人間牧場

〇「若松さんお幾つですか?」

 昨日、「若松さんお幾つですか?」と初春水仙祭りの行われているシーサイド公園で、何人かの久しぶりに出会った人に尋ねられました。「はい71歳です」と答えると、「まあお若いですね」という言葉が返ってきました。その言葉には二つの意味があって、実年齢より若く見えたからと、美辞麗句の誉め言葉のようでした。まあどちらもうれしいことなので、「はい歳をとっても老松ではなく若松ですから」といつものように駄洒落で相手の人を笑わせました。

 しかし「まあお若いですね」という言葉には言った人と私の歳の違いもあるのです。昨日久しぶりに出会った人の中には、私より歳を重ねている人もいて、この歳になっても元気にボランティア活動をしている私を羨ましく思ったようでした。私は現役だった若い頃シーサイド公園を造ったり運営をするのに腐心しました。そのお陰でシーサイド公園は開業以来20周年を向かえ、大勢の観光客が訪れていますが、それを誇りに思う心は多少持っていても、それを自分の功績だと胸を張る必要はさらさらなく、むしろ小さなボランティアを重ねながら守り立てて行くことの方がもっと大事なことなのです。

 昨日私に歳を聞いた人は、満年齢と数え年年齢の両方が分る人でした。ご存知のように正月には「歳をとる」といわれるように、みんなが一斉に歳をひとつ重ねるのです。私が生まれた頃は数え年でした。今日の新聞によれば私が生まれた1944年の5年後1950年に、日本人の年齢を満年齢で言い表すよう定めた法律ができ、年齢=満年齢となったのです。ゆえに正月の度に「数え年は幾つだったっけ?」と頭が混乱するのですあ。私も満の71歳、お正月に数え年は73歳になりました。

 「歳は関係ない、心が若ければ」と言いつつ、体力は嘘をつくことなく「歳相応」となっています。毎日新聞のお悔み欄を見ながら、死んだ人の年齢が自分の歳と余り違わなくなっていることに気がつき、一優するこの頃です。自分の満年齢も数え歳さえも忘れる老いは、強がっても死なない限り誰もが迎えなければなりません。年末大晦日に「年忘れ」という言葉をよく聞きますが、自分の年齢さえ本当に忘れそうな雲行きです。もし可能なら若い時代に戻りたい。そんなことを考えることこそ歳をとった証拠です。さあ歳に関係なくもう一分張り、頑張らずに頑張りましょうか。「私は老松ではなく若松ですから・・・」

  「歳幾つ 尋ねた人に 歳答え お若いですねと 言われニヤニヤ」

  「歳幾つ 尋ねた人に 比較して お若いですね 言われただけだ」

  「歳幾つ 満か数えか 言われたが 自分の歳さえ 瞬時にえ~と?」

  「歳幾つ 聞かれ私は いつまでも 若松ですと 笑いを誘う」

 

 

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