人間牧場

〇今年最初の軽トラ市

 天気予報ではこの一週間、雨や曇りの日が多いと報じられていましたが、軽トラ市のお世話をしている元地域おこし協力隊の冨田さんがfacebookで、「天気予報の降水確率が40パーセントまで下がったので、今年最初の軽トラ市を予定通りやります」と書き込みがありました。雨で中止とてっきり思っていたものですから、「エッ?」と思いましたが、晴れ男冨田さんの前向きな決定を密かに喜びました。

いつもの場所にいつものお店が出店していてホッとしました
いつもの場所にいつものお店が出店していてホッとしました

 北東の季節風がかなり強く吹いてあいにくの肌寒い一日でしたが、軽トラ市は予定通り行われました。土曜日の昨日は果樹の生産者大会と、中予地区剣道大会が同じ場所で同時に開かれていて、臨時駐車場となったグランドには、空いた駐車スペースを探すのに一苦労するほど車が集まっていました。私も人間牧場に出かけて薪割りをした帰りの12時前に立ち寄りましたが、冬のイベントにしては客足が多いようでした。

 昨日は暦によると「友引」のようでした。その名のとおり軽トラ市は友を引きます。にわか通りを歩くと、そこここで知った懐かしい顔々に出会い、立ち話の輪があちこちで出来ていました。物を売ったり買ったりすることもさることながら、出会いの場所や機会が少なくなった現代では、こうした人と人の出会いは嬉しいもので、大いに声を掛け合い安否を確認し合いました。

 私は出店のお店を一通り見て回った後、先日ご主人を亡くしたお米屋さんで十穀米を買い、はるばる久万町からキッチンカーで来ている馴染みの田村さんのお店で、プリンと大福餅を妻へのお土産に買いました。シイタケを売っている袋田さんのお店では、店番の浜田さんと面談しポンカンをご馳走になり、外気は寒くても心はポカポカでした。「枯れ木も山の賑わい」という言葉があります。西下さんや西岡さんと「参加することに意義がある」と話ながら、次の予定があるため会場を後にしました。

  「晴れ男 冬雨さえも 吹飛ばす 天は必ず 良心見方」

  「寒いけど 行き交う人と 声かけて 安否確認 心ほのぼの」

  「友引の 暦そのまま 私など 枯れ木も山の 賑わいですから」

  「私でも ニ千円だが 金落す 雀の涙 集めりゃ何とか」

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人間牧場

〇みつばち高校生という本を読む

 先日久しぶりに出会いを重ねた知人で90歳になる藤原茂さんから、お電話をいただきました。差し上げた蜂蜜のお礼でしたが、蜂蜜を食べながら読売新聞を読んでいると、広告欄に「ミツバチ高校生」という本が発行されていたので、興味があったら読んでみてはとのことでした。早速息子に頼んでインターネットのアマゾンで、注文をしてもらいました。私はネットで買い物をしませんが、息子はいつもネットで買い物をしていて、時折代引きの荷物が届いて、支払いにアタフタすることがあるのです。

DSCN2447 アマゾンは遅くても注文してから2~3日で本が届き便利なため、新聞や雑誌、ネットで面白い本を見つけると、息子にメモを渡して注文してもらうのです。今回の本も3日目に届きました。早速読み始めましたが、ミツバチを飼育している私には内容がよく理解できて、ノンフィクションと一部フィクションの混ざった内容に納得しながら、僅か一日で読み終わりました。今はメモを取りながら再読している最中で、自分の知らなかったミツバチの生態が実によく分る本でした。

 内容は長野県富士見高校の生徒がクラブ活動でミツバチを飼い始め、新しい部を興してから僅か3年間で、農業高校が集まる成果発表甲子園で見事最優秀賞を獲得した話で、心温まるものでした。ミツバチを飼い始めると季節の移ろいや蜂の行動に敏感になり、ハラハラ・ドキドキ、時にはジーンとなることがよくあります。ミツバチのことを殆ど知らずに、ただ飼いたいという一心で始めた私ですが、師匠を持ったお陰で毎年少しずつ上達してきました。でも蜂の生態についてはまだまだ分らないことだらけなので、ある意味バイブルになりそうな感じがしています。

