shin-1さんの日記

○松野町を訪ねる

 松野町の中心施設はおさかな館のある道の駅です。道の駅では様々な特産品が販売されていますが、青空市に出品している人たちの総会の記念講演に招かれ出かけました。松野町は愛媛県内で松前町とともに合併しなかった町です。人口は5千人弱ながら町を二分する合併議論に翻弄され、紆余曲折を経て今日に至っています。鬼北からと宇和島から行くことができますが、四万十市西土佐に通じる国道はどちらかというと交通量はそんなに多くありません。それでも土佐街道や滑床渓谷などの観光地もあるためそれなりの交流人口はあり、特産の桃も季節になると沢山出回っているようです。


若松進一ブログ

 元教育長をしていた旧友芝さんの口利きでこの日の講演をお引き受けしましたが、総会は2時30分に終わる予定が議論百出したようで、私の話は少し遅れて3時過ぎから始まりました。町長さんも参加者に混じって席に着き、また顔馴染みの八十島さんや普及センターの片岡さんの顔々など少々やりにくいめんもありましたが、まあ何とか1時間お茶を濁しました。

 ご多聞に漏れず少子高齢化、過疎化の進む山村なので、これといった手立てはありませんが、昨日は少し地域づくり失敗の10ヶ条を話させてもらいました。

   地域づくり失敗の10ヶ条

 第一条  どんな地域にしたいか夢がない

 第二条  はずみ車でなく振り子時計の議論に終始している

 第三条  やらにことをやれないと言い訳ばかりしている

 第四条  補助金や人の懐を当てにして身銭を切らない

 第五条  失敗や反対にあったら直ぐに止めてしまう

 第六条  成功した事例を物真似したがる

 第七条  社会の流れや時代の流れを読めない

 第八条  経済を無視いている(入力と出力のバランス)

 第九条  地域と人を巻き込んでいない

 第十条  人も地域も自立できていない

 少々きつい勘に障るような言い方をしましたが、失敗の10ヶ条は裏を返せば成功の10ヶ条になるのですから、頑張って欲しいものです。昨日は嬉しいことに行政職員も何人か参加者に混じって私の話を聞いていただきました。合併をせずに生き残りかけた町のやるべきことは無駄を省くこと、あるものを生かすこと、死に物狂いでやること以外ありません。何よりも嬉しかったのは町長さんが最後までお話を聞いていただいたこと、そして私のアポを取ってくれた担当者の毛利さんが自分の生き方と私の考えをダブらせて聞いてくれたことでした。

 たかが職員されど職員です。人口5千人程度の町ならやる気の職員の3人もいれば町は生まれ変われるのです。①町を愛する、②町のためにやる、③町を正しい方向に導くことを基本理念に頑張って欲しいと祈っています。

 追伸 友人鎌田秋吉さんが苦心して指導した南高梅の9パーセント梅干は久々の健康食品ヒット商品です。土産にいただき早速昨晩食べましたがこれは逸品です。是非お買い求めの上ご支援下さい。


  「久方に 訪ねし町で 熱弁を 一人の男 やる気起こさす」

  「梅干も 人の腕技 知恵により 健康食品 生まれ変わりて」

  「どうすれば 成功するか 考えた 逆も真なり 失敗学ぶ」

  「何処となく 昔のわが町 見てるよう 嵐の後の 静か気になる」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○元気そうでホッとしました

 昨日は講演を頼まれて北宇和郡松野町まで出かけました。約2時間かかる高知県境と接する松野町へ行くには宇和島ルート、西予市ルート、肱川ルートがありますが、昨日は肱川ルートを走りました。大洲で所用があったため肱川左岸でなく右岸沿いの菅田道を初めて走りましたが、そこここに藤やつつじの花が咲き、周囲の山々の芽吹きとともに、目を奪われそうな雰囲気の中をのんびり走りました。

 肱川ルートを走る時の中継休憩所はやはり道の駅夢産地です。道の駅ふたみの駅長をしていた頃道の駅連絡会の役員をしていたこともあって、恩地さんなどの顔が懐かしく思い出されましたが、その後彼らは果たして何処でどのような仕事をしているのだろうと思いつつ、トイレ休憩をしました。


 カーナビで残りの距離数を調べるためいじっていると、カーナビの画面に「泉小学校」という文字が出てきました。とっさに今年の異動で上灘中学校から泉小学校の校長先生として異動された浅野祥代先生のことを思い出しました。道の駅も随分様変わりして、地元に詳しい人が殆どいないのか、「泉小学校の場所を教えて下さい」と店員に聞いても知らない様子で、結局奥にいる人に聞いてもらい「トンネルの近く」という話を聞き出しました。

 「同じ鬼北町内なのに店員が知らないとは」と思いました。道の駅の使命は物を売ることも食べさせることも、トイレを提供させることもさることながら、道行く人や尋ね人に「情報提供することも大切な仕事だぞ」と、心の中でつぶやきながら店を出ました。カーナビの画面を注意深く横目で見ながら、トンネル付近に近づくと「泉小学校」の文字が出てきました。言われたとおり進むと広見川に架かる細い橋があり、橋の向うに学校の体育館の屋根が見えてきました。

若松進一ブログ

(泉小学校の校門)

 玄関先に車を止めて校庭に入りました。校庭では子どもたちや先生が中腰で運動場の草引きの真っ最中でした。不審者と見間違われないように、大きな声で自分の名前を継げ校長先生に会いたいと告げました。「どうぞどうぞ」と作業の手を休めて案内してもらいました。

 聞けば校長先生は室内にいたようなので、玄関先で大きな声で「浅野校長先生、双海町の若松です。お顔を見に立ち寄りました」と叫ぶと、浅野校長先生は驚いた様子で玄関先まで出て来られ、満面の笑みで迎えていただきました。

 異動してから僅か20日ほどしか経っていないのに、長い間あっていないような懐かしさに思わずウルウルしました。菅外異動で上灘中学校へ昇任校長として来られ、統合中学校となりため上灘中学校最後の校長を勤めた浅野校長先生とは、学校評議員をしていたこともあって、様々な場面で様々なお話をし、時には腹を割った教育論を語り、色々と教わることが多かったのです。

若松進一ブログ

(泉小学校の全景)
若松進一ブログ

(懐かしい浅野祥代校長先生)

 お願いして記念に写真を一枚撮らせていただきました。校長室の窓を開けて周囲の山々の景色や川の瀬音を自慢げに見せてもらいました。小学校勤務は初めてだそうですが、穏やかな顔をしていて安心をしました。

 先を急いでいたので玄関先の鬼北文楽のでこ人形や、教頭先生と立ち話をして学校を後にしました。上灘中学校時代から変わらぬ丁寧な玄関先見送りの姿勢は今も変わることなく、車のバックミラーに手を振って送ってくれた先生の姿を残像として残しながら後ろ髪引かれる思いで泉小学校を後にしました。

若松進一ブログ
(玄関先に飾られていた鬼北文楽のでこ人形)

  「カーナビで 泉の文字を 見つけたり 少し道草 懐かし人に」

  「二十日前 異動で去りし 人訪ね 再開嬉し 元気な姿」

  「いつかまた 鬼北文楽 見たいもの 玄関先の でこに会いたい」

  「迎えより 送りが大事 教わった 今も変わらず 実践姿」 

[ この記事をシェアする ]