shin-1さんの日記

○東北の友人からの便り

 3月17日に電話が通じて消息が確認されて、その様子を18日のブログに書いた一関市室根町の金森勝利さんから、昨日一枚のハガキが届きました。短文ながらとりあえずの消息と目の当たりにした被災地の状況、それに復興に向けての取り組み状況が書かれていて、何より嬉しい音信となりました。

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 何よりも嬉しいのは、末尾に「家族全員無事で毎日を過ごしておりますので」と書かれた言葉でした。地震と大津波で一瞬にして家族や身寄りを亡くし、家財をなくした人々のことを思うと、何はともあれ家族全員無事だけでも大きな喜びに値するのです。私たちは日々の暮らしが余りにも豊かで幸せに暮らせているので、ついついものの豊かさや幸せに馴れ、その意味さえも見失っているのです。

 働きたくても働けない、学校へ行きたくても学校に行けない人々のことを思うと、三度三度の食事が食べれることや、枕を高くして温かい蒲団の中で寝れることさえ幸せなのです。


 昨日春休みでわが家に来ている孫と一緒にテレビを見ていました。震災で親を亡くしながらも屈託なく生きる子どもの姿が映し出されていましたが、孫は痛く心を痛めたようで、しんみりしながら見入っていました。親と一緒に暮らせること、ご飯が食べられること、お風呂に入れること、友達が沢山いること、学校へ行けることなどなど、当たり前の幸せを話してやりました。

 ショッキングだったのは、福島原発事故の放射性物質を含んだ水を海に放流することを決め、放流を開始した東京電力と政府の決定でした。海は大きな包容力を持っているため、危険な放射性物質を含んだ水を放流しても、いずれ希釈するから大丈夫という安易な発想は間違っていると思いました。

 四方を海に囲まれた日本はもっと海を大切にしないと取り返しのつかないことになるのです。ましてや海には魚や海草という日本人の食料となるべき資源があるのですから、もっと慎重にしなければなりません。それにしても社長が顔を見せず説明責任も果たさないない東京電力の怠慢は何ということでしょう。また東京電力に追随し「これくらいなら人体に安全」を繰り返す政府や電力の繰り返す答弁も気になります。シーベルトなどという横文字を使って説明されても、私たち国民にはそれがどれ程のものなのかさえも分からないのです。

海は大きなホスピタリティです。異常な熱が出たからと燃料棒に水をかけ、その汚染された水が満杯になると海に溢れ出る、そして今まで汚染されていなかった海までも広範囲に汚染する、素人の私たちが考えても分かりきっている付け焼刃の対処法は、もう限界のようです。これでは北朝鮮の原爆実験に目くじらを立てる資格などあろうはずがありません。唯一の被爆国日本が安易に選んだ原発依存の国策を今一度考え直さなければ習いようです。コンビにも10時までに明かりを消す、夏も冬も暑さや寒さを我慢する、そんな暮らしの改善をこの際目指したいものです。


  「汚染水 海に流せば 希釈する 安易考え 将来禍根」

  「水かけて 増えた汚水が 溢れ出す 誰でも分かる 水かけ論を」

  「海汚す 国に隣の 国自省 促す資格 ないと心得」

  「よくもまあ こんな決断 したものと 呆れた口が 塞げないなあ」

 

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○元町長の奮闘

 私は昭和45年に役場に勤め始めてから平成17年に退職するまでの35年間で、3人の町長さんに仕えました。最初の仲野和町長さんとは、教育委員会で社会教育を担当しながら、企画調整室係長、総務課係長の兼務辞令をいただいて、町を二分してリコール運動にまで発展した町名変更を担当しました。

 次の丸山勇三町長三とは、双海町の夕日によるまちづくりを企画調整室室長補佐と地域振興課長として、4期16年間の長きに渡って担当しました。

 そして上田稔町長三とは教育長として双海町誌編纂や合併処理にまつわる様々な事業に2年間関わらせてもらいました。いずれの仕事も長い短いは別として、私の人生においてかけがえのない貴重な体験だったし、今も全力投球できた満足感を持っているのです。

 仲野さんは4期町長を務められましたが、第一線から退く理由が選挙による敗戦だったゆえに、その後の出会いはそれ程多くはありませんでした。ライオンズクラブの会長を務めるなど高潔な実業家として生きて来られ、今も高齢ながら元気に過ごしておられます。願わくば元気なうちに一度お会いして過ぎ越し人生をかたりたいとも思っています。

 丸山さんは5期町長を務められました。在任中は県の町村会長や県の合併推進委員会の委員も務められ、次の上田さんにその職責を譲り引退されましたが、退職後は悠々自適のように見えたものの、思わぬ不慮の交通事故に遭い一昨年末天国へと旅立ちました。退職が私より2年早かったため、在職中も退職後も時々立ち話をする機会がありましたが裏話などは聞けず、今にして思えば残念でなりません。

 上田さんは仲野さんや丸山さんとは違い、商工会長も兼ねた議員さん出身で、外国語も話せる知識人として活躍しました。外国生活も長く、家の都合で帰郷してからはまちづくり青年会議の会長を務めるなど、私のまちづくり構想の最大にして最高の理解者として大いに議論を戦わせました。町村合併で在任期間は2年でしたが、新しい伊予市の初代教育長として活躍をされていましたが、1期で退任され松山市の国際観光推進監として今も活躍をしているようです。

 3日前の愛媛新聞の地方版ワイドえひめ「人ひと人」という欄に顔写真入りで紹介されました。見出しは「自転車と共生する街に」というタイトルの記事でした。

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 何ヶ月か前出会った時、「暇な時に読んで下さい」と手渡されたレポートを読んでいたので、僅か300字ほどの記事を読みながらその考えを納得しました。上田さんの頭の中では伊予市や愛媛県という小さな世界は存在せず四国さえも狭い感じがするのです。若いころ世界を舞台に活躍した過去を思えば当然のことなのですが、自転車と共生する環境都市とは面白いと思いました。東日本大震災で壊滅的な被害を受けている福島原発や大津波被害のことを思うと、納得納得です。9月には10日間の日程で四国一周サイクリングが予定されているようですが、成功を祈っています。元町長の嬉しい活躍に大きな拍手を送ります。

  「元町長 違う世界で 活躍と 新聞報じ スクラップする」

  「鳥の目を 持った男の やることは さすがさすがと 感服しきり」

  「三人の 町長仕え それぞれに 違った仕事 成果を残す」

  「いい人に 巡り会ったと それぞれの 顔を思いつつ 朝を迎える」

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