shin-1さんの日記

○今日から二日間世界遺産を訪ねる旅に出ます

 私が代表を務める21世紀愛媛ニューフロンティアグループでは、毎年一回国内の世界遺産を訪ねる旅を3年前から始めており、これまでに和歌山の熊野古道、広島の原爆ドーム、広島の安芸の宮島、島根の石見銀山を巡って来ましたが、今年は今日から二日間遷都1300年の奈良路を訪ねます。

 今朝は家を間もない早朝5時に出発して、待ち合わせ場所の松山市駅で合流し、10人乗りのレンタカーで一路奈良を目指します。帰りは明日の夜遅くになる予定です。その模様は帰ってから書き込みます。

 今夕午後6時30分、奈良駅のスーパーホテルに到着し、皆で近くの居酒屋へ夕食と交流を兼ねて呑みに出かけました。ホテルのフロントで聞いた居酒屋は焼き鳥などが中心のメニューでしたが、鶏肉といいながら肉料理はあまり好きでない私は、刺身と揚げ出し堂豆腐やつみれ、それに野菜サラダを中心に食事をしましたが、なれない普通の食事と違い腹持ちがよくって、おなかがパンパンに張って眠れそうもありません。

 そこでロビーに備え付けているインターネットを使って、奈良発の部ログを書き込んでいるのです。今朝は5時に自宅を妻の車で出発、松山市駅で他の仲間と合流し、小松のサービスエリアで河上、日浅両氏を乗せ、松山道、高松道、鳴門海峡大橋、淡路島と、河野、田宮両氏の運転する10人乗りのレンタカーで走りました。途中北淡町の阪神淡路大震災でできた野島断層の記念館を見学して、明石海峡大橋を渡り、目的地の奈良県へ向かいました。

 最初の目的地は亀石と石舞台や明日香村の壁画でした。一昨年奈良県へ講演に出かけた折、青年の船の仲間だった谷川氏の案内で、明日香村の本物の壁画を見せていただいているし、石舞台も見ていたので記憶はすぐに蘇りましたが、桜の花咲く明日香路は初めてなのでまた違った趣がありました。その模様はデジカメに記録しているので帰ってからのお楽しみとしたいと思います。

 とりあえず今夜はここで記事を書くのを止めておきます。お休みなさい。


  「今年また 遺産巡りの 旅に出る 友と一緒に ワイワイ言いつ」

  「久方の 奈良の都で 桜見る ああ美しや 日本の春は」

  「割引の 恩恵預かり 高速道 走りに走り 奈良の都へ」

  「傍目から 見れば初老の 団体か? 若いつもりも 人はそう見る」

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shin-1さんの日記

○統合中学「伊予市立双海中学校」の開校式

 60年余りの歴史に幕を閉じた上灘中学校と下灘中学校がその長い歴史に幕を閉じたのは10日ほど前でした。そして今年4月1日から旧上灘中学校跡地に、双海中学校が誕生しました。昭和50年代には双海町議会に中学校統合のための特別委員会まで設置されながら、根強い地元の反対に会ったり、私が最後の教育長をしていた折、学校統合のアンケート結果を実施して、統合の道筋をつけたことなどが懐かしく思い出されますが、まだ統合校舎の建築が間に合わない、仮校舎での船出となりました。

 特に寂しかった昨年度末の下灘中学校の閉校式などを思えば、昨日の開校式は実にイキイキとした未来に向かう胎動のようなものを感じたものです。

若松進一ブログ
(制定披露された新しい統合中学校の校歌)

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(新しく制定された双海中学校の校章)

