人間牧場

〇1月4日のお墓参り

 私たちの町では古い習わしとして正月三ヶ日が終ると、1月4日にお墓参りに出かけます。昨日は餅と干し柿を切り、お米と葉つき小みかんを用意して午前8時30分に妻と二人で出かけました。まず最初は自分の家のお墓です。年末綺麗に掃除をしてシキビを新しいのと替えていたので、掃除をすることもなくお水だけを替え、線香を手向けて手を合わせました。昨年の7月に亡くなった親父の戒名が歴盤に新たに加わり、いつもと少し違った雰囲気でした。

 その後同じ墓地内にある親類のお墓にも同じように、お供えをしたり線香を手向け、今度は少し遠い下灘の親類のお墓へお参りした後、一気に妻の実家のある八幡浜まで海岸国道を走り、大法寺というお寺の境内にあるお墓にお参りしましたが、指折り数えれば昨日だけで、15ヶ所ものお墓にお参りしたようです。一年の始まりにお墓参りをすることは気持ちのいいもので、特に最初にお参りした自分の家のお墓と、最後にお参りした妻の実家のお墓では、この一年の報告と新しい年への希望を述べ、家内安全・健康を祈念しました。

 行き帰りの道すがら、車の中で妻と久しぶりに色々なお喋りをしました。今年は年末に亡くなった伊予市の友人谷岡さんのご主人の葬儀が1月3日にあり、私は奥さんの友人として、息子は蒸せ目さんの友人として参列しました。正月の葬式は悲しさが余計込み上げて、思わずもらい泣きをしましたが、喪主を務めた息子さんのお礼のあいさつや出棺を送り家路に着きましたが、その時の私と息子との会話が話題になりました。息子は息子さんの立派なあいさつを聞いて、「お父さんが死んだら僕があいさつをするのだろうが、余り自信がない」と唐突にいいました。「おいおい、俺を殺すな」と思いました。

 そういえば私が親父の葬儀にお礼のあいさつをしました。涙を堪えてあいさつをしましたが、思ったことの半分も言えなかった昔と違い、今は思っていないことまで喋れる自分ゆえ(大笑い)、それなりのあいさつは出来たように思いますが、さて息子は私が死んだ時、多分喪主になるであろうあいさつを、どんな手合いでするのでしょうか?。それこそ見ることも聞くことまできませんが、見てみたい、聞いてみたい心境です。人は必ず一度は死ぬのです。最近墓参りをして気がつくのは、墓地のいたる所にまるで無縁仏のように、草に埋もれた墓地が増えていることです。悲しい日本の行く末です。今から私の死んだ時のあいさつを考える息子は、とびっきり親孝行な息子かも知れません。

  「墓参り 次から次へ 十五軒 供え懇ろ 線香手向け」

  「三ヶ日 過ぎればお墓 お参りし 会う人ごって あいさつ交わす」

  「わが息子 私が死んだ 時のこと 早くも心配 孝行息子?」

  「墓参り する人もなく 草埋もれ どこか悲しい 日本の行く末」

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