shin-1さんの日記

〇桜を愛でる

 「一生のうちであと何回くらい桜を見られるのだろうか?」と考えながら、今年も桜の季節を迎えました。私の生活設計どおり85歳まで生きるとすればもう20回しか見れないのです。これまで65回も桜の季節を見てきた自分にとって、20/85の分子はこれまでの65/85という分子から比べるととてつもなく少ない年月なのです。ゆえに今年も心おきなく桜を目に焼き付けようと、このところ毎日のように桜を眺めているのです。

 今日は仕事で休めない妻のために午前中、長浜の病院まで薬を貰いに行きました。コレステロールが少し高いといわれたためのお薬ですが、病院の近くに住んでいる妻の妹の家に立ち寄り、病院の院長が妹婿の甥なので薬を貰いに行ってもらいました。いつまでたっても病院はどうやら苦手のようです。

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(上り線)

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(下り線)

 道すがら海岸国道の山側が桜の花が満開で、時折通る大型トラックの風圧によってまるで桜吹雪のように花びらが舞い散っていました。せっかくだからと、長浜と双海の境にある郡境の駅「喜多灘駅に立ち寄り、急な石段を登ってプラットホームに出ました。列車に乗る人も訪ねる人もなく駅は散閑としていました。列車は朝と夕方を中心に上下12本が運行されていますが、将来のことを思うとどうなることやらと心配です。

 易者の下にある金森というお店に立ち寄りました。ここは同級生の上田里美さん(砥部町在住)の実家です。家の犬走りに鍋や釜が無造作に置いてありました。おばあさんに声をかけたら、これは不燃物だそうで、もし必要ならば差し上げるとのこと、丁度人間牧場のかまどに合う鍋と釜があったのでいただいて帰ることにしました。

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(本田に向かって右側の桜、右近の桜かも)

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(本田に向かって左側の桜、左近の桜かも)
 三島神社の楼門両脇には品種の違う立派な桜が咲いていて、夜はライトアップしているのを昨晩見たものですから、亀の森に車を止めて、楼門まで長い石段を駆け上がりました。願わくば今晩あたりライトアップした夜桜も見たいと思っています。

 もうそろそろ満開見ごろの潮風ふれあい公園の桜を見ようと、本郷の道を走ると大通寺の前に枝垂桜を見つけました。少々小ぶりですがこれも見事でした。

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(大通寺の枝垂桜)


 そして最後は潮風ふれあい公園千人塚の桜を見に行きました。下から眺める桜もおつなものですが、上から見下ろす桜もまた絶景です。既に何人かの見物客が来ていて、陽だまりでは何組かが花見の宴を開いていました。海も長閑に凪、満開の桜を愛でれる幸せをかみしめながら、ひとり桜見物をしました。幸せです。

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(今年も一押しの桜の名所、ふたみ潮風ふれあい公園千人塚の桜)

  「もう何度 桜の花を 見れるやら カメラと両目 そして心に」

  「この国に 生まれ桜を 見れる俺 幸せですと メールを送る」

  「桜花 このまま散るなと 声掛ける 返事もせずに ヒラヒラ一輪」

  「昔なら 花見りゃ酒と 思ってた 今じゃ抹茶で 風流たしなむ」

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shin-1さんの日記

〇叔母の葬儀あれこれ

 今年のお節句は、急に亡くなった叔母の通夜や葬儀で明け暮れました。楽しみにしていた花見も長男家族の帰郷も、またぼっやん劇場からミュージカル正岡子規の観劇も、全てキャンセルとなって少々落胆しましたが、これも仕方がないことと諦め、深い交友のあった叔母の葬儀に心を込めて参列しました。

 葬儀の仕方がそこそこの宗派によって異なるため戸惑いも多く、また見知らぬ親類縁者は余り居ないものの葬儀を出す家の思惑もあって、慣れぬことゆえ様々な発見がありました。