 とりあえず私の採った蜂蜜を、精製して瓶詰めしてくれている息子にも読ませたいと思っています。そういえば長野県富士見といえば私の友人で毎年美味しいリンゴを沢山送ってくれる北村亨さんのふるさとだと、本を読みながら思い出しました。長野県には北杜市清里の観光カリスマ舩木上次さんや木曽福島開田には毎年蕎麦・トウモロコシを送ってくれる大目富美雄さんもいます。懐かしい顔々を思い出しながら夜のふけるのも忘れて読み返しました。

  「新聞で 紹介していた 本を読め 蜂蜜つながり 知人の誘い」

  「メモをして 息子に渡し ネットにて 本を注文 早速届く」

  「この2日 テレビも見ずに 本を読む ミツバチのこと 大いに学ぶ」

  「久しぶり 面白い本 読んだわい メモを取りつつ 再読再読」

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人間牧場

コップの中で「いい湯だな」
コップの中で「いい湯だな」

〇いい湯だな!!

 昨日の夕方、昼間農作業で汗をかいたので、久しぶりに少し早めの一番風呂に入りました。少し熱めの風呂に「いい湯だな!!」「幸せだな!!」と実感して風呂を出て、風呂上りにまだ温もりのある湯呑の湯冷ましを呑もうとすると、中に何やら虫が入っていました。よく見ると確かなことは分りませんが、どうやらコオロギ系のようでした。

 孫たちを巻き込んで、コオロギの入ったコタツ座卓の上の湯呑を囲み、みんなが額を寄せ合いながら、「コオロギは寒いから温泉と勘違いをして入浴しているのかも~」と珍しそうに眺めました。コオロギは秋の虫です。この時期は多分何処かの場所で冬眠をしているため、見かけることも鳴き声も聞こえませんが、暖かい所を求めてやってきたことだけは確かです。

 「そ~っとしておいてやろう」と相談がまとまり、湯呑は片付けることもなくそのままにして灯りを消し、みんなそれぞれの部屋に散って眠ってしまいました。朝起きて湯呑の中を見ましたが、コオロギは部屋を締め切っているので多分部屋の何処かに隠れているのでしょうが、気配さえも感じられませんでした。

 孫が「あのコオロギはどこへ行ったの?」と聞くので、「今日は温泉にでも行ったのかも知れん」と言うと、「ぼくも温泉に行きたい」と会話が続きました。下北半島の温泉で猿が温泉を楽しんでいる様子をテレビが報じていました。ことの外寒い今年の冬は人間だけでなく、どうやら寒さに弱い虫たちにとっても耐え難いようです。

  「湯上りに 湯冷まし飲もうと 湯呑見りゃ 中にコオロギ いい湯だ気分」

  「この寒さ 人間様も 耐え難い まして虫たち もっと寒かろ」

  「北国じゃ 猿が温泉 楽しむと ニュースで報じ 虫も同じ」

  「近頃は 珍しきこと ある度に カメラカメラと シャッターチャンス」

 

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人間牧場

〇薪づくり

 こう毎日寒い日が続くと、暖かいストーブが恋しくなるものです。友人の中にはエコな時代を反映して、薪ストーブを購入して楽しんでいる人も沢山いますが、いざ自分の家に薪ストーブを入れるとなると、色々なことを考えなければなりません。最近はネットオークションで自分の懐具合にあったストーブを、見つけ買うことができますが、まず何といってもストーブに使う薪をどう確保するか考えておかなければなりません。

剪定残材も薪にして楽しんでいます
剪定残材も薪にして楽しんでいます

 薪は買えばいいし、薪の要らないペレットストーブだってあるのですから、「薪の確保など必要ない」と思う人もやってる人もいるようですが、薪ストーブを使うのは室内といいながら、折角なら薪を確保する、アウトドアーな作業をするのも楽しみの一つなのです。私の場合は友人のクヌギ山に分け入り、チェンソーでクヌギの木を切り倒して、持ち運び易いようにその場で薪の長さに切り、軽四トラックに積んで人間牧場まで運び、暇をみつけて大きなマサカリで割るのです。生のクヌギの木は面白いように割れ、その場で自然乾燥をします。

 一ヶ月も経てば立派な薪が出来ますが、それを薪小屋へ収納して順次使うのです。薪面を揃えて綺麗に積んだ薪はまるでインテリアのような味わいを見せてくれるのもこれまた楽しみです。最近はクヌギに限らず、陰切りしたり剪定した雑木の残材も、余すことなく薪にして、家の納屋の軒先に積み上げ、ヒジキやワカメ、タケノコ茹で、時には先日のように、おでんまで大鍋で炊いて来訪者をもてなし喜ばれました。薪ストーブの難点は煙とともに小灰が埃のように付近に飛散して、掃除をしないと見苦しく感じることです。

