〇私のエネルギーの源は5つかも
私は時々出会う知人友人から、「若松さんはいつもエネルギッシュに生きていますね」と、お世辞にも似た言葉をかけられます。自分でもポジティブなプラス思考の人間だと思っているので、そんな言葉を聞けばある面嬉しくなったり納得したりもするのです。
先日人間牧場へ視察に来られた人が私の話を聞いて、「若松さん、あなたのそのエネルギーの源は何ですか?」と唐突に尋ねられました。「そうですね」と思いつくままに私のエネルギーの源を考えて話しました。まず何といっても第一はフィジカル(肉体的)なエネルギーです。規則正しい快眠・快便・快食によって支えられた健康な体なしには何事も出来ないのです。加えて体力はほおっておくと落ちる一方なので、毎日自分流の運動は欠かしません。寝る前と朝の体操は欠かさず行い、閑さえあれば裏山の少しきつい坂を登るようにしています。人間牧場が出来てからは年に何回か草刈作業があるので、これが私にとってはかなり重労働ですが筋力アップのつもりで楽しんでやっています。
第二はメンタル(精神的)なエネルギーです。私はリタイアして職場がないため、おおよそ家庭・仲間・地域の3つの空間を行き来していますが、時には講演などを通した広域的な場所へも移動して様々な活動に加わっています。人間牧場もその一つで、気心の知れた仲間たちと様々な活動を企画し、大いにわが世を謳歌しているのです。メンタルの根本は家庭で夫婦・親子の人間関係はとても大切なエネルギーの源のように思われます。メンタルを支えるものに経済的裏づけは欠かせない要因です。それほど豊かではありませんが、毎日の暮らしを組み立てて行くだけの年金も支給され、まあ何とか食える最低限の保障は確保されているのです。
第三はソーシャル(社会的)なエネルギーです。メンタルな部分とかなり重複している部分もありますが、現代では地域社会そのものの存在が得てして忘れられようとしています。運命共同体として社会からいただくエネルギーは相当なものがあるようです。しかし一方では社会悪とでも言うべきものもあって、必ずしもソーシャル全てが自分のエネルギーとなる訳ではなく、むしろマイナスエネルギーだって発生するのです。そのマイナス作用ががあるから人は謙虚になるのだと思えばマイナスもプラスのエネルギーになり得るのです。
第四はスピリチュアルともピュシスともいうべき(自然的)エネルギーです。実はこのエネルギーは凄いもので、太陽や月など宇宙の偉大な力によって人間は生かされているのです。太陽が昇ると昼になり沈むと夜になる、太陽や月の自転公転によって季節や潮の満ち干きが起り、そのことが動植物に新たなエネルギーを与えるのです。何気なく自分自身の力で生きているように見える私たちの日々の暮らしの殆どはむしろこのスピリチュアルなエネルギーかも知れないのです。
そして最近そのことに気がついたのですが、親から子へ子から孫へと続く遺伝子みたいなウイッキペディア(遺伝的)エネルギーもあるような気がしています。10代前に遡ると私の先祖は1024人います。つまり1024人のどれが欠けても私の存在は成立しないのです。最近顔も形も、声や性格までも自分自身が親に似てきたことを感じるのですが、これはゲノムのいたずらかも知れません。
まあ人間はこして様々なエネルギーの殆どを外から補充して自分のエネルギーにしながら生きているのです。そのことに感謝しながらこれからもいいエネルギーを入力し、いいエネルギーとして出力しなければならないのです。勝者はそれをなし得た人かも知れません。
「人が問う エネルギー源 何ですか? 口から出まかせ おおよそ五つ」
「ちょっとだけ エネルギー源 考えた これを大事に 今後も生きる」
「風邪を引く ただそれだけで エネルギー 減るのですから 注意しないと」
「妻笑顔 ただそれだけで エネルギー 増えるのですから ゴマをすらねば」