 その際たるものは愛媛大学の渥見秀夫先生の作詞と、井上洋一先生の作曲による新しい校歌です。

 一、菜の花の道をたどれば

    夢育つ 明るい母校

    たわわなる双海の山よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の希望が生まれるところ

    胸躍る未来を望み

    胸躍る未来を望み

    若人われら 背伸ばす

 二、水仙の道をたどれば

    理知光る 清しい母校

    清らなる双海の川よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の夕日が生まれると

    胸熱く真理を求め

    胸熱く真理を求め

    若人われら 瞳を上げる

 三、石蕗の道をたどれば

    愛集う 優しい母校

    平らかな双海の海よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の笑顔が生まれるところ

    胸深く平和を願い

    胸深く平和を願い

    若人われら手を繋ぐ


 新入生と在校生が歌う校歌はとても清々しく感じました。というのも、歌詞に盛り込まれ書かれた全ての自然景観などはこの20年余り、私たちが深く関わって作り上げてきた旧双海町のイメージなのです。夕日も花もそれなりの反対や失敗、それに抵抗もありましたが、この歌詞にはそれらがうまく盛り込まれているのです。


  「新生の 中学校歌 初披露 嬉しい言葉 随所ちりばめ」

  「関係は ないがこの曲 覚えたい 評議員ゆえ 口ずさむくらい」

  「校章の デザインハートに 見えますね 心真ん中 中も凛々しく」

  「胎動を 感じる開校 式に出る 久方多い 新入生数」

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shin-1さんの日記

〇雑草は元気ですね

 肌寒いといっても外の気温が上がってくると、日々の暮らしは過ごし易いのですが、厄介なのは庭の草が伸び始ることです。植えもしないのにそこここやたらと芽を出し、ほおって置くとあっという間に草だらけになって見苦しいのです。祖母が元気な頃は祖母が、今は何とか元気な親父が草引きをしてくれていますが、家の敷地が再演も含めると660坪もあるので、今の親父の処理体力では限界があるのです。そのため私も折にふれ雑草引きをしていますが、まあそのスピードの速さには着いて行けない速さなのです。

 昨日は半日をかけて入り口近くの庭の草削りをしました。わが家に入ってすぐ横の庭木の植わった庭なので、目に付くからと、妻も親父も都度都度やっていますが、やはり手に負えないようで私の出番となりました。この庭は多分年末に草引きをしてから手入れをしていないので、草削り専用の鍬で削ると、一輪車2台分もの雑草を採ることができました。草を削り進むと、春になったことを感じた緑色のカエルが数匹ピョンピョンとユーモラスに飛び跳ね、何ともほほえましくも長閑な光景です。

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(ひょっこり顔を出しユーモラスに飛び跳ねる緑のカエル)

 昨日は北寄りの風がふいて肌寒い一日でしたが、天気はよく直射日光の当たる場所では帽子を被らないと暑く感じるほどでした。人間牧場での草刈は麦藁帽子に地下足袋のいでたちですが、自宅では野球帽に長靴のため、少し日に焼けたようでした。

 草を引きすっかり綺麗になった庭を眺めながら、はてさてこれからこの庭の剪定作業も含めた手入れが老いを迎える私へと変わりつつあることを実感しました。歳をとっての庭いじりが大変だから、庭のないマンションに住むという人の気持ちも分かるような気がするのです。

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(すっかり綺麗になった庭先)

 最近は雑草除去のため草枯らし剤を散布する人も増えているようですが、人間牧場も家庭菜園も庭も含めて、環境によくないという草枯らし剤を散布することだけはできるだけするまいと心に誓っているのです。今の農家は草枯らし剤は体や環境によくないと分かっていても、人手不足を補うためやむなく使っているようですが、あの元気な草が枯れるほどのダメージゆえ、人体によいはずはないと思い、今年も草との格闘を楽しみたいと思っているのです。

 とっくに使用期限の過ぎた草刈機を今年はお金を蓄えて何としても購入したいと思っていますが、使えるうちは多少不自由でも使ってやろうと、「勿体ない精神」が頭を持ち上げている今日この頃です。