 まあこのように、いいことだけではありませんが、赤々と燃える薪ストーブの近くに背もたれ椅子を置き、薄い毛布でも一枚身体に乗せて、本を読みながらウトウトするのも楽しみの一つです。私が人間牧場に薪ストーブを入れたのは、たまにやって来る来客を暖かくもてなすこともさることながら、そんなささやかな楽しみを味わうためなのです。今年はことの外寒く、薪ストーブのご厄介になることが多いようですが、薪で炊いたかまどご飯、薪で炊いた五右衛門風呂を、薪ストーブとともに思う存分楽しんでいます。

  「ストーブや かまどに使う 薪作る 少々難儀 作業も楽し」

  「最近は インターネットで 調べれば 薪のストーブ 手ごろにありて」

  「ちょっとした 工夫で日常 楽しくて ストーブ赤々 背もたれウトウト」

  「薪面は まるで田舎の インテリア どこか懐かし ふるさと風景」

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人間牧場

〇竹とんぼの思い出

 先日、日ごろからお世話になっている元県教育次長だった藤原さんに出会いました。90歳という高齢にもかかわらず今なおかくしゃくとして、車を運転する等お元気なご様子でした。その折私が何年か前に差し上げた竹とんぼのことが話題に登りました。竹とんぼといえば普通は竹コブターのことですが、私が藤原さんに差し上げた竹とんぼは、当然のことながらトンボの形をしています。私が町の教育長をしていた頃、上灘中学校の校長先生をしていた窪田さんと一緒に400匹もの竹とんぼを作って、地区別人権教育大会に参加した全ての人に、配った逸話は今も語り草になっていますが、その後も退職した窪田先生に頼んで作ってもらい、その裾分けを藤原さんに差し上げていたのです。

指先に止まった竹とんぼ
指先に止まった竹とんぼ

 藤原さんはその奇妙な竹とんぼの動きが気に入り、家の玄関先に飾っていたようですが、何かの拍子で地面に落ち、羽根が壊れたそうです。接着剤で修理をしたものの以前のような絶妙な動きを再現することができず、願わくばもう一匹欲しいと言われました。私は早速帰宅後講演道具として終っている古道具の中を探し、2匹の竹とんぼを見つけました。早速明くる日息子の新築祝いに出かけたついでに、衣山の藤原さん宅を訪ねました。愛光学園近くだということだけは知っていましたが、携帯電話の誘導で無事藤原さん宅まで辿り着き、ささやかながら竹とんぼをプレゼントさせてもらいましたが、大層喜んでもらいました。

 終戦時最後の騎馬兵だった藤原さんは、今も自宅にいる時は年中素足で過ごす剛の人で、書斎はきちんと片付いていて、積もる話を顔見知りの奥さんとともにしましたが、それにしても窪田先生が作ってくれたこの竹とんぼは、指先や割り箸の先に止まらせると、まるで生きているような実に見事で繊細な動きをするのです。私はこれまで何度もこの竹とんぼを講演先に持って行き、壇上で「赤とんぼ」という曲をハーモニカで吹きながら、まるで軽業曲芸師のように、集まった人に見せました。始めて見る人は一応に驚き、中には欲しいと懇願される人や、強引に持ち帰る人もいました。今は懐かしい思い出ですが、そうだ次の講演ではこのネタで会場をひとつ笑わせてやろうと思い、書棚の奥から手づくりの竹継ぎ竿と竹とんぼを見つけ出しました。「出番ですよ!!」。

  「その昔 竹のとんぼを 400匹 作って配り 今も伝説」

  「竹とんぼ 欲しいといわれ 探したが 記憶曖昧 二匹見つける」

  「竹とんぼ 竿に止まらせ ハーモニカ 吹いて曲芸 会場沸かせ」

  「またやろう にわかに昔 思い出す 出番ですよと 竹のとんぼに」

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人間牧場

〇水仙の花切り

 私の友人で年輪塾筆頭塾生の浜田さんから2~3日前に電話連絡があり、どうしても水仙の切花が欲しいので、どこかないだろうかと相談を受けました。例年だとまだそこここに名残の水仙が咲いているのですが、今年は暖冬で例年になく水仙が早く咲き、その後一転雪の降る厳冬で、水仙の花や茎が雪や強風で根こそぎなぎ倒されてしまい、無残な姿になっているようなので、期待は出来ないと答えつつ、それでも探して欲しいという話になり、昨日の午前中浜田さんはわが家へやって来ました。

