井琢磨の顕彰碑を見せてもらいました。歴代庄屋の中には碁が好きな人がいて、お墓の蓮華が碁盤になっている珍しいお墓もあって、現地研修でしか味わえない学びがありました。

 この日の現地研修の主目的は玉井琢磨の顕彰碑の文字の解読ですが、さすがに長年の風雪に耐えた石物は風雨に晒され苔むして判読が難しく、事前に磯田先生が判読して分らない部分を懐中電灯を当てたり地元の古老を知ってる西岡さんや中島会長さん、山口住職さんの助言を聞きながら皆で文字をなぞりながら調べて行きました。その結果玉井琢磨の顕彰碑を建てるのに関わったであろう殆どの人名が判読でしました。過去にタイムスリップしながら、一人の人間の生き方を焦点化して学び、それを記録に残したり間違いを正す作業は容易なことではありません。ましてや古文書を解読するには文字から始めなければなりません。パソコン文字にすっかりならされている私たちには、手こずる相手なのです。

 夕闇迫る頃、一通りの作業を追え解散となりましたが、二月に一度の学習会はやっと始まったばかりですが、これからの学習が楽しみで、出来るだけ日程を割いて参加したいと思っています。メンバーは少し年齢が高いものの益々元気な方ばかり、この会では中尾先生に続いて私は若い方のようです。若いということは歴史の重みが軽いということです。学び過ぎることはありません。しっかり人間の生き様を学びたいものです。

  「編纂が 縁で始める 歴史学 薀蓄揃いて 俺は新参」

  「苔むした 石に刻みし 名をなぞり 生き様さぐる これも楽しき」

  「分らぬが 分った時の 嬉しさは まるで子どもの 時のようです」

  「過去の人 偉い徳積み 石刻み 名前残せし 次の世代が」

 



[ この記事をシェアする ]