shin-1さんの日記

○叔父と叔母を訪ねる

 私には叔父と叔母が沢山います。当然その子どもたちは全て従兄弟ですから、その親族となると顔と名前が一致しないほどいます。子どもの頃正月かるたにあった「(り)律儀者の子沢山」という手合いでしょう。ところが一番年上の親父が90歳ですから、親父の兄弟姉妹はみんな高齢になったり高齢になりつつあるのです。母方の叔父や叔母10人は既に亡くなっていますが、父方にはまだ15人も叔父や叔母が健在なのです。

 昨日の朝、親父が兄弟の夢を見たから近況が知りたいというので松前町に住む叔父と叔母の家を訪ねました。妻は手土産に双海町のみかんを一箱づつ用意をしてくれましたので少しの野菜も添えようと、ナスと蕪菜と里芋を持参して出かけました。

 まず叔母の家に伺いました。叔母の旦那は書道が得意です。私が今回小さな本を出版するので、その本の表紙を飾る墨字を書いて貰うべく頼んでいたのが出来たと、電話連絡を受けていたことも好都合でした。叔母は床に伏せっていました。母の七回忌法要の前日救急車で病院に入り、入院していた分少し体力が落ちているようにも感じましたが、それでも回復の兆しが見えて一安心しました。墨字の書は既に出来上がっていて何枚かいただきおいとましました。

 次に叔父の家を訪ねました。折からどしゃ降りの雨が降り出し車から降りるだけで多少濡れましたが、叔父の家の玄関に入りチャイムを鳴らすのですが反応がありません。中ではテレビの声が聞こえているのにです。勝手知ったる家なので玄関から声を掛けて中に入ると、電気もつけない薄暗い居間で叔父はテレビを見ていました。私の時ならぬ侵入に驚いた様子でしたが、私と分ってか細い手を差し伸べてきました。老衰と認知が少し垣間見えました。丁度叔母が外出先から帰って来た所に出くわし、四方山話をしました。叔母の話によると叔父の様子も一進一退で、叔父の世話も中々大変だと、これからの暮しの不安を話していました。あれ程凛としていた叔父がこんなになるのかと、改めて老いの寂しさを思いました。叔父の家は小さな鉄工業を営んでいます。先日叔父の息子に人間牧場の風呂用の水タンクをステンレスで作ってもらったので、お礼にビールを一箱添えて差し出しおいとましました。

 私たちが子どもの頃は、秋祭りも行き来があって盛んに交流していましたが、今はそのような交流も途絶えてしまいました。帰宅して親父に叔父や叔母の消息を詳しく話してやりましたが、安堵したようでした。その親父も来月には白内障の手術を控えています。身近な所で身近な人が老いて行く、当然の成り行きながら少し寂しさを感じる一日でした。妻は「深夜や早朝に電話があるとハッとする」そうです。叔父や叔母が何かあっても不思議でない年齢を迎えているからです。折りしも昨夜から今年の秋一番の冷え込みで北西の季節風が吹き始めました。風が心に染みます。

  「叔母叔父の 老いを見舞いに 訪問す 涙流して 喜んでくれ」

  「あれ程に 元気矍鑠 叔父や叔母 見る影もなく 老いて寂しや」

  「暗き部屋 水戸黄門が 映ってる 何処も同じだ 今頃父も」

  「寒さ増し 早くも親父 冬支度 寒さ暑さも 老いには厳し」

  

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