  「植えもせず 頼みもしない 雑草は 伸びるは伸びる あっという間に」

  「祖母親父 代々受け継ぐ 草取りも いよいよ俺の 出番近づく」

  「草枯らし 散布はしない 心決め ゆえに雑草 わが物顔で」

  「草取った 庭の風流 見事なり 自画自賛して 眺め楽しむ」

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〇リユースすることになった二つの鍋

 不用物を回収・再生し再資源化・再利用することを【recycle】、手を加えて改良し作り直すことを【reform】、再使用することを【reuse】といい、これらを3Rといっていますが、資源の少ないわが国では3R運動を行っているものの、相変わらずの消費大国で、月に一度の不燃物回収の日などは、「こんなもの何で捨てるの?」と目を疑うようなものが出されているのです。行政もそのことを知っていて、リサイクルセンターなどを作って対応していますが、一度消費癖のついた国民を元に戻すのは容易なことではないようです。リサイクル、リフォーム、リユースという言葉は、研修会などでしばしば聞き、とくにリサイクルという言葉などはもう日本語化しているほど、私たちの暮らしの中で使われているのです。

 先日長浜へ行った帰り、道端軒先に沢山の道具類が出されていました。全て埃を被り明らかに不燃物回収に出される運命にあるようなものばかりなのです。鍋・釜・鎌・鋸・鍬などなど、かつてはこの家の日々の暮らしに重要な役割を果たしてきたであろう道具類ですが、鍋も釜もかまどがあった時代のもの、鎌・鋸・鍬などは野良仕事に使ったもので、既にそんな暮らしが殆ど存在していないのです。

 郷愁に駆られた訳でもなく、勿体ないと思った訳でもないのに、鍋と釜を見て「人間牧場のかまど小屋で使えそう」と思い、家の中に声をかけました。中から80歳がらみの顔見知りのおばさんがごぞごぞでて来ました。聞けば全ていらないものなので、「欲しければ全部あげる」ということでした。そうはいっても要らない物までいただく訳にもいかず、鍋2つとはがま1つ、それに餅つき用の杵の頭だけをいただいて帰りました。

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 早速全てを車から降ろして水場に運び、亀の甲タワシでゴシゴシこすりながら水洗いをしました。全て古びてはいますがまだまだ使用可能なようです。傍で見ていた妻は「そんな汚いものを何にするの」と怪訝そうでしたが、私の構想を話すと納得した様子でした。

 先日製材業を営む従兄弟にお願いして板切れを貰ってきていたので、親父に訳を話して鍋の蓋を2つ造ってもらうよう頼みました。昨日の午後親父は早速鍋の蓋造りをしてくれました。二枚の杉板をボンドで一枚に引っ付け、カンナをかけて鍋の大きさを測って円を描き、鋸で切って円形にしました。いびつな所をカンナをかけて修正し、取っ手をつけて見事な鍋の蓋が2時間余りで完成しました。

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 ひとつの鍋は吊鉤がなかったので、親父は自分の工房にあるステンレス製の棒を取り出して何やら曲げては伸ばししていましたが、ご覧の通り見事な吊鉤も再現してくれたのです。いやはや91歳の年齢とは思えない出来栄えに尊敬の念が湧いてきました。

 「捨てればゴミ、「使えば資源」なんて言葉もよく耳にしますが、私はこの鍋を人間牧場のかまど小屋で様々な料理に使おうと思っています。さしあたり手ごろな大きさなので味噌汁を作る道具として使いたいと思っています。と同時にやって来た皆さんに味噌汁を食べながら不用になった鍋に命を吹き込んでリユースしたことを話そうと思っています。これも立派な環境教育なのです。小さな鍋だけど人間牧場で第二の人生を送ることになったこの鍋はこれからもう一踏ん張り働いてもらう予定です。