 今回の葬儀は3日が友引だったため葬儀が一日延びました。ゆえに通夜を2日したような気持ちです。それでもかなり大きな家なので、差岩にも叔母は長年住み慣れた自宅で2日間過ごすことができました。寄り添うようにしていた叔父も恒例で病弱なため、誰もがその体調が葬儀中持つかどうか心配しましたが、幸い気が張っているのか思ったより元気で葬儀を終えることが出来たものの、残された叔父の行く末が気がかりなところです。死んだ叔母と残された叔父の姿をこの3日間ずっと見続けながらわが身に置き換え、夫婦とはいったい何なのか、また夫婦はどうあらねばならないかを考えさせてもらいました。

 葬儀に行っていつも思うことですが、嫁の存在が少し気になりました。この家の嫁は病院の看護婦をしています。ゆえに5人の子ども、つまり叔母にとっては孫の子育てはおばが一手に引き受けてやってきたようにも思うのですが、それでも夢は仕事と糧の両立を考え一生懸命、親子の人間関係の狭間で気兼ねして生きてきたに違いありません。勿論今回喪主を務めた長男も嫁と親の間に立って気苦労も多かったことでしょうが、今もこれからもこの家を取り仕切るであろう嫁の存在は、葬儀の現場で見る限り少し隅に追いやられた感じがしました。娘や息子、叔父や叔母も大事ですが、長年苦労をともにして何かある度に喜怒哀楽を分かち合ってきた嫁にこそ、気を使ってやらねばならないと思いました。

 葬儀には隣組内と称する24戸の近所の人たちが集まって通夜や争議の世話をしてくれました。しかし葬儀の仕方が昔と随分様変わりし、葬祭会館でするようになってしまったため、組内の役割は受付をする程度になってすっかり手を持て余しているようでした。墓穴を掘ることも、竹を切りに行くことも、葬儀道具を運ぶことも、ましてや葬儀の役付きを紹介するなくなって、近習の人間関係の希薄さの中で形骸化する様は、今後改善の余地があるとしみじみ思いました。さりとて妙案を出す立場にないため、自分の近所でこの話をすることは92歳の親父を抱えているだけに出し図来感じもするのです。しかし何はともあれ一考を要することだけは強く感じました。


 昨年のアカデミー賞で脚光を浴びた日本独特の「納棺」の儀式を取り仕切る若い葬儀屋さんの姿を、この日はまざまざと見ることができました。死出の旅に出る叔母の遺体を、様々なしきたりに沿って指図しながら納棺する姿は神聖でした。

 親父は年老いているため、通夜にも葬儀にも出ませんでしたが、前もって前々日連れて行きお別れをさせてやりましたが、自身の妹だけに気がかりだったようで、私たちが葬儀や法要を終えて帰宅したのは9時近くになったにもかかわらず起きて待っていました。この日の一部始終を報告してやり、やっと安堵の床に就いたようでした。

  「あれこれと 何やかにやが 気になって 考えさせられ 葬儀を終える」

  「葬儀では 何処か空しい 嫁立場 わが家だけでも 考えなくちゃ」

  「納棺を 仕切る兄ちゃん テキパキと まるで映画を 見ているようだ」

  「夫婦とは 一体何を 意味するか 二人で逝けぬ  死出の旅路は」

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〇足腰脛の三拍子

 この2~3日、叔母の急逝で親類縁者が顔をお合わせています。さすがに遠方に住む人たちは体の不調で顔を見せませんでしたが、近所に住む馴染みの顔の叔父や叔母たちは、座る度立つ度に「よっこらしょ」と掛け声を掛け、特に座っていて立つ時などは何かにつかまらないとよろけてしまうのです。

 口に出る言葉も「脛が痛くて座れん」とか、「私ももう歳だ」とか、「病院のご厄介になって薬を飲んでいる」とか、弱々しい言葉を口にするのです。「お前は若いからいいが、いずれ歳をとったら私のような体になる」と、私の将来予言まで助言してくれる有様です。

 確かに私の身の回りを見れば親父・叔父・叔母は言うに及ばず、近所にも年寄りがたくさん増えて、高齢化社会を実感するのです。それもそのはず若いと思っていた私さえ65歳の高齢者になったのですから、実感するのは当たり前のことなのです。

