shin-1さんの日記

○あんたは暇だから・・・・

 昨日古い友人からメールが届きました。「パソコンをいじっていると若松さんのブログに行き着きました。懐かしさの余りに読んでいると、結局寝れなくなって朝方まで読みふけりました。お陰で今日は寝不足です。間もなく定年を迎えリタイアする予定の私ですが、あなたのような定年後の生き方が出来るかどうか不安です。でも来年の退職までには何とか生き方を見つけたいと、あなたの文章を読みながら感化されました。それにしてもあなたのブログは凄いです。あるわあるわで毎日2本、しかもあれだけ長文の文章をよく書けますねえ。よっぽど暇なのでしょうね」で結んでいました。

 確かに言われるとおり私はあの文章を書くための時間があるのですから暇といえば暇なのでしょう。でもあの文章を書くためには朝4時に起きて1本、12時就寝までに1本と人が休んでいる入る間の時間を利用して書いているのですから、時間の有効利用といった方が正しいのかも知れません。

 文章の長さですが、私には今の文章の長さがないと舌足らずになって上手く表現できないのです。最初は少し短めの文章からスタートしましたが、結局は今のスタイルになってしまいました。

 「毎日何でそんなに書くことがあるの」とも書かれていましたが、書くことが多過ぎて困るほど話題には事欠きません。それというのも日々の暮しを素材にしているため、毎日ご飯を食べるのと一緒です。ブログは他人に読んでもらうドキドキ感もあるのですが、見えない読者ゆえに、嘘や見栄を張ってカモフラージュすると、読者の目は厳しくそのことを見抜いてしまうのです。ですから自由人になった今が誰からも束縛されず本音で書けるので、好評を得るのかも知れませんね。

 文書はその視との能力にもよりますが、書けば書くほどスピードが早くなり、表現も豊かになることは事実です。私などは相変わらずの拙文で、幼稚文のそしりを免れません。でもこの2年間で随分書くスピードも早くなりました。書き続けていると四季の移ろいや日々の暮しもそういう目で見るから何処かメリハリが効いて豊かになります。新聞を読んでも雑誌を見ても学びの心が頭を持ち上げるのです。お陰様で知的エネルギーが随分蓄積されました。後はこの知識を知恵に変えるための努力が必要です。これからも出来る限り努力してブログを続けてみたいと思っています。

  「旧友の 送りしメールに 暇とある 確かに俺は 暇かも知れぬ」

  「ブログ読み 寝不足だよと メール書く 友の笑顔が 思い出される」

  「来年は 彼自由人の 仲間入り 見本のような 生き方します」

  「ブログ書き 只今俺の 生きがいだ 

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shin-1さんの日記

○コマーシャル出演

 数日前水産高校の大先輩である玉井さんから電話が入り、アマチュアカメラマンのグループが30秒のまち紹介コマーシャルを作る計画なので相談に乗って欲しいと連絡がありました。第一線を退くまでは様々なテレビや新聞雑誌に登場していましたが、最近は出来るだけ表舞台から引くよう心掛けているのでと断ったのですが、結局渦の中に巻き込まれてしまいました。まだ企画の段階だし断ればいいと思いつつ現地下見などに付き合っていると私の石と違う方向へどんどん向いていってしまい、今日は試作のビデオに出演してしまう羽目になってしまいました。

 私は木のカバンを持って全国歩いています。昔は双海町の動く広告塔を自認し日本全国へ双海町を売り歩きました。ところが平成の合併によって双海町という自治体が日本地図の上から消えたものですから、売り歩く「もの」がなくなってしまったのです。それでもかろうじて残っている双海町に伊予市という冠をつけて売り歩いているのです。私は双海町のセールスマンから伊予市双海町のセールスマンになったのです。「愛媛県双海町の若松です」と言っていましたが、今は「愛媛県伊予市双海町の若松です」と舌を噛みそうなぎこちなさでこの2年半伊予市双海町のセールスマンに徹してきました。

 正直言って伊予市は伊予の国を連想するいい名前だと思いますが、知名度は下から数えた方が早いほどで無名に等しいのです。20年前の双海町と同じくらい無名で、伊予市を紹介するのに愛媛県・松山市・道後温泉・瀬戸内海に面したなどの枕詞を出さねばつうじないのです。でも合併して伊予市民になったのですから、このまま見過ごすわけにはいけないし、市民として伊予市を誇りに思わねばなりません。またそれが市民としての責務と考え、一生懸命伊予市を宣伝しているのですが、行政もその辺のことには余り無頓着なようで、このままだと20の市町がありますが、400メートルトラックをヨーイドンで2年半前にスタートしたのに、ビリあたりを走っているような錯角さえ持つのです。

 世の中はコマーシャルや情報発信の時代となりました。何にもせずにただ指を加えていたのでは観光客も素通りし、産物も売れず衰退の一途を辿るのです。人が集まるということはどういう意味を持っているのか少し考えてほしいものです。

 私が出ると煙たい人もいるでしょう。それは20年前に始めたまちづくりの活動でも同じようなことに何度も出くわしました。でも誰かが批判覚悟で革新運動を起こさなければ、折角合併して誕生した新生伊予市が発展しないのです。みんなで目立ちましょうよ。

  「このまちは 死んでいるのか 静かだね それでも時は 流れています」

  「鞄持ち 日本全国 北南 伊予市を売って 歩く気概を」

  「ヨーイドン 一斉スタート したけれど レベルはいかに あるのだろうか」

  「もし俺が 市長だったら こんなこと 指折り数え 悲し運命」

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