○今朝も少しながら報徳釧を読みました
年輪塾を開塾して2年余りが経ちました。民俗学者宮本常一の全てを悟れぬままつまみ食いのような格好で、次のテーマである二宮尊徳に軸足を移していますが、塾頭清水和繁さんからメールで送られてくる資料に一日一回は目を通すよう自分に言い聞かせているものの、日々の雑事に追われてこれさえも意思半ばといったところです。それでも本屋に行けば二宮尊徳の本を手にとって立ち読みしたりするのですから、やはり心のどこかに二宮尊徳が潜在意識として存在することはありがたいことなのです。
二宮尊徳の本を読んでいて、根本的な考えを報徳釧に見つけました。
父母の根元は天地の令命に在り
身体の根元は父母の生育に在り
子孫の相続は夫婦の丹精に在り
父母の富貴は祖先の謹功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り
子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三に在り
衣食住の三は田畑と山林に在り
田畑と山林は人民の勤耕に在り
今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り
年年歳歳に報徳を忘る可からず
尊徳翁の根本精神は、天地自然をはじめとして、父母、祖先、夫婦、子孫の恩恵にあずかっているか、計り知れないものがあります。ましてや生存の三大原則である衣食住にかかわる田畑と山林、それに従事している人民の勤労やそれを束ねている産業社会の恩恵は計り知れないのです。
私たちはその意味では「生かされて生きている」のです。教育者森信三やイギリスのサッチャー元首相に大きな影響を与えた二宮尊徳の教えは、読めば読むほど深く、凡人の私には到底真似のできない生きた教えなのです。でも万分の一でも教えに近づけるよう、日々精進したいと今日も僅か数ページを読み解きました。
「今朝も読む 報徳訓の 一節を 清し気持ちで 今日を迎える」
「生かされて 生きてることも 気付かずに 己がことだけ 考え愚か」
「手を合わせ 感謝の気持ち 懇ろに 今日も一日 生かされ生きる」
「知ってても 行いなくば 意味なさず 一日一つ それで十分」