 歳をとった人の話は「体の不調」と「年金」、それに他愛のない「噂話」が殆どで、暇さえあれば3つのことをまるで舌好調に話すのです。体が不調で病院へ行くからでしょうか、病気のことや医療のことなどはまるでお医者さんのように詳しく、「〇〇の医者がいい」とか「〇〇の薬やサプリメントがよく効く」とか、口から出る言葉はまあ詳しいです。

 それに比べ年金の話になると「年金が少ない」「年金が介護保険などで引かれて少ない」など不満たらたらで、国会の答弁などを聞いているのか、まるで大臣のようなことを言って政治を悪者にしている反面、年金制度のことについてはまったく内容を知らずに話しているようでした。

 お年よりは噂話も大好きで、「ここだけの話じゃが、人には言わないように」と釘を刺し、ひそひそ話をしているつもりでも、耳が遠いため壁に耳ありなどそっちのけでボリュームを上げ、まるでスピーカでも使っているような大声で話をしているのです。

 歳寄りは思い込みが激しく、3ヶ月前に法事で出会った時に話したと同じことを聞きました。お年寄りは人に話を聞いてもらうだけで安心するのですから、初めて聞くようなそぶりを見せて相槌を打つのです。これは叔父や叔母を馬鹿にしたのでは決してなく、これも高齢者対処方なのです。「その話誰が言いよった」「みんなが言いよる」なんて噂話は枚挙に暇がないのです。

 「私のいずれああなるのか」と思いつつ、叔父や叔母を見ていますが、たった3ヶ月だけでも衰えを感ずる叔母も居れば、老いてなお矍鑠とした生き方をしている叔父や叔母も見受けられるのです。元気の源はどうやら働く、生きがいを持つ、心と体の健康が維持だ着ていることににあるようです。


  「健康と 年金それに 人噂 それしかやること ないのか知れぬ」

  「足や腰 それにお膝が 痛くてと 畳に置いた 椅子に座りて」

  「この次は お前の番と 予告する 膝腰肩の 痛み受け継げ」

  「体力と 気力微妙に ずれ始め 年齢悟る 分相応」

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〇気がつけば春真っ盛り

 初物好きな日本人好みのニュースとして、「今年の桜は例年より10日も早く高知で開花」という嬉しい便りが届いてから、まるでエレベーターのように論高下する気温の変化に翻弄されて、結局咲いてみれば例年と殆ど同じ頃の桜の花の満開となってしまいました。例年の事ながら宇和島や松山、高知、熊本など、どちらかといえば早く咲く地域では、開花日本一を目指す余り意味のない競争に一喜一憂し、「勝った」「負けた」「来年こそは」とリベンジを誓う人たちもいて、傍目少々同情したりもするのです。


 市役所支所に勤める大森さんからいただいた手作りの卓上カレンダーも、閏住菜の花畑を行く予讃線海岸周り列車をあしらった3月から、本郷潮風ふれあい公園千人塚の桜の写真が登場する4月に捲られました。

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 サンデー毎日の私に曜日は無縁なはずですが、長年のお勤めの癖なのか、やはり日曜日は人様同様、何処かソワソワ、ワクワクするのですそれは日曜日が勤めている妻の一週間に一度の休日でもあるためでもあるのです。今日4日から始まる今月の日曜日は4日・家族花見(私だけ坊ちゃん劇場で正岡子規の観劇)、11日は前日から私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの世界遺産を巡る旅でなら方面へ旅行、

18日は叔父の3回忌法要・今治講演、25日は前日の人間牧場での年輪塾セミナーに加え、西予市卯のほたるの牧場訪問と、まあ結局今日の突然入ってきた叔母の葬儀を含めると、相変わらず全ての日曜日が塞がってしまっているのです。

 まあこの歳になって毎週日曜日やることがあるというのは結構なことであり、仕事もさることながらやることがある向うにはたくさんの知人友人が居るということですから、それはそれとして喜ばなければならないのです。

 大森さんの綺麗な根源角写真を見て、ふと私のブログマイページを飾る私が撮った同じアングルの写真も中々の出来栄えだと手前味噌ながら喜んでいるのです。今年ももうそろそろこのアングルで桜の花を撮影したいと、お墓参りの際に石の上に落として少しガタが来たデジカメを見ながら思っているのです。