  「捨てるから 要らないあげる 頂いた 二つの鍋に 親父蓋つけ」

  「鍋に言う もう一働き してくれと 鍋も納得 化粧し変えて」

  「この鍋は リユースですよ 言いながら 味噌汁食べる 顔が浮かびて」

  「気がつけば 勿体ないと 言う世代 いない時代に なってしまって」

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〇47年ぶりの再開

 先日ある風呂屋で、47年ぶりに高校時代の同級生に会いました。私も相手の同級生も裸ゆえ、最初は余り気にもしていませんでしたが、サウナや薬湯などに同じように入りながら、「どこかで見た顔だな」とお互いが思いつつ、どちらということもなくお互いが、「毛利君じゃない?」「若松君じゃない?」と声を掛け合い、47年ぶりの再会を果たしたのです。彼は宇和島水産高校では製造科、私は漁業科だったため学生時代もそんなに濃い付き合いはありませんでした。でも八幡浜から通う彼と宇和島に下宿していた私は、昼休みに何度か自家製の弁当を食べさせてもらった間柄で、今もその思い出だけが残っているのです。

 水産高校の卒業生は市内以外から入学した生徒が多く、加えてその性格から船乗りも多く、卒業してこれまで一回も同窓会などしたことがないのです。ましてや製造科と漁業科はそんなに交流もないため、顔47年ぶりにを合わせても、多分見過ごしてしまうのです。

 それから30分余り風呂に浸かったり出たり入ったりしながら、その後の消息を聞き合いましたが、現在八幡浜に住む彼は未だに私のことをよく覚えていて、新聞やテレビに私が紹介される度に意識をしていたとのことでした。私が水産高校に入学したのは47年前の昭和36年でした。高度成長真っ只中ゆえ日本中が活気に溢れていた時代でした。当時の宇和島も活気に満ち溢れ、田舎育ちの私には宇和島という土地がまるでユートピアに感じていたのです。

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(私愛用の二本のハーモニカ)

 私が水産高校を卒業して大学進学を志したものの、親父のがん闘病と重なりやむなく帰郷した昭和38年に舟木一夫が歌って大ヒットした「高校三年生」という歌がありますが、今でもこの曲を聞く度に懐かしい思い出が蘇ってくるのです。

  高校三年生

 赤い夕日が 校舎をそめて

 ニレの木陰に 弾む声

 ああ 高校三年生 ぼくら

 離れ離れに なろうとも

 クラス仲間は いつまでも

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(ホラも吹くがハーモニカも吹く人-自写像)

 手持ちのハーモニカで一曲吹いてみました。いやあ懐かしい、当時の思い出が鮮やかに蘇ってきました。男子校だったため、淡い恋心など抱く余裕も暇もなく、ましてや高校三年生になると実習船愛媛丸に乗って遠洋航海に行ったため、この曲のような思い出はないものの、47年ぶりの同級生との出会いはやはり嬉しいものでした。

 これからの私の残された人生においても、そんなに多くの高校時代の同級生には会えないだろことを思うと、この日はとてもラッキーな一日となりました。またいつか同級生の毛利君とどこかでお会いしたいものです。


  「半世紀 ぶりの再開 風呂屋にて 裸なれども 嬉し恥ずかし」

  「ハーモニカ 取り出し吹いた 一曲は 高校三年 思わずジ~ンと」

  「ふと思う 昭和だんだん 遠くなる まして俺など 古い人間」

  「いつの間に 65年の 歳重ね 余命指折る 歳になったか」  

 

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〇「実を見て木を知れ」というが?

 数日前全国の友人に向けて、今年最後のポンカンやデコポンといった雑柑を10箱も送りました。いつも季節のものを送ってくれる友人たちが全国には沢山いて、これでは足らないのですがとりあえず今回は10人にげんていしました。送ろうとして荷造りをしている所へ一個の宅配便が届きました。あて先を見ると年輪塾塾生の大河内結子さんからでした。蜜柑を送る所に蜜柑が届くのは変な話ですが、わが家から送るポンカンやデコポンは全て知人で近所の農家から買い求めるため、わが家が食べるポンカンやデコポンも全てそこから買っているのですから、大河内さんから届いたイヨカンはわが家にとって今年最後のイヨカンとして、夫婦が大事小事に毎日夫婦がそれぞれ一個ずつ、朝フルよろしきを得て美味しく食べているのです。

