○偶然見つかった無人島キャンプの写真
昨日の夜、自宅をリフォームするため部屋の掃除をしていると、写真が数枚出てきました。無人島へ子どもたちを連れて行っていた当時はまだデジカメがない頃だったのですが、仲間の誰かが一眼レフのカメラで撮影し、近所の写真屋で現像焼付けをしたもの思われます。写真はいずれもワイドで撮影されていました。
早速その中から見覚えのある社子音を数枚選んでスキャナーでパソコンに取り込みデジタル化しました。
(ひょうたん型由利島共和国と銘打ったキャンプ村は、雄由利と雌由利を結ぶ石ころの浜辺に造られ、毎年3泊4日の日程で無人島に挑む少年のつどいとして、50人前後の子どもやスタッフを合わせると100人ほどで楽しく行いました)
(パスポートに入国許可のスタンプが押されると子どもたちはまず家づくりです。テントを持って行かないことは塾の方針で、流木やブルーシートでまるで難民キャンプのような住まいが出来るのです)
(風雨やまさかの時に100人の参加者が一時避難できる本部兼避難小屋は製作に毎年一苦労でした。小屋では3泊4日食事作り用の、古代の火おこし道具で燃やした焚き火の火が消えることなく焚かれていました)
(島から見える西瀬戸の夕景は絶景で、間もなく始まる無人島の火祭りの準備をしているところです。会場に井桁に組んだファイヤーへの点火は感動ものでした)
(丸木舟や筏による無人島探検はミステリーに富んでいました。この写真は子どもたちが作った筏を漁船で家移行してスリルを味わっているところです)
(砂浜での海水浴や食用としてタコや貝を採ることも楽しい思い出です。また夜になると満天の星空の下で、島の井戸から汲み上げ運んだ水をドラム缶風呂で沸かし入浴もしました)
(普通無人島へは難民船のような渡海船に乗って高浜から出発するのですが、この写真は一度だけ双海町灘町海岸から無人島に渡った時の写真のようです。渡海船の航路変更が保安庁に問題視されたりした苦い思い出の一枚です。私が日本一と自認する双海の夕日について説明をしているようです)
写真は時として当時の姿を思い出させてくれます。写真に写った状況が薄れ行く記憶を蘇らせてくれるのです。しかし写真にも限界があって、文字での記録がなければ記憶も出来ないのです。何年か前、フロンティアグループが結成20周年を記念して発刊した「今やれる青春」という本に粗方の記憶を記録していますが、この写真の存在を調べるには少々時間がかかるようです。記憶のまだ確かな今こそ、もう一度丹念な記録をしたいと思っていますが、その活動領域が余りにも多いためいつのことになるやら・・・・。ため息ばかりです。
「掃除中 出てきた一冊 写真集 記憶辿るが 曖昧模糊で」
「無人島 思い出す度 血が騒ぐ 島は今頃 春を迎えて」
「沖合いに 浮かぶ由利島 俺の島 言わんばかりに 足繁通う」
「この子らは 今頃何を しているか 写真に写る 顔々浮かぶ」