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 今年も巡ってきた桜の美しい季節を、もう少し愛でながらわが人生65年目の春を記録と記憶に残したいと思っています。お陰さまで下手糞ながらこうしてブログという優れもののデジタルに出会い、記録が出来ることを嬉しく思いながら、加齢とともに薄れ行く記憶を現状維持しようと、毎日せっせと朝夜2本のブログ書きに毎日挑戦しているところです。

  「友くれし カレンダー一枚 捲り見る 見覚え桜 華麗に咲きて」

  「俺にでも 写せるんだと 胸を張る 水平線が ゆがんで未熟」

  「そろそろだ 頭の中で 機伺う 天気の良い日 写しに行こう」

  「四日しか ない日曜日 全て駄目 自由人だが 自由にならず」

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〇81歳の叔母が亡くなる

 親父の妹の叔母さんが急逝しました。12人兄弟の長男が92歳の親父で、12人目の叔母は私より一つ年上だけの66歳です。計算して見ると祖母は26年間で12人、つまり単純計算すると2.17年に1人子どもを生んだ計算になるのです。まあ生むことはよしとして、その子どもたちを戦前・戦中・戦後と激動の時代を貧乏に耐えながら、加えて末っ子が生まれて間もなく祖父が亡くなるという不運にもめげず、育てたのですから、頭の下がる思いがするのです。

 その裏には12人の子どもが家の労働力になって一生懸命支えてきたのです。多分一昨日家で倒れ救急車で病院に運ばれ、一時的に記憶が蘇ったもののその後なくなるまでの81年間は、言葉で言えない苦労があったものと推察するのです。でも晩年は嫁いだ郵便局員のを最後に退職した叔父や息子夫婦、それに内孫5人とともに双海町を離れ、病気に悩まされながらも松前町で穏やかな暮らしを続けて、ある意味幸せな余生でした。


 人は必ず老い必ず死を迎えます。今晩6時から自宅で通夜があり、私たち夫婦も出かけましたが、親類縁者が集まり、また隣近所も集まり部屋は、在りし日の人徳を偲ぶように満席の状態で、ご住職の枕読経や回し焼香がありました。

 読経が終わって住職さんがお説教をされました。

 人は産まれた時殆どの人が祝福をされ、喜びの喚起の中で産声を上げるのに、死んだ時は何故涙を流して悲しむのか、そういえば人の一生も始まりと終わりではえらい違うものだと改めて思いました。住職さんがおっしゃるのには、終わりに悲しむのだからもっと生きている間だけでも笑って暮らせるようにして欲しいと述べられました。納得納得です。

 明日は10時30分から納棺、13時30分から葬儀、そして火葬場で荼毘に付され精進落とし進みます。年末に義理の叔父が亡くなり、3ヵ月後に叔母の葬儀です。また再来週は叔父の3回忌法要と仏事が続き、親族も少し沈みがちの出会いです。

 亡くなった叔母は書家の叔父の影響を受けて達筆で、親父や私に頻繁に手紙をくれていました。その度に目の薄くなった親父に読んで聞かせていましたが、親父は口癖のように「ルイ子には貧乏ゆえ、子沢山ゆえ苦労をかけた」と少し涙ぐみながら話す姿が印象的でした。

 親父は高齢のため通夜も葬儀も出れないため私たち息子夫婦が出席します。そのため昨日の午前中車で連れて行き、最後のお別れをさせてやりました。親父は自分が一番上なのに、既に3人の男の兄弟と、3人の姉妹を見送っていて、何処か寂しい姿が印象的でした。

 

  「ああ寂し 親父の妹 急逝す 順番違うと 親父がポツリ」

  「昔ゆえ 苦労貧乏 あったはず 気丈に生きて 生涯全う」

  「晩年は 病魔冒され しんどそう それでも手紙 兄を気遣い」

  「人は老い 必ず死ぬと 坊主言う 楽しく生きろ 諭しに熱が」 

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shin-1さんの日記

〇ひじきとワカメで少々お疲れモードです

 海岸でひじきを刈り取って大きなお釜で茹で、美味しいひじきを近所や親類に配ったところ、妹から是非ひじきをもう少し分けて欲しい旨の連絡が入りました。おすそ分けを貰った妹は、ひじきを刈り取って茹でる作業がどんなに大変か分かっていないようでした。