 大河内さんたちは朝フルと称して朝新鮮な果物だけを食べる運動を推奨しています。リンキャベの朝食をもう20年以上にわたって続けている私は理解できるのですが、この運動を定着させるには中々骨が折れるようです。大河内さんから届いたイヨカンは桜イヨカンといって、桜の咲く季節まで貯蔵しているため、外観の色は深いオレンジ色、そして味も酸味よりも糖度が乗ってとても美味しいのです。私たちの町でもイヨカンを作っている人はいますが、これほどこだわって美味しい味に仕上げている人は殆ど見当たらないようです。

 ひところイヨカンの品種である宮内イヨカンや大谷イヨカンは注目を集め各農家が競って栽培していました。ところが果汁が多く手が汚れて食べにくい難点からか、消費が思うように伸びず、デコポンやポンカン、それにハルミや清見などの雑柑に押されて、次第のその収穫量を減しているようです。

 でもイヨカンの味と香りはたの柑橘類には引けを取ることはないと、大河内さんから送られてきた桜イヨカンを食べながら思うのです。果実を食べて手が汚れれば洗えばいいし、それくらいの努力をしない人は柑橘類を食べる資格がないのです。

 一昨日日曜市の世話をしている森田イチさんから、晩成の蜜柑が届きました。「えっ、今頃みかん」と驚きました。外観は干からびてしわだらけになっていましたが、これが何と美味しいのです。自家用に貯蔵していた酸味の強い蜜柑も、こうして長く貯蔵すると酸味が糖度に変わり、甘さ抜群となるのですから、吊るし柿の渋が糖度に変わるような面白い変化なのです。

 わが家はみかん所だけあって、このところ様々な柑橘類に囲まれて暮らしています。知人や友人が「お食べんか」と言って持ってきてくれるのですが、この時期ゆえに雑柑類の味を堪能しています。

 格言に「実を見て木を知れ」という言葉があります。「この実はどんな木に?」と思いを巡らせるものの、蜜柑の木を見ても残念ながらその気を識別することは出来ません。何故なら蜜柑の台木に別の品種を高接ぎすれば、2年後にはその品種が成り始めるのです。農家はいい品種が出回り始めるといち早くその穂木を求め高接ぎして増産するといった作業をこの20年間繰り返していて、農家自身でさえ一見で「実を見て木を知る」ことすら出来ないのです。何はともあれ今朝もこれから大河内さんから届いた桜イヨカンを朝フルしながら、桜の花びら舞う春を楽しんでいるのです。

  「仲間から 届いたイヨカン い~予感 桜と命名 味を楽しむ」

  「実を見れど どんな木々に 実をつける 知らぬ存ぜぬ 美味けりゃいいわ」

  「今年又 届いたイヨカン 箱開ける 友の匂いが ぎっしりつまり」

  「サプリなど 食べないけれど ビタミンC 蜜柑で充分 お陰で元気」 

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〇従兄弟「芳兄」ちゃんに学ぶこと

 昨日私の従兄弟の西下芳雄さんに出会いました。西下さんは地元で材木屋を営んでいますが、若い頃から進取の気性が強く、裸一貫から身を起こし、製材業を営みながら焼き杉外壁材を発案して軌道に乗り、今は息子が取り組んだ2×4の輸入住宅がこれまた軌道に乗って、親子二代で20人余りの年少10億円を越える企業に発展させているのです。身内の端くれゆえ田舎では珍しい親子二代の活躍に内心喜んでいるのです。

 昨日は一昨日金森さん宅でいただいた古い鍋の蓋を作るための板切れを貰おうと下灘の工場に出かけました。社長業を息子に譲り会長職をされていますが、数日前になくなった私の叔母と同級生ですから81歳になるというのにまだかくしゃくとして、こまごました作業をニコニコしながら働いていました。

