shin-1さんの日記

○東京から慶応ボーイがやって来た(その1)

 昨日は友人の親類という慶応大学の学生が、東京から私を訪ねてやって来ました。聞けば東日本大震災の影響で慶応大学では4月を休講にしていて、その休講期間を有意義に過ごすための行脚だそうで、喜んでお引き受けしました。山内さんという学生は前日空路で松山に入って一泊し、明くる朝早起きして予讃線海岸周りの列車に乗って、7時40分伊予上灘駅に到着しました。駅まで乗用車で迎えに行くと、東京生まれの東京育ちの匂いがするような、見るからに品のよい学生でした。

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 挨拶もそこそこにとりあえずわが家まで案内し、海の資料館「海舟館」、私設公民館「煙会所」を見学し、「夕観所」でお茶を飲みながら私のバックボーンに触れていただきました。運よく孫希心が入園式のため母親とやって来て、親父ともどもご一緒に記念の写真を撮らせてもらいました。孫も時ならぬ来客に驚いた様子で大はしゃぎでした。

 早速見学希望も聞かぬまま翠小学校へ向かいました。東京育ちの学生ゆえ、本物の学校をどうしても見せておきたかったのです。学校は明くる日に迫った入学式の準備で忙しそうにしていましたが、顔見知りの教頭先生にご無理を言って、勝手にそこここを見学させてもらいました。その後学校が一望できる高台にも登り、学校界隈の景観も見学しました。

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 近くのピザ窯にも立ち寄って雑談を交わし、少しだけでしたがグリーンツーリズムにも触れていただきました。その後は私が手掛けた潮風ふれあい公園やシーサイド公園、閏住菜の花畑、海産物屋くじらを一通り見学し、漁協女性部の店ではラヴじゃこ天、妹の店ではソフトクリームの接待を受け、下灘駅の眺望を楽しんだ後人間牧場へ・・・・。

 都会育ちの学生さんにとって、人間牧場までの狭い道は驚きの連続だったようでしたが、水平線の家から下界を見下ろす眺望にはすっかり驚いた様子でした。少し時間があったので、二人仲良く背もたれ椅子に体を横たえて人生観について話し合いました。


 山内さんは東京生まれの東京育ちだそうで、かつてアメリカニューヨークでも一年間暮らしていたそうで、友人の影響もあってか将来は公務員志望だそうです。公務員といっても田舎の役場に35年勤めた私のような地方公務員もいれば、友人のようなキャリアの凄い公務員もいて、私の話など何の役にも立たないと思うのですが、言うこと聞くこと話すこと全てにどこか波長が合って、初対面とは思えない深いものを感じる好青年でした。

 どうですか。下の写真を見ただけでも何か予感を感じさせる若者のようです。私は年齢的に彼には遠く及びませんが、彼から新しいエネルギーのようなものをいただいたような感じがしました。

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  「初めての 出会い思えぬ 若者と すっかり息を 統合しつつ」

  「若者に パワー貰って 元気出る 俺もまだまだ 夢に向かいて」

  「じゃこ天と ソフトクリーム 相次いで 接待受ける まるでお遍路」

  「旅に出て 夢は自然を 駆け巡る 幸せあれと 祈りながらも」 

 

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○テレビコマーシャルの変化

 昨日親しい友人と話をしていたら、その友人が「若松さん、最近テレビのコマーシャルが少し様子が可笑しい気がしない?」と、私に質問めいた投げかけをしてきました。「そういえばAGというコマーシャルが東日本大震災以来やたらと増えたよね」と返せば、「私もそう思います」と同調の言葉が返って来ました。

 東日本大震災は千年に一度といわれるほどの未曾有の大災害ゆえ、無知な私などは「マスコミも派手なコマーシャルを自粛して、社会性のあるコマーシャルをよくぞ」と、むしろ肯定的な拍手を送るほどでした。しかしテレビ番組の途中でこれでもかとACのコマーシャルが流れ過ぎると、番組自体の意味合いが薄れてしまってすっかり興ざめし、少しうんざり気味でした。


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 「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう

 「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう

 「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。

 そうして、あとでさみしくなって

 「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか?いいえ誰でも。

      (金子みすゞの作品より)

 このコマーシャルも最初は良くできていると感心していました。

 ところが先日偶然、古新聞に包んだ筍を近所に住む友人からいただきました。その筍を包んだ4月4日付け朝日新聞朝刊に、佐々木さんという方が投稿している記事を読み、少し変な気持ちになりました。

 「大丈夫?」って聞くと「大丈夫」って言う。

 「心配ない?」って聞くと「心配ない」と言う。

 それでも不安になって

 「安全なの?」って聞くと、「安全だ」と答える。

 聞き間違いでしょうか?。いいえ、昔から

 つまり金子みすゞさんの書いた詩を 今をときめく東京電力側の意図で替え歌ならぬ替え詩にするとこうなるというのです。反応の鈍くて遅い私でもこの替え詩を読んでハッと思いました。東電や政府は地震が誘発した事故にせよ、これ程大きな事故なのにテレビの画面に出てくる人の殆どが「○○シーベルトは安全です」と、まるでオームのように安全性を強調し、未だに殆ど姿を見せず説明責任を果たしていない清水東電社長を批判することすらしないのです。

 気がついてAC(日本広報協会)についてインターネットで検索してみると、何と何と協会長が東電社長であり、AC=東電とう構図が見えてきました。震災でコマーシャル収入が減ったテレビ局はACのコマーシャル収入で食い繋ぐ、つまり東電がテレビ局にお金を出しているから、東電のお粗末な失態を批判できないといわれても仕方がないのです。


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私の友人もそのことを自分のブログで指摘していました。佐々木さんは「心遣いと思いやり」のコマーシャルについても、「心は見えないけれど下心は見える。思いはみえないけれど思い上がりは見える」とも書いていたようです。 筍を包んだ古新聞も筍=包で何となくよく似た字だと今頃気付く愚かな私なのです。

  「何か変 友人指摘 そういえば どこか変だと 今頃気付く」

  「新聞や テレビ信じて 暮らしてる 安心安全 何を信じて」

  「下心 思い上がりも いいとこと 姿見せない 社長の態度」

  「一線で 危険を侵し 働くは 下請け企業 ばかりと聞くが」

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