 ひじきは大潮の干潮時でないと刈り取ることは出来ません。ましてやひじきが生えている岩場は波が打ち寄せる場所なのです。長靴を履いて干潮の渚でひじきを草刈り用の鎌で刈るのですが、目敏い人たちが正月明けから刈り取って、足場のいい場所には殆どないのです。私のとっておきの場所は秘密ですが、これがテトラポットが高く積まれているため、刈り取ったひじきを防波堤近くまで挙げるのが大変なのです。

 さて刈り取ってトラックに積んで帰ったひじきを水洗いして、ドラム缶を切って造ったかまどに大きなお釜を乗せ、ひじきを入れて下から火を焚くのです。最近は薪もそんなにストックしていないので、近くの杉林に出かけて薪を拾ってくるのです。ひじきを茹でぬにはざっと2時間くらいまきを燃やし続けなければなりません。その後蓋をして3時間くらい火蒸しをすると柔らかいひじきが出来上がるのです。まあざっとこのくらいの重労働の代償ですから、皆さんも手間のかかるそのことを承知しているので、余り手を出さないのです。

 私の場合は子どもの頃から母親のそんな作業をおぼろげながら見ていたので、思いつけば直ぐにでも取り掛かることができるのですが、妹に言われたからといっておいそれとすることは出来ませんでした。

 昨日泊まりに来ていた孫たちを松山まで送って帰る途中海岸まで帰ると、8日の潮回りで引き潮だったこともあって、妹の言葉を思い出しひじきを作ることを急に思いつきました。

 トラックにキャリーを5つ積み込み、とっておきの海岸へ行きました。昨日は前日海が荒れてワカメが海岸に流れ着いていました。ラッキーなことに少しの時間で綺麗なワカメをキャリーに一杯も拾いました。

 ひじきはキャリーに4杯刈り取り家に帰りましたが、ひじきを二回炊くためには日暮れながら昨晩一回炊いた方がいいと思い、夜8時までかかって何とか炊き上げました。火の始末をして一晩蒸していたため朝起きてみると、ひじきは申し分のない柔らかさになっていました。鉄の塊を入れるとひじきの色が良いという言い伝えどおり錆びた鉄筋を入れて炊いたお陰で色も真っ黒でした。

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 ひじきを取り出したお釜を水荒らして水を張りお湯を沸かしました。次の作業はワカメを湯通しすることです。ワカメはひじきほど手間もかからず、熱湯に入れると茶色が見事緑色に変身します。お湯の温度が下がらない程度に次々入れて作業を終了、親父が張ってくれたタフロープに芯をはずして干して行くのです。今日は天気もよく、加えて風も適当にあって乾きが早く、昼前にはワカメを裏返しするほど乾燥しました。

 残ったひじきも3釜目を茹で、午前中に全ての作業を終わりました。何やら煙が出ているので近所のおじさんやおばさんが様子を見にやって来ました。その都度ひじきをおすそ分けしてあげ、皆さんに喜んでもらいました。

 ふって沸いたひじきとワカメ騒動に私も親父も少々疲れましたが、これでひじきとワカメは一年分確保し、加えて妹の分まで作ることができたのです。幸せな二日間でした。 

  「連日の ひじきとワカメ 処理たたり お疲れモード やはり歳だな」

  「一年分 ひじきとワカメ 確保した 妻の手料理 これで楽しめ」

  「前日の 大荒れ天気 福拾う 漂着ワカメ 思わぬ大漁」

  「春ゆえに ひじき知人に おすそ分け みんな一様 喜んでくれ」



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〇ひじき乾し

 昨日は通称やまぜと呼ぶ南西の風が吹き荒れました。海沿いに面した町は、冬の北西の風、春の南西の風、夏の南からの風、秋口の東よりの風と、季節を通じて色々な風が強く吹くのです。「風通しが良い」という意思疎通の表現言葉がありますが、ひょっとしたらこの町は風通しの良い町かもしれません。昨日の風もすっかり収まり、今日は上天気のようなので、今朝は朝早くから、昨日かまどで炊いたひじきをサナに干す作業を行いました。「春に三日の日和なし」といわれるように、また今年は風がよく吹くので急いで乾燥させないと危ないと思い、急な思いつきで始めました。