 私はこの従兄弟を「芳兄ちゃん」と呼んでいます。兄弟以上に気の合う、そしてお互いよき理解者でもあるのです。最近は私が夕焼けプラットホームコンサートを25年前に始めた下灘駅を、地元の老人会が花を植えたり掲示板を造ったりしていますが、その中心人物として地域貢献をしてくれているのです。

 手先の器用な、それでいて材木屋なので掲示板や花活けなどいいと思えば何でも直ぐに作ってしまう行動派で、今では下灘駅の駅舎がすっかり見違えるほどになっているのです。彼の発案で置いている落書き帳「うふふ・・・」には様々な人生模様が綴られているのです。彼はこの落書き帳を読むのが楽しみだといいます。人生に疲れ降り立った、下灘駅のプラットホームで海や夕日を見て癒され、時には生きる希望を見つけたことまで書かれていると話してくれました。

 最近この会社に嬉しいことがあったようです。息子の息子、つまり芳雄さんの孫に当たる後継者が跡を継ぐため帰ったようです。無から有を生み出した芳雄さん、有から有大を生み出した息子さん、有大から夢を持っているお孫さんと、私の叔父に当たる祖父の代から数えると4代目の孫は果たしてどんな人生を歩むのでしょう。

 立ち話でしたが、日本の戦後の教育は向都離村の教育をよしとしたため、都会は発展し田舎は疲弊しました。自分の生業を卑下し、自分の住んでいる地域を卑下して都会予備軍を作ってきた付けに今頃気付いてオロオロしている田舎の姿を二人で色々と話しました。

 同じ仕事を続けれませんでしたが、わが家も長男家族が今年度中に同居する予定であるささやかな喜びを話しながら分かれました。

 鍋の蓋を作る板切れをいただき、自宅に帰って91歳の親父に「暇な時でいいから」と細工を頼みました。親父はこの二日間畑に出て、ジャガイモ畑の根寄せ作業を一生懸命してくれていました。老いてもなお元気に頑張る親父と私、そしてやがて帰って一緒に住むであろう息子や孫に思いを馳せた一日でした。


  「直ぐ傍に 俺の見本の 人が居る 平凡生きろ 平凡生きる」

  「跡を継ぐ 人あり俺は 幸せだ そろそろ息子 同居の準備」

  「人様の 役に立つよな 人になれ 親父口癖 俺も口癖」

  「俺にしか 出来ないことは 何なのか 未だ未熟で 答え分からず」

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shin-1さんの日記

〇残照に赤く染まる本尊山

 サンデー毎日の私ですが、やはり年度末と年度初めは色々な公式行事への参加もあって、結構忙しい日々を過ごしましたが、ここに来てやっと落ち着きを取り戻した感じです。それでも新しい年度が始まると、やれ打ち合わせだ、やれ講演だとメールが沢山入って、その対応のため書斎のパソコンに向かう時間が結句長くなりつつあります。

 天候不順だった今年の春もこのところ天気が安定して、桜の便りに誘われていますが、こと夕日に関しては中々見る機会に恵まれませんでした。昨日の夕方玄関のチャイムが鳴り、出て見ると新聞屋さんが購読料の集金にやって来ていました。家内が留守だったので急いで財布を取りに戻り3千円を取り出し領収証と引き換えにお金を渡しました。少し世間話をして外へ出て見ると、真っ赤な夕日がしずんでいるであろう時間だったため、家の前に聳える本尊山が、夕日に映えて綺麗に見えました。

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 先日まで冬枯れの殺風景な風景だった本尊山周辺もいつの間にか山桜が咲き、新芽が一斉に芽吹いて、胎動の季節を迎えており、夕日が照らす姿は何とも穏やかな風情を感じました。双海の夕日も4月に入り西から北上を続けていますが、残念ながらまだ今の時期わが家からは西寄りのため見ることができないのです。それでも見たくて、家の裏に登って見ると、今まさに沈まん夕日が山の端の杉木立の間から神々しく印象的に見えました。これも乙なものだと思いカメラに収めましたが、今日あたり夕日でも見に出かけようかと思いました。