稲葉さんが小作しているわが家の畑
稲葉さんが小作しているわが家の畑
豊田漁港が見える絶景
豊田漁港が見える絶景

 雪がちらちら降る中を、雪道に強い四WDの私の軽四トラックに、包丁やハサミ等の道具を積んで、お目当ての下浜のわが家の畑へ向けて出かけました。昨日は運の悪いことに人間牧場に通じる市道は、舗装工事のため通行止めで、入口でガードマンにそのことを告げられ、歩いて登ることにしました。この往還道は近年まで池久保の人たちの生活道でしたが、今は通る人もなくなり荒れ果てて歩くことさえ出来ない状態になっていて、別の道を迂回しなければなりませんでした。

舗装工事のため通行止めの市道には雪が沢山残っていました
舗装工事のため通行止めの市道には雪が沢山残っていました

 記憶に残る雪の積った急な畑道を二人で歩き、やっと目的地の畑に到着しましたが、お目当ての水仙は無残にも雪の重みと強風で倒れていて、その中から僅かに蕾と葉っぱの痛んでいない水仙を探し出し、包丁を入れて何とか切り花をゲットしましたが、浜田さんが欲しい量にはまだ少し足らないようでした。切った花をコモに包んで元来た道を引き返しましたが、この辺りから見える豊田漁港周辺の眺めは絶景で、手持ちのカメラで写真に収めました。

 

雪に埋もれた水仙
雪に埋もれた水仙

私が子どものころ両親に連れられて、サツマイモや麦を背負って汗をかきつつ足繁く通ったころは、綺麗に耕されていた道沿いの畑も、今は作る人や訪れる人も殆どなく、荒れ放題になっていて、少し寂しい気持ちになりました。やがてこの道もイノシシ専用となる運命を辿るのでしょうが、便利さと引き換えに私たちは大切なものを失っているのかも知れません。かつて蒸気機関車が勢いよく走っていた予讃線の線路を、マッチ箱のような小さな一両編成のジーゼルカーが、のんびりと走っていました。

  「水仙の 切り花探し 雪道を 汗をかきつつ 友と二人で」

  「少年の 頃に両親 連れられて 背負い子背負って 登った記憶」

  「ふるさとの 山や畑は 荒れ果てて 間もなくこの道 イノシシ専用」

  「雪の中 水仙探し 切り花を 何とかゲット お手々かじかむ」

  追伸、浜田さんはこの水仙を民俗学者宮本常一の水仙忌に、またその後年輪塾で知り合った二宮金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんに送るようです。毎年のことながら律儀に水仙を送り続けている浜田さんの行動に大きな拍手を送ります。年輪塾筆頭塾生である浜田さんの、そうしたお手伝いをすることは、塾長の私にとっては当然の支援なのです。

 

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人間牧場

〇凍った小路でスッテンコロリン

 昨日の夕方外出先から帰る途中、家にいる長男息子から携帯電話が架かって来ました。「今どこ?」「こちらは猛吹雪」「子どもたちが喜んで雪合戦をしている」「気をつけて帰るように」とのことでした。帰路三秋峠に差し掛かると、双海方面から対向する車の中には、まるで雪国を思わせるように、屋根に雪を沢山乗せた車もちらほら、そのうち吹雪のような雪が降り、双海に入るとその勢いは益々強くなりました。

 

寒いのに外で雪遊びをする孫たち
寒いのに外で雪遊びをする孫たち
家の前の庭も雪で真っ白
家の前の庭も雪で真っ白

自宅近くでは道全体に白い雪が積もり、我が家の入り口付近の急な坂道を滑らないよう慎重に運転して、何とか車庫に入れてシャッターを閉めました。雪の珍しい孫二人は寒さをものともせず、「雪だ雪だ」と大はしゃぎしながら遊んでいました。雪は庭木や前庭を白く覆い、1cmくらいはあるかなあと思うほどでした。「この分だと明日の朝は?」と思っていましたが、朝起きてみると木陰を残して殆どの雪は消えていましたが、バケツの中の水は完全に氷っていました。

