shin-1さんの日記

○孫は泣いたり笑ったり

 長男家族が今年から私たち夫婦と同居するきっかけとなったのは、孫希心の保育所への入園です。東日本大震災の影響で家の改造が大幅に遅れたため、今月いっぱいは別々に暮らしているので、孫は松山のマンションを朝早く出て、双海町上灘の上灘保育所に通っています。

 友だちが一人もいない、ましてや5人の入園児の中で4人までが女の子で、男の子は孫一人という不安がそうするのでしょうか、いきなり登園拒否との反抗に及び、見送りに行く母親と毎日涙の別れのようだそうです。園長さんからは「よくあることですから心配は要りません。そのうち慣れますよ」と、優しい言葉をかけられていましたが、その言葉通りこの2~3日は、「僕泣かなかった」と喜び勇んでひとまずわが家へ「ただ今」と言って帰って来るのです。

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 親父はその姿が嬉しくて、朝な夕な孫が来たり帰ったりするのが楽しみで、水戸黄門のテレビよりも嬉しいらしく、ソワソワしながら迎え、時にはお菓子を、時には小遣いを渡しているようですが、降って湧いた曾孫の入園を一番喜んでいるのは親父かも知れないのです。

 今一番大変なのは長男嫁のようです。まず朝早く起きて長男の弁当を作り、下の子ども奏心を連れて希心を保育所へ送ってきます。それが終るとこれから住むであろうわが家の二階を片付け、住んでいるマンションの荷物を片付けて運び込むのです。家族4人の暮らしを移動するのですから大変なようです。加えてなれない生活への不安や私たち夫婦への気兼ねもあると思うのですが、持ち前のファイトで頑張っているようです。

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 妻の手助けも相当なもので、大蔵大臣として資金計画を立てなければならずリタイア年金暮らしゆえに、頭が痛いようです。さて私ですが、今回の二世代同居で一番楽なのは私のようです。しかしこれからは私も育爺としての役割が待っているようです。好かれる甘い爺ちゃんと嫌われる口うるさい爺ちゃんの二つを使い分けなければなりません。そのためにも少し孫育ての勉強をしなければならないと思っています。

 孫は幸い男の子だけなので、娘の子どもたちを相棒として関わった経験を生かして、逞しい子供に育ててやりたいものです。

 今日ももうそろそろ孫が保育所に行くために「おはよう」と言って来る時間です。気がつけば親父と同じで私もソワソワしているようです。


  「毎日が 泣いたり笑う これもまた 楽しからずや 家族っていいな」

  「登園を 泣いて拒否した 二三日 早くも孫は 泣かない成長」

  「ソワソワと 孫が来るのを 楽しみに している親父 実は私も」

  「おはようと 元気な声で 朝向かえ 今日も一日 始まりますよ」


 

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○昨日の愛媛新聞の二つの記事からの学び

 昨日の愛媛新聞の四季録と門欄に面白い記事を見つけました。同じような気持ちで同じ新聞を見ていたのでしょうか、年輪塾の松本小番頭がPDFファイルに加工して年輪塾ネットの会員宛に配信してくれました。清水塾頭を始めネットの心ある会員は折につけこのように様々な情報を流してくれるのですから、せめて見たとか読んだとか乾燥ぐらいは流して欲しいと願っています。

 門欄の「さようなら私たちの田処小」は、大洲市柳沢に住む徳田糸江さんです。糸江さんは双海町から大洲市田処へ嫁いでいる筆まめな方で、これまでにもメールやお葉書をいただきました。田処で西田さんや亀本さん率いる大杉塾の強力なメンバーとして活躍されています。先日人間牧場近くに住む布田さんが亡くなられましたが、布田さんと親類らしく葬儀会場でもお会いしましたし、何度か他の仲間と共に人間牧場へも足を運んでいる顔見知りの方なので、記事を興味深く読ませていただきました。

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 記事の内容は、今年の3月末日をもって閉校となった田処小学校の閉校式の模様でした。文字数の制限もある欄なので短文ですが、実に上手くまとめられていて、当日の模様や歴史が手に取るように分かりました。田処小学校には講演に招かれたり、ホタル祭りに参加したりするため何度も訪れているので、亀本さんから閉校の話を聞いた時、またこの記事を読んだ時、同じような寂しさを大いに感じました。願わくば学校跡地を再度訪ねてみたいと思っています。

 今年の春には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの企画事業である、千本桜の森づくり事業に呼応して、田処小学校周辺に、下灘中学校と共に桜を植樹していただき、よき記念になりました。

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 四季録の記事は松井宏光松山東雲短期大学教授のの書かれた記事です。内容は二宮金次郎の銅像に関するものです。私が塾長を務めている年輪塾では昨年から二宮金次郎をテーマに学習会をしていますし、今月末を目途に県下各地に点在する180体もの金次郎像を会員が手分けして訪問し調査をしているので、余計興味のある記事でした。二宮金次郎の背中にしょっている薪について暮らしの視点から含蓄ある内容が書かれていました。私たちの年輪塾では学びの中で、二宮金次郎、後の尊徳翁が復興の祖であることを学んでいます。時あたかも東日本大震災の復興に心を痛めていますが、尊徳翁の夜話には沢山のヒントが隠されているのです。夜話に詳しい清水塾頭から届くメールには再三再四このことが書かれていて、その度に配信された夜話綴りを開けて読み返しているところです。


  「小番頭 メール便にて 配信す 二つの記事を スキャンし保存」

  「閉校の 憂き目に遭いし 学校を 何度訪ねた 指折り数え」

  「また一つ 日本の田舎の 灯が消えた 寂しくもあり 腹が立つやら」

  「金次郎 背中背負ってる その薪は 日本の暮らし そのものでした」

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