○変わる日本・変わる地域
「アメリカがくしゃみをした日本が風邪を引く」といわれるくらい日本はアメリカを見本に国全体が変化を遂げてきました。戦前まではヨーロッパをモデルに日本は明治以来成長してきましたが、敗戦後の日本は戦争相手国だったことによる戦後処理がアメリカの強烈なリードによってなされたため、アメリカの自由主義を何のためらいもなく受け入れてきました。文化も経済も10年前のアメリカの姿が今の日本の姿でしたし、10年後の日本は今のアメリカでした。ゆえに未来学者たちはアメリカの姿を見て、さも自分が考えたような言動で日本の将来を憂いていました。為替や株の値動きは地球の丸さを考えると二十四時間どこかの経済マーケットで取引が行われている訳ですから、ニューヨークの株価がそのまま東京の株価に連動して、眠らない地球の一面を垣間見ることが出来のです。
しかしこの最近アメリカのそれとは少し異なる日本独自の現象や生き方が、少しずつ見え隠れするようになってきたのです。それは日本らしいことであり、大いに歓迎する部分もありますが、これまでアメリカを研究すれば対処法が見つかったけれども、これからは日本独自の仕方が要求され、モデルや見本のない社会であることも肝に銘じなければならないのです。
それと同じようなことが日本の国内でも起こってきました。これまでは画一的ないわば東京で考えた方向に向いていればよかったのですが、東京には最早その解決モデルがなくなりつつあるのですから、自分自身で考えなければ次へのステップアップが望めなくなったのです。
その大きな変化が雪崩のように起こっているのが教育の現場です。中央では識者といわれる人々がそれぞえの言動で未だにアメリカをモデルの話をしています。例えば戦後60年間3学期制を堅持してきた方向は2学期制の導入という新しい方向に移行しつつあります。2学期制の優位性を主張する人たちはモデルケースとして保護者の理解も得ぬままいかにも先進事例として持て囃されていますが、日本の四季を考えるとどうもそぐわない部分もあるようです。時間数を確保するための方策だけで日本の3学期制を無くしていいものか疑いたくなるのです。また中高一貫教育と称してこれまでの校区の枠や進学の方向を闇雲に乱す考えも難点があるようです。
文部科学大臣だってまるで猫の目のようにコロコロと方向を変え、ゆとりといった方向は学力という名の元に基に戻され、これまでの現場の努力は一体何だったのかと呆れてものが言えないのです。
問題は地方の教育行政の基をなす教育委員会制度が形骸化しているからだと指摘する声は当らずも遠からじの感がしますが、教育の独自性も予算権、つまり金を持たない悲しさで、金を持っている行政の言いなりにならなければならない非力さから生み出される産物なのかも知れません。
どちらにしても、今こそ主体性・自立性を持った地方の独自性を持たねば生き残れない時代が来ていることは事実です。その基はやはりそれに気付き、しっかりとした政策を立案する能力を持った人材の出現だと思うのです。
「最早今 解決策の モデルなく 自ら生きる 知恵を待たねば」
「枝葉だけ 揺すった所で 幹動く 気配ないのに 相も変わらず」
「結局は 誰が悪いか 震源地 親たる自分 責めねばならぬ」
「アメリカや 東京物真似 止めとこう 俺には俺の 生き方見つけ」