shin-1さんの日記

○ありがとう

 先日シーサイド公園で車椅子のおばちゃんがトイレへ行こうとしていました。この公園は私が発案して私が中心になって造った公園です。造った頃は造る事に夢中で、まだバリアフリーなんてことは意識しない時代背景もあって、車椅子の身障者対応を設計者から提案された時も、そのスペースがあるのなら団体対応の便器が三つも増やせると思ったほどでした。でも設計者は将来を見越し設計者のプライドをこともあろうに発注者に押し付けたのです。結果的には設計者の予言が当りましたが、身障者対応はトイレのみでそこここには段差が多く、後に急ごしらえでスロープをつけるなど、不自然な姿を今もさらけていて、今は汗顔の思いなのです。

 車椅子のおばあちゃんは窮屈そうにトイレへ向って進んでいましたが、僅か1センチにも満たない段差に車椅子の車輪を引っ掛けストップです。私は縁もゆかりもないけれど車椅子の後ろから「押させてください」と声をかけ、トイレまで押してあげました。思わずおばあちゃんは私の手を握り「ありがとう」と言ってくれました。

 昨晩外出先から帰り夕食を済ませて妻と二人で風呂に入りました。二人の入浴は別に怪しくも卑しくもない結婚以来変わらない見慣れた暮しです。私は毎日頭をシャンプーで洗います。短い頭のためドライヤーなど使ったこともないほど簡単な頭の手入れです。私が頭を洗っていると妻がどういう風の吹き回しか湯桶で頭にお湯を掛けて洗ってくれました。ザブン・ザブン・ザブンと3回も掛けてくれました。私は妻に「ありがとう」と言いました。

 私たち夫婦は一yその布団に寝ます。二人が同じ布団に寝ることは別に怪しくも卑しくもない結婚以来変わらない見慣れた暮しです。妻は夏の疲れが溜っているのか肩や足にサロンパスを貼ろうとしていました。私が「肩を揉んでやる」といって、肩や背中を整体に行った時の要領で揉んでやりました。10分も揉んだでしょうか、妻が「ありがとう。随分楽になったわ。お父さんが私を揉んでくれるなんて明日は雨でも降らなければいいが」と、少し皮肉を言われましたが、「ありがとう」と言って眠りにつきました。

 おばあちゃんの「ありがとう」も、妻の「ありがとう」も何気ない言葉のようですが、心に爽やかな風が吹いたような感じがしました。毎日のように起きる事件事故の危ない時代に生きていると、人を見たら危険や泥棒と思う人間不信の世の中でも、こうして少しばかりの奉仕や感謝の気持ちを持ったなら、世の中は随分暮らしやすくなるものだと思いました。今朝は毎日の日課である親父の腰にサロンパスを貼りましたが、親父が「ありあとう」と言ってくれました。夫婦でも親子でも「ありがとう」はいいものです。

  「ありがとう 五つひらがな 言う度に 心爽やか そよ風吹いて」

  「未熟者 だったと反省 車椅子 押して気がつく 段差多さに」

  「この体 俺を支えて 三十年 揉んでやりたい そんな気持ちに」

  「ありがとう 何遍言って 来ただろう これから先も 感謝の道を」


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shin-1さんの日記

○送られて来た一冊の本

 真夏の太陽がギラギラと照りつける今年の夏7月24日、私は株式会社いろどりの横石副社長さんに頼まれて、今をときめく徳島県上勝町へ講演に出かけました。まちづくりの世界で葉っぱの上勝を知らない者はもぐりといわれるほど有名な町なのです。今はお互いに「知ちゃん」「進ちゃん」と呼び合う間柄なのですが、彼と私の関係はそんなに古いものではないのです。

 昨年2月24日に松山市道後のメルパルクで開かれたまちづくりサロンの打ち合わせを兼ねた顔見世が高知県馬路村であり、朝日新聞の砂場さんたちと乗り込みました。馬路村の東谷組合長さんとは出会いもありましたが深いご縁をいただいたのはこの時でした。そして「地域の自立とは何か」というテーマで開いたシンポジウムは、仕掛けたえひめ地域政策研究センター清水研究員も驚くほどの注目を集め、機関紙舞たうんなどでも度々紹介されてきたのです。

 7月24日の上勝町での講演窓口になってくれたのが株式会社いろどりの上野あやさんでした。彼女は東京の大学を卒業した才媛でとにかくかゆい所に手が届くような気配りのできる女性です。講演が終わった後も今も小まめな配慮や手紙が届き、今では上野あやさんのファンになっているのです。

 その上野あやさんからラブレター?が届きました。開けてみると一冊の本が出て来ました。

 そうだ、葉っぱを売ろう!。過疎の町、どん底からの再生。ニューズウイーク日本版「世界を変える社会起業家100人に選ばれた男の壮絶な生き様!。おばあちゃんが、葉っぱを売って1000万円!?。地方再生、老人福祉、事業改革など成功のヒントが満載!。マスコミで大反響!徳島の小さな町の軌跡が遂に書籍化。などの文字が表紙に躍っているのです。ページを開けてみると、

 男は朝っぱら大酒をあおり、女は影で他人をそしり日々を過ごすどん底の田舎町、この町でよそ者扱いされた青年が、町民の大反発を買ったことから始まった再生ストーリー、今では70代、80代のおばあちゃんたちが売上高2億6000万円のビジネスを支え、人口の2倍もの視察者が訪れる注目の町に変貌した。著者が二十数年をかけて成し遂げた命がけの蘇生術の全貌が明らかになる!と書かれています。

 裏表紙には横石知二さんの略歴が記されています。

 1958年徳島市生まれ、79年徳島県農業大学校園芸科卒業、上勝町農協に営農指導員として入社、86年つまもの商品「彩」を開発、販売、91年特産品開発室長、96年上勝町役場産業課に転籍、99年第三セクター「株式会社いろどり」取締役、2005年同社代表取締役副社長、02年アントレプレナー・オブザイヤー日本大会特別賞受賞、03年日本ソフト化大賞受賞、07年地域活性化担当大臣から「地域活性化伝道師」に、経済産業大臣から「地域中小企業サポーター」に、内閣官房および経済産業省から「地域産業おこしに燃える人」に、ニューズウィーク日本版「世界を変える社会起業家100人」に選ばれる。

 中身はお金を出して買って読んで下さい。

 それにしても農協と役場の違いこそあれ、あるいは夕日と葉っぱこそ違え、私とよく似た経歴の持ち主であることに気がつきました。私は横石さんのことを「葉っぱで金儲けするなんてまるで狐か狸の世界だ」と茶化せば、横石さんは「夕日なんて何処にでもあるのに自分のものだ何てひど過ぎる」とお互い酒の肴にして大笑いです。世の中面白いですね。

  「世の中にゃ 俺とよく似た 人がいる 夕日と葉っぱ 品こそ違え」

  「憧れの 人から本の プレゼント なるほど彼女 狐の親戚」

  「どの人も 苦労あるから 今がある 何度も壁に その度起きて」

  「思い出す 上勝町の 夜のこと 楽しかったね 元気だろうか」

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