shin-1さんの日記

○子ども未来塾

 えひめ地域政策研究センターの発刊している「舞たうん」という雑誌に、「若者とまちづくり」というタイトルで8回ほど連載執筆していますが、子どもを含めた若者たちにとってまちづくりとは、近くて遠い存在だとしみじみ思います。親が自分の住んでるまちについて案外知っているようで知らないし、行政は「協働と参画のまちづくり」などとまるでオームのようにフレーズを唱えていますが、参画どころか参加さえもままならず、自分のまちを自分の子どもたちにさえ正確に伝えていない現状を見ると、まちづくりの難しさが良く分るのです。

 そんな中「子ども未来塾」という会議の世話をしている三好尚美さんに頼まれて昨日その集会に参加しました。小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで上としたでは60歳も年齢差のあるこの人たちに、2時間の持ち時間を与えられてお話するのですが、正直言って誰に焦点をあて何を語り、どんな言葉が適当なのか、話のスピードさえも分らず面食らってしまいました。PTA活動などでは親子で話が聞きたいという求めに応じ話すことがよくあるものですから、その経験を基に2時間も休むこともなく話し続けました。しかし驚いたことに参加者はみんな熱心に耳を傾けてくれたのです。多分三好尚美さんのコーディネートが良かったからなのでしょう。

 参加者はまず三好さんのシナリオに沿って自己紹介とまちづくりで学びたいことをカードに書いて発表していました。私が会場に着いたのはその最中でしたが、そのカードをホワイトボードに貼り付けながら同じ意見と違った意見をグループ分けしていたようです。少しだけその話を予備知識に入れながら話したのですが、私の話を聞いた後の感想と質問の時間に、一人一人がショートコメントしてくれました。その意見はとても素晴らしく私の話が的外れでなかったことを感じ少し安心しました。上の写真2枚は三好尚美さんが私へのメールに添付して送ってくれたものです。

 今回のプログラムは「まちづくりチャレンジ編」として、私が「楽しいまちづくり・まちづくり入門」と、次回「公園とまちづくり・公園フィールドワーク夢プランづくり」の2回を担当します。私の仕事が終われば三重大学の浅野聡助教授による「まちづくり入門①・まちづくり学習とは」、「まちづくり入門②・まちづくり活動の実践事例」、「まちづくり入門③・20世紀のまちから21世紀のまちへ」、「まちづくり入門④・協働型のまちづくり」などが用意された本格的な学習会なのです。このメンバーにこれだけの豊富な知識が全て受け入れられるとは思いませんが、三好尚美さんの意気込みの凄さや準備の周到さに思わず脱帽してしまいました。

 参加した人は千差万別ながら発表や受講態度が真面目で、次回の研修会で具体的な公園作りというテーマにどれだけアプローチさせることが出来るか、私の腕が試されそうです。私は常々まちづくりは学びながら高まるという意識を持ってきました。今もその考えは変わっていません。例えば私は今、高知県四万十市西土佐へ20回を目指す集会に行っていますが、それは私の知恵の伝授と同時に新しい知識の習得のいわば修行の場ともなっているのです。現場から学ぶことは実に多く今回も様々な学びを自らがしそうな予感がしてきました。

 例えば、今回のプログラムに関わっている三重大学の浅野先生がテキストに使う予定の「桑名のまちづくり」についての本は、既に私の手元に購入して読み終えていますし、理論体系のストーリーがある程度読めるのです。まちづくりの推進技法は人それぞれですが①まちを愛する、②自分のためまちのためにやる、③まちをいい方向に導くという点では共通しているのです。桑名のまちづくりも昔は協働や参画という言葉のない時代ながら町衆という民力が長年培ってきたまちへの想いの深さがまちづくりとなって成果を収めてきたのでははないかと思えるのです。

 まちづくりは得てして成功事例を引き合いに出し物まねを強いるきらいがあります。でもまちづくりはある意味生き物ですから、気候も風土も歴史も文化も、ましてや住んでる人の意識も違うのですから物まねのしようがないし、しても結局は上手くいくはずがないのです。子ども未来塾という種まき作戦でどんなまちづくりの新しい芽が生まれるのでしょうか楽しみです。