 昨夜はぐっすり休んだからでしょうか、今朝はすこぶる体調もよく、ブログを書き終わってウォーキングに出ましたが、寒い季節風をものともせず、自然にユックリズムなジョギングになっていました。そこここの濡れた部分は完全に凍結していたので、注意しながら走りましたが、急な小路の終点で凍った路面を見誤り、思わずスッテンコロリンと転んでしまいました。日ごろの一万歩を目指したウォーキングのお蔭でしょうか、ついた手の甲に多少痛みを感じましたが、頭や足腰にも異常がなく、そのうち痛みも取れてホッとしています。

 帰ってそのことを家族に話すと、まず出てきた言葉は「もう歳だから気をつけないと」でした。私は歳だ思ってはいませんが、家族は「気をつけないと」と私のことを心配してくれていますが、「もう歳」と思っているのです。少し淋しい言葉にも聞こえましたが、妻の差し出したサロンシップを痩せ我慢して「大丈夫」と断わって見せました。強がりを言ったり若いと思っても、気力と体力の差は歴然としています。昨日夕方見た雪の中で戯れ遊ぶ孫たちの姿と、凍った小路で転んだ自分を対比しながら、少し考えさせられた朝でした。

  「このところ ここは北国? 思わせる ような寒波に 戸惑うばかり」

  「携帯で 雪は危ない 気をつけて 息子私を 心配してくれ」

  「積もる雪 ものともせずに 孫たちは はしゃぎ回って 羨ましいな」

  「今日の朝 凍った小路 踏み外し スッテンコロリン 歳だと言われ」

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人間牧場

〇お年寄りの居場所「おたふく」

 つい最近の先日、地域おこし協力隊の川口さんがfacbookで、「灘町3丁目の古民家を再生して『おたふく』というお年寄りの居場所が出来た」と紹介していました。毎週火曜日と金曜日の週2回開いているようですが、大風が吹いた先日たまたまその家の前を通りかかった折看板を見つけてそのことを思い出し、立ち寄ってみました。

 午後3時頃だったし、大時化だったのでお年寄りはいませんでしたが、居場所を作った張本人の宮田さんと織田さんがいたので、「おたふくの室内を見学させてもらったりお話を聞くことができました。この日は居場所を開いて3日目で、運営もまだやっと馴れつつあるような雰囲気でしたが、お二人とも長年福祉の仕事を通して想いを高めて始めたことだけに、とても高い理想を持っておられ感心しきりでした。

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おたふくを開いた織田さんと宮田さん
おたふくを開いた織田さんと宮田さん

 古民家は3部屋の仕切りが取り払われかなり広い奥行きで、ワンコインで食事を提供するための台所も、狭いながら充実していて、保険所の許可もちゃんと取って万全でした。最近は高齢化を反映して、あちこちに高齢者のための施設ができていますが、施設の数が高齢化に追いつかず、順番待ちといったところだし、現在ある施設も少し敷居が高い感じも否めませんが、歩いて通えるこんな身近な所に居場所があることは素晴らしいことなのです。

 それでも理想と現実は違っていて、これからの施設運営は経済的にそれほど甘くはないようで、お二人も口を揃えてその心配をのぞかせていましたが、理想があれば苦難も乗り越えられるものと思われます。かく言う私だって理想のみで、後先も考えず人間牧場という研修施設を作りましたが何とかなるもので、早くもオープン以来10年を越えることができました。行政に頼ったり人の懐を当てにせず、善意を追い風に頑張ろうとしている「おたふく」の皆さんに大きなエールを送ります。

  「大風の 吹く街角の 古民家に 小さな看板 『おたふく』目に付く」

  「お二人の 女性理想を 熱っぽく 語る姿に 感動しきり」

  「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 何とかなるさ やればできるよ」

  「この町も 捨てたものでは ありません 心の熱い 人が沢山」

 

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人間牧場

〇年齢合計255歳の座談会(その2)

 暫く訪ねていない関印刷本社界隈も、少し様子が変わっているから気をつけてと、藤原さんから電話で聞いていたので、少し早めに到着するよう出かけましたが、到着直前に携帯が入り、藤原さんは律儀にも駐車場近くで待ってくれていました。早速本社の7階に案内され、見覚えのある応接間で久しぶりに、関奉仕財団会長の関さんにお会いしました。