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 そんな作業をする場合いつも頼りになるのは年老いた親父です。親父はこまごました道具を倉庫にきちんと収納していて、かまどや鍋はどこ、サナはここといった風にしっかりと収納した場所を覚えているため、とっさの作業が済む図に出来てとてもはかどるのです。私などは親父の足元にも及ばず、使ったままほったらかしにして親父に随分しかられたものでした。それでもこの歳になると、「使ったものは元に戻すのが原則」という親父の言葉を肝に銘じて元の場所へ戻す訓練のお陰で収納場所も随分分かってきました。

 今朝は倉庫からサナを出し、水洗いをして庭先の風通しと日当たりのよい場所に並べ、かまどの上に置いてある大鍋の中から、昨日炊いたひじきを取り出し、サナ2枚に広く薄く干したのです。

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 昨日は松前町に住む叔母森脇ルイ子が急逝し、加えて孫たちが松山からやって来てバタバタしたため、ひじきへの注意を怠り、残り火でひじきを多少焦がしてしまいました。燻製したと思えばいいと妻は言いますが、料理するために水で戻す時に水洗いをすれば何のこともないようなので、まずは一安心でした。

 干し終わった頃、由並小学校へこの春から昇任校長先生として赴任された武田先生と、オーストリアウィーンの日本人学校から3年の任期を終えて帰国、し由並小学校に帰ってきた中尾先生がお揃いでご挨拶に見えられ、嬉しい再開となりました。武田先生は3年前まで由並小学校の教頭先生だったこともあり、とても懐かしく感じました。

 ひじきの匂いは磯の香りそのままです。親父も歳をとり久しく遠のいていたわが家の漁師の匂いが丸で復活したような、そんな気持ちになった朝でした

  「ひじき乾す 久方ぶりの 磯匂い DNAが 思い出させて」

  「海草は ミネラル豊富な 食べ物だ これで少しは 長生きするか」

  「乾しひじき 一年分の 食料に 我も海の子 知恵が働く」

  「叔母が逝く 孫が来るなど 忙しく ひじき焦がして 少し言い訳」 


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〇自家製ひじきを作る

 わが家は代々漁師の家系です。祖祖父、祖父、父と3代続いて漁師をしていました。漁師の長男に生まれたゆえに私も子どものころから漁師になるものと家族も自分も思っていました。親父は漁協の役員をしていて、母も漁協婦人部の部長をしていました。ある意味物分りのいい両親に恵まれたため、当時は中学校を出ると高校へ行かずに漁師になる人が多い時代でしたが、高校を卒業してからでも遅くはないと、私と中学校の先生とのわがままを聞いてくれ、水産高校へ進学させてくれたのです。

 今にして思えばこれが間違いの始まりでした。水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海まで航海した私は、地球が丸いこと、日本以外の国に行ったことなどなど、まるで咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉がアメリカへ行った時の驚きにも似た価値観の変化に目覚め、青年団活動などを経て体を壊し役場に入ることとなったのです。

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 その結果60歳で役場を退職するまで実に35年間も公務員生活を送り、わが家は親父の老化とともにいつの間にか漁家でなくなってしまったのです。それでも漁村に親類の多い本家の跡取りですから、従兄弟が漁協組合長をしたり、自らも若い頃役場で水産行政を担当して荷さばき所や漁村センターを造ったり、ウォーターフロントにシーサイド公園を造って漁協女性部のじゃこ天作りに関わったため2年前から愛媛海区漁業調整委員をやったりして、漁業とは今も縁が切れないのです。

 そんなこんなで海のこととなると血が騒ぐのですが、一昨日所要でシーサイド公園へ出かけました。久しぶりに海に突き出た突堤を散歩していると干潮の海に海草のひじきが美しくなぎさに漂っていました。このままにしておくのは勿体ないと思い、早速家に帰ってキャリーと鎌を持ってひじき刈りに出かけました。折りしも南風が吹いて天気は荒れ模様となり雨も降り出したことから、キャリーに二つ採って引き上げてきました。