  「この人に 話せと言われ さて誰に 焦点合わせて よいのか迷う」

  「公園の ベンチに座り 行く雲の 行方のんびり 虫の音聞きつ」

  「ほうここに こんなものある 発見し 歩く楽しさ 改め思う」

  「いい話 聞いたと子ども 発言す 間に受け 感激また話す」

 

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shin-1さんの日記

○夫婦還暦

 先日妻は誕生日を向かえ私たち夫婦は只今そろって還暦です。私と妻は年齢が一歳弱の差ですから、約半月おない年なのです。一週間前息子夫婦が我が家に帰ってきて「お父さん、来週の日曜日空けといて」と唐突に言うのです。「どしたん」と尋ねると、「子どもたちでお父さんとお母さんの還暦祝いをやるから」と殊勝なことを言いました。私は自分の予定表を繰りながら「その日は松山で会議が入っているので行けん」と言うと「その会議は何時から」とやり取りが始まり、「12時ごろまで」、「その会議は何処であるの」、「松山市総合公園」、「そこからだと道後は30分もあれば十分。じゃあ12時30分には道後の大和屋本店を予約するから必ず遅れんように出席してよ」、「分った努力する」と、まあこんな会話でした。その日が昨日やって来て私は松山市総合公園での会議を済ませ12時半きっかりに大和屋本店に着きました。夫婦一緒に松山市総合公園に着いた妻は公園内を一時間余り散策した頃を見計らって長男夫婦が迎えに来て、子どもたち全員は孫とともに既に到着していました。

 フロントで顔見知りのホテル社長にばったり出会い二言三言言葉を交わし、奥まった見晴らしのよいそれでいて静かな部屋に案内されました。連絡を取り合ったのでしょうが、仕事の都合で今治に住んでる三男も駆けつけて子どもたちも全員集合です。三男には昨日しまなみ海道を渡る前に電話をして近況を聞いたばかりで、その時は何も話に出ませんでしたのでびっくりしました。

 家族が集まれば近況や昔話に花が咲き、特に一人っ子の3歳になる孫が大はしゃぎでまるで孫の誕生パーティみたいな賑やかさです。私進一の一を全ての子どもの名前に付けている話題や、少年少女の頃の話はいくら喋っても喋りたらないくらいありますし、長女の夫や長男の嫁には珍しい話なので色々な話が出ました。妻は感激の面持ちで聞き入っていましたが、私は外、妻は内と役割を勝手に決めて小さい子どもの世話は殆ど妻に任せきりだったものですから、私は随分肩身が狭く感じます。でも子どもたちは大きくなるにしたがって進学や就職など人生の岐路にたった時、父親である私の出番を求めてきました。特に男の子ども3人は私と向かい合って人生について考えました。息子たちは早いものでもう30歳を挟んで適齢期を迎えていますが、転職などの挫折や再起も味わって、これから益々父親としてのかかわりが多くなりそうです。

 昭和46年に結婚し二人で始めた新しいわが家庭も4人の子宝と孫一人に恵まれて、マイホームの新築から私の退職まで小さいながら様々なドラマが展開されてきました。波風も収まってどうにかここまで来たって感じるこれからは、老後という新しいドラマが待っています。勿論子どもたちにとっても私たちがそうであったような新しいドラマが始まるのでしょうが、子どもたちには更なる加速努力を、私たちには更なる減速努力を願うものです。

 一応の子育ては終わりましたが、昨日見せてくれた子どもたちの優しい心根を思いつつ、これからも子どもたちをしっかりと支えてやりたいものだと思いました。

 帰り際車の中で、子どもたちから貰った記念品を手でさすりながら、「色々あったけど、今日くらい子どもを産み育てて良かったと思ったことはない」と神妙に話すのです。多少多いように思える4人の子どもも、今となっては少ない感じもします。昨今の少子化を聞くにつけやはり子どもは沢山に限ると思いました。

  「還暦を 祝う子どもの 嬉しさよ 生んでよかった 妻はしみじみ」

  「加速して 子どもに期待 俺たちは 減速しつつ 穏やか生きる」

  「今がある 子どものお陰 生きがいに 必死に生きた 日々が懐かし」

  「気がつけば 妻も還暦 二人して 間もなく年金 貰える歳に」 

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