年齢合計255歳の座談会
年齢合計255歳の座談会

 藤原さんから聞けば関さんは94才の高齢ですがなおかくしゃくとして、多少耳は遠くなったようですがお元気なご様子でした。案内していただいた藤原さんも90歳と聞き、なおなお驚きを隠せませんでした。早速長年の支援に対するお礼を述べ、これまでの活動の経緯や最近の活動について説明をしましたが、関さん94歳、藤原さん90歳、私71歳という年齢合計何と255歳の高齢座談会が実現したのです。

 私は資金支援を断わるつもりで出かけたのに、何年か前関さんと藤原さんを人間牧場へ案内した思い出話に花が咲き、71歳はまだまだこれからで、むしろ人間牧場での活動で十分だと励まされてしまいました。子どもふるさと体験塾や年輪塾での人づくりも大いに結構と満足され、時候がよくなったらまた人間牧場を訪ねたいとのことでした。ささやかなお土産のつもりで持参した人間牧場で採った蜂蜜の瓶詰めを差し上げ、大層喜ばれました。

 人間は何歳まで元気で生きられるのでしょう。去年亡くなった親父の姿と関さんや藤原さんの年齢を重ねながら、色々な話を聞きました。希望や目標を持って生きることの大切さをしみじみと思い知らせれました。お二人に比べると私はまだまだ青二才です。今一度スイッチを入れ直し、再起動しなければご恩に報いることはできないと思いました。藤原さんは90歳ですが、本社まで自分が運転した車で来られたようでした。毎日山歩きを欠かさない藤原さんのかくしゃくとした姿にも、深い感動を覚えた意義ある再会だった、年齢合計255歳の座談会でした。

  「三人の 年齢足せば 255 71歳の私 まだ青二才」

  「断わりの つもりが逆に 励まされ 後に引けない 状況なりて」

  「違うなあ 希望や目標 持った人 かくしゃく生きて 俺も頑張る」

  「スイッチを しっかり入れて 再起動 ゼロに戻して 出直す覚悟」

 

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shin−1さんの日記

◯土を耕す

 昨日剪定の残材を焼却するため人間牧場へ行き、残り火が完全に燃え切るのを待つため人間牧場の畑を耕そうと、土の中へ鍬を入れました。土を掘り起こすと日本列島がまるで冷蔵庫に入っているような寒さの中でも、土の中では早くも野いちごやヨモギといった雑草の、新しい根が伸び始めて、春の予感を感じさせました。この畑は表作がさつま芋、裏作がジャガイモと効率よく作物を作り、子どもたちのふるさと体験塾の学びに一役買っているのです。

1/3の広さを耕した芋畑
1/3の広さを耕した芋畑
腰を伸ばして見た豊田漁港
腰を伸ばして見た豊田漁港

 この時期の中耕は来月中旬に予定しているジャガイモの植え付け準備です。畑はイノシシの被害に遭わないように金網で囲っていますが、少し急傾斜地のため、土分を少しでも上に上げるよう、斜面の下に向かって鍬を使うため、長く続けることが出来ず、休みながらの作業となりました。立って腰を伸ばし一休みしながら見た海は、港も沖合いをのんびり走る貨物船も長閑な感じがしました。

 この畑は、秋にさつま芋を収穫してから手を入れていないので、雑草が生え始めていて雑草を取りながら、また昔ミカン畑だったため小石も多く、石を拾うのも一苦労です。昨日は時間切れのため半分ほどで止めましたが、残りは助っ人の力を借りて耕し、やがて直前にはマルチをかけて子どもたちを迎え入れたいと思います。

 今は全て機械化の時代で、こんな狭い畑なら耕運機でやると、目をこすり鼻をこすっている間に終りますが、人間の力で耕すことも意味があるような気がしました。お陰様で寒い大寒の一日ながら、少し汗をかいたからでしょうか、昨晩はぐっすり休むことができました。

  「人力で 土を耕す 少しだけ 汗がにじんで 昨晩ぐっすり」

  「土の中 早くも雑草 根が動き 春の予感を 感じさせてる」

  「来月に ジャガイモ植える 準備する 一年巡る 何だか早い」

  「腰伸ばし 鍬持ち立って 海見ると 沖行く船や 港一望」

沖合いを長閑に行き交う貨物船
沖合いを長閑に行き交う貨物船

 

 

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