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 昨日は親類の漁師さんからサメをいただきました。地元の漁師さんがテッポウやノークリと呼ぶ小型のサメは三枚におろして皮を剥ぎ薄造りにすると刺身でも美味しいのです。普通の人は湯ざらしにして酢味噌で食べますが、わが家では刺身と天ぷらにして食べます。魚なら何でも目のない友人に2匹ずつおすそ分けをしました。一緒に貰ったナマコも漁師さんに貰う時教わった通りにレシピを伝授しましたが、さてうまく料理できたかどうか心配です。

 退職して6年、時々魚料理をする私の腕も少しずつ上達し、三枚におろしたりする荒料理はもっぱら私の仕事になりました。妻の褒め言葉につられてやっていますが、まあこれも悪くはないと思いつつ、私専用の出刃包丁と刺身包丁を研ぎ澄ましているのです。


  「残照に 赤く映えたる 本尊山 季節巡りて 芽吹き活き活き」

  「何気なく 一日過ぎる 日々ながら その気になれば 楽しからずや」

  「サメさえも 食してしまう 魚好き 海人ゆえの 楽しみありて」

  「生き物の 目の輝きに 似た夕日 どこかもののけ 感じて写す」

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shin-1さんの日記

〇ツワブキとフキを収穫しました

 人間牧場の草刈も一段落して、今日は午前中サツマイモの苗床の草引きをしました。例年になく早い種芋伏せで、サツマイモの芽吹きを期待していましたが、ビニールを覆った苗床は、種芋の芽吹きは見えないのに雑草が茂って種芋を隠すようになっていたので、ビニールをはがし覗き込むようにして中の草を引きました。草の陰に隠れて見えなかったのですが、種芋はかなり芽吹いているようで、これから気温が上がれば何とか一ヵ月後には芋づるを確保できるだろうと期待をしているのです。

 被覆ビニールを元に戻し、苗床の草引きが一段落したので人間牧場のツワブキとフキを採ることにしました。今年は天候不順で4月に入ったというのにフキの成長が遅く、中には葉っぱが黒く焼けたようになっているものもありました。これは多分暖かさに誘われて伸び始めたものの、その後の寒さで葉っぱに霜障害のようなものが発生したのではないかと思われるのです。それでも大きくて背の高いのを50本ばかり選んで剪定鋏で根元から切り取り葉っぱを落として束ねました。昨年は鎌で刈り取るほどの大豊作で、漁協女性部や親類に差し上げたりして喜ばれましたが、そのうち今年もみなさんにおすそ分けしてあげたいと思っています。

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 ツワブキも人間牧場を開設して6年目を迎えましたが、畑の隅に自生しているツワブキを草刈の時刈り取らないように残している株が大きくなって、自家で食べる以上に収穫できるようになりました。よくよく観察するとツワブキにも白系と赤系があって、どちらの味がいいのかはまだ実証していないのです。それでも綿毛を被った新芽が大きく成長して、あっという間に1束の収穫が出来るのです。わが家では妻がこのツワブキが大好きなので、今年ももう4回も収穫しました。しかし肝心なことはこのツワブキ、とても美味しいのですが残念ながら皮が剥きにくく、ましてや剥くと灰汁で手が茶色になって中々落ちない厄介なものなのです。

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 今日は午後、ツワブキとフキの皮剥きに挑戦しました。薄手の使い捨てビニール手袋をはめて、一本一本へし折りながら剥いて行きました。かなりの量だったので1時間余りもかかってしまいましたが、何とか妻が仕事から帰るまでに剥き終わり、帰った妻はたいそう喜んでくれました。