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 昨日はこれまた朝から南風の大嵐が吹きましたが、親父と二人風下の東屋にドラム缶を切って造ったかまどと大きな釜を持ち出して、早速自家製ひじきを作ることに挑戦しました。お釜の底に十文字の綱を敷き、その上に山盛りひじきを乗せ、少しだけ水を入れて早速火入れをしました。時折南風が突風となって吹き付けましたが、早朝6時過ぎから作業をしたため十文字の綱で上下ひっくり返すこともできて、9時には火を止め夕方までそのまま蒸しておきました。

 夕方冷めたひじきを取り出して、昨晩夕食に使う分を水洗いして灰汁を取り、妻はニンジンやじゃこ天とともにひじきの煮物を作りましたが、柔らかくてとても美味しいひじきに仕上がっていました。

 今朝は南風も収まったようなので、ひじきを釜から取り出して、作った干し場に干して感想ひじきを作る計画です。こうすれば一年中のひじきを味わうことが出来るのです。海草ひじきはミネラルを含んだ健康食品なのでこれから一年は大好きなひじきを折に触れ味わうことが出来るのです。漁師の家系ゆえに何かとても得をしたような感じのする二日間でした。


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  「突堤を 散歩していて ひじき見る 早速刈って 自家製ひじき」

  「いや美味い 綺麗な海の 贈り物 これさえあれば 海草摂取」

  「元漁師 ゆえに自家製 ひじき出来 親父と二人 知恵の伝承」

  「火の番を する親父さん 顔赤く 焚き火が照らす 春が来たよと」

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〇ミツバチたちもスタンバイ

 昨年から命のリレープロジェクトの一環として人間牧場で始まったミツバチ飼育はいよいよ二年目の入ります。心配されたミツバチたちの越冬もどうにか成功し、昨日のように日中の温度が10度を超えると、ミツバチたちは一斉に活動し始め、遠近の蜜源の花から花粉や蜜をせっせと運んできています。越冬が出来るかどうか心配していただけに種蜂たちが動き回る姿は嬉しい限りです

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 昨日は午前中、ミツバチの師匠である西予市野村町の井上登さんに来てもらって、ミツバチの巣箱の点検を行いました。野村町の自宅から2時間近くもかかって来ていただくご苦労には毎回頭が下がり、早く一人前になって自立したいと思っていますが、まだまだ修行が足らない自分を深く反省するのです。

 少し早めに人間牧場へ行き、前日刈り残したツリーハウス周辺の草を刈り、水平線の家の周りの草引きをしていると井上さんはやって来ました。二人で防虫用の黒いネットを頭にすっぽり被り、種蜂の巣箱から点検を始めました。ミツバチたちは時ならぬ人間様のいたずらに気分を害したのか、黒い頭巾めがけて我ツンガツンと攻撃を仕掛けてきましたが、お陰さまで刺されることもなく作業をしました。巣箱の中では既に新しい営巣が行われているのか、古い巣が底板に落とされていました。

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 続いての作業は他の3つの巣箱を逆さまにして中のゴミ類を取り除き、バーナーで焼いた跡に蝋蜜を塗ってゆくのです。この作業は井上さん一人がほとんどやってくれ、私はただ見守るだけでした。昨年と同じ見慣れた光景の作業でしたが、蝋蜜の塊をいただいたので、4月24日開催予定の年輪塾セミナーに、馬路村の木下さんがミツバチの巣箱を二つ持参してくれるようなので、出来れば自主独立の気風で家の近くへ置いて、新しいミツバチの住処を作りたいと密かに思っているのです。

 何はともあれ、これで春先の準備は全て終え、あとはミツバチの気ままわがままな分封を待つだけとなりました。咲く園のように今年も全ての巣箱に分封してくれることを祈っています。

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  「ミツバチの 巣箱に蜜蝋 塗り終わる あとは分封 待つの楽しみ」

  「いっちょまえ 蜂除け頭巾 防備して 作業進める 師匠と私」

  「顔めがけ 怒った蜂が 突進す 頭巾なければ 顔が台無し」

  「一年間 飼ったけれども 分からない 今年も右往 左往の日々が」

 