 これまで家之子とは殆ど顧みない駄目亭主でしたが、何の風の吹き回しか妻も少々目をパチクリさせながら見守っていました。お陰さまでワカメにひじき、ツワブキにフキ、加えて今日は筍とワキギ、高菜などをいただき、三彩や野菜中心の献立調理をする台所の音を聞きながらブログを書いています。幸せですね。


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  「山菜を 採る楽しみは 良いけれど 処理は自分で しなきゃあならず」

  「手袋を はめてツワブキ 皮を剥く 灰汁で手先が 茶色に染まり」

  「ツワブキも フキや筍 ワラビまで 食卓飾る 少し苦味が」

  「どちらかと 言うと私は フキが好き 妻はツワブキ 多少の違い」  

 

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〇えっ、モデル撮影会ですか?

 昨日は昼食休憩のため自宅に戻った妻を誘い、田舎のオープンカーで近所の桜を見に出かけました。前日陽気に誘われて、桜の写真を撮りに出かけたその美しい桜を、妻にも見せてやりたかったからです。まず最初に潮風ふれあい公園に出かけました。

 嫌がる妻をモデルに立たせ、モデル撮影会と洒落込みました。夫の私が言うのも可笑しいのですが、昔は私が一目ぼれ(うそ)した妻も、長年の私の酷使のお陰でその姿は見る影もなく、すっかり所帯やつれしていて、人様に見せるような写真には写らないものの、まあ犬も食わぬと故障しかかったデジカメで桜の花を主体に、刺身のつまのような付け足しで撮りました。

 嫌がる妻を桜の前に立たせ、「ブログには絶対載せない」という口約束で撮ったのですが、その出来栄えもそこそこなので、妻の目を盗んで約束を破り、こうして勝手に紹介しています。妻には内緒にしておいてください。

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(ここが今年も双海町の一押し桜の名所、潮風ふれあい公園千人塚の写真です)

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(千人塚の桜の近くで撮りました)

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(潮風ふれあい運動公園近くにて)
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(大通寺山門前の前の枝垂桜の前にて)

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(県道双海~内子線沿いの桜の大木の下にて)

 桜も美しいのですが、桜の前に立つ普段着の熟年のおばさんもそれなりだと感心しました。妻は私より一つ年下で結婚したので、追い越されていないのであれば今も一つ違いのまま、確か65歳-1歳=64歳のはずなのです。まあどちらが先に死ぬか分かりませんので、一つや二つの違いは五十歩百歩でそんなに変わるものではありません。

 仕事や家事など雑事の多い妻は、たまの休みの日曜日にも娘や息子の家族がやって来て、殆ど自分の自由時間などないに等しい日々を過ごしているので、こんなに駆け足での桜花見なのに、「まあこんなに近くにこんなに綺麗な桜があるなんて」と感心して、「お父さん、今日は言い桜を見せてもらった」と喜んでいました。私の株も少し上がったようでした。

 昨日は乾いたかき餅をダス缶に入れたり、乾燥し終わったひじきやワカメを収納したり、更には感想に使ったサナを納屋にしまったりと、妻に言われるまま家のこまゴマを殊勝にも手伝いました。お陰でそこら辺がすっきり片付き、いい一日となりました。

 相撲取りが処理のインタビューで「一日一番を大事にとってます」という言葉を借りれば、やはり老いを迎えたこれからは、一日一日を大切に穏やか暮らして行かなければなりません。亭主関白な私もそろそろ年貢の納め時、少し妻の言い分も聞き入れて、いい亭主になろうと心がけているつもりの今日この頃です。


  「ブログには 絶対書くな 言われたが 犬も食わない 約束破る」

  「一目惚れ したはず妻も いつの間に 小太りおばさん こちらおじさん」

  「花を撮る つもりが妻に ピント合い それなり写る 田舎の桜」

  「近場でも 綺麗な桜 あるんだね 感心しきり 妻も感激」

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