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〇年輪塾塾生の活躍

 3年前人間牧場水平線の家で開塾した年輪塾は、清水塾頭、米湊大番頭、松本小番頭以下10人余りの塾生が名前を連ねていますが、その中に高知県馬路村で建設課長をしている木下彰二さんがいます。多分塾生の中では一番遠隔の地にいるのですが、そんな距離をものともせず足繁く塾に参加して研鑽を積んでいる男がいます。まだ若いのに感心と思うか、若いから出来ると思うかは異論の分かれるところですが、彼の場合は若いのに感心であり、若いから出来るのです。

 彼との出会いはそんなに古くはありませんが、出会ってからこれまでの進化の速度は他の塾生よりはるかに速く、熟度も濃密なので将来が楽しみです。

 彼は人に会っていいことがひらめくと必ずメモをします。時にはメモがない時などは、ボールペンで手の甲に直接書いたりしている姿を見かけるほどメモを欠かしません。何年か前のある日のこと私は馬路村に講演に招かれ馬路村役場に立ち寄りました。彼は私のブログをプリントアウトして綴りをつくり活用していました。当時私はブログを書いてもプリントアウトしていなかったのですが、彼の姿を見て早速自宅へ帰り全てをプリントアウトして表紙をつけ毎月一冊のブログ集を作り、人間牧場の長い書棚に置いて来訪者に供覧しているのです。

 彼は私と同じく「いいことは即実行、悪いことは即止める」「本物と真心」をモットーに、どちらかというと走りながら考えるタイプの実践家なのです。

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 面白い名刺が手に入ると即真似をして作り、人々をあっと言わせます。私もそれにあやかってではありませんが、この春「裏が味噌」というPR名刺を作りました。名詞の裏は普通白紙です。その裏を使ってPRをしようと地元のギノー味噌という企業にこの企画を売り込み、社長に採用してもらって私の名刺大を全部払っていただきました。1000枚の印刷で3万円余りでした。つまり会社は私を動く広告塔として価値を評価してくれたのです。

 清水塾頭のデザイン協力で出来上がった、この「裏が味噌」の広告名刺は予想以上の反響を呼んでいるのです。まあ一例ですがやる気や行動力さえあれば、どんな田舎に住んでいようと、あるいは閉塞感漂う時代であろうと、一点に集中して突破し成果を収めることが出来るのです。

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 年輪塾では清水塾頭が中心になって年輪塾ネットというサイトを運営していますが、一昨日高知新聞に掲載された新聞スクラップ記事を添付してネット会員に配信していました。長野のパティシエ清水さんを招き宇摩時の子どもたちを集めて親子イベントを開催したというニュースです。

 普通こんなイベントを企画すると、「予算はいくらいるか?」「金がないから無理」とこうなって、やらないことをやれないというのです。彼は一点突破、「金がないけど来てくれる」と開き直り子どもたちの夢を見事に叶えてやりました。いやあ嬉しい活躍のニュースです。

 彼が中心になって高齢者や村民を巻き込んで結成したうまじっくクラブという手品集団も、今では随分あちこちからオファーがかかり、独り立ちするまでになりました。

 仲間の活躍する姿は嬉しいものです。ネットで彼は私のことを海猿、私の彼のことを山猿と呼んでメールのやり取りをしていますが、安田川蒸留を守る本物の活動も、幅広い人間関係も、何処か若い頃の私の姿に似ていると目を細めてその成長を見守っています。

 私も65歳の高齢者になったとうそぶいていますが、まだまだ彼らに負ける訳にはいきません。現役の気概でもう一分張りしたいと思っています。

 さてお互い次のヒットやホームランをいつ打つか、密かに狙っているのです。

  「塾生の ヒットのニュース 聞く度に わがことのよう 嬉しくなりて」

  「山猿は 海猿よりも 歳若く 素早実行 感服しきり」

  「居ながらに 隣の県の 新聞を 読んでコメント 便利世の中」

  「名は清水 姓は慎一 どことなく 塾長塾頭 似たよう名前?」  

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