shin-1さんの日記

○彼岸花の咲く頃 

 季節は移り彼岸花の咲くしのぎよい頃になってきました。この花は別名マンジュシャゲとも呼ばれていますが、その色合いが真赤でド派手なことから好き嫌いの好みも分かれています。わが町では敬老の日頃から咲き始め10月の終わりには姿を消す意外と夏季の短い花のようです。

 わが家の周辺は夏の終わりを告げる草刈を10日前に草刈機で刈り取ったのですが、その後に綺麗な彼岸花が四つ咲き始めているのをミョウガを取りに行って発見しました。その見事さに惚れ込み早速デジカメを取りに帰って撮影しにチャレンジしました。

 ご覧下さい。この彼岸花の美しさを。カメラの技術もさることながら自然が生んだ最高の傑作といっても過言でないほどの出来栄えです。上の花は満開ですが下の花はまだ7分咲きといったところでしょう。花を観察しながらもう一枚花を真上から撮って見ましたがこれまた夏の夜大空高く舞い上がる花火に似て絵に書いたような美しさなのです。最近は珍しい黄色い彼岸花もあちらこちらで見るようになりましたが、彼岸花はやはり燃えるような赤が一番と私は思っています。

 彼岸花は田んぼのあぜ道などに群生して真っ赤なジュータンを敷き詰めたようになっている姿をよく見かけますが、こうして一、二輪咲く姿も清楚でいいのではないでしょうか。この2枚の写真を見て俺の腕もまんざらではないと指で鼻の下をこすりわが妻に自慢たらしく者損を見せてやりました。妻曰く「私は彼岸花は毒花と聞いているので昔から余り好きじゃあない」と冷めた反応です。辺りを見渡すと葛の花やススキの穂、それに瑞々しいばかりの露草の青い花がこれまた印象的に咲いていました。しかしこの写真を見てがっくり、小さな写真だから目立たないのですが花は完全にピンボケしています。焦点が露草の葉っぱに当たっているようで、妻から「これボケてるよ」と指摘を受けて、「私はやっぱり腕が悪い」と先程の鼻をへし折られた感じがしました。

 やっと夏の喧騒からも夏の忙しさからも開放され、野の花を楽しむ気分になれました。といっても、明日はまた鳥取県へ出かけなければなりません。でも夏の疲れも出ず、今のところ体調もいいので、せいぜい虫の声や野の花を楽しみたいと思っています。

  「彼岸花 裏の畑で 見つけたり しゃがんでしみじみ 自然の神秘」

  「露草を 一輪摘んで 活けにけり 部屋に生気が 満ちて清しい」

  「台風の 風にもめげず 破れ傘 凛と咲き立ち 季節演出」

  「野の花に 心動かす 余裕出来 秋ゆっくりと わが家に来たり」  

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shin-1さんの日記

○小学校の運動会

 台風13号の接近で昨日の午後は暴風雨波浪警報が出るなど、西日本では雨交じりの突風が吹き荒れ各地に大きな被害をもたらしましたが、昨日の午前中は何とか天気が持って地元小学校の運動会がヒヤイヒヤながら行われました。機を見て敏なろとはこのことを言うのでしょうか。他市町村では早々と延期を決めたというのに、無謀とも思える決断が好結果を生んで開会を早めたりしながらの運営で暑くもなくいい運動会が出来たようです。

 評議員としてご案内をいただきましたので孫を連れて運動会の見学に行きました。やはり小学校の運動会は華やいで、万国旗が運動場一杯に張り巡らされ、とてもいいふんいきでした。私の見学した由並小学校は児童数が減ったといいながら100人以上を維持しているため、まあそこそこの規模ですから、親子のゲームもとても楽しそうでした。

 小学校の運動会はご多分に漏れずビデオカメラの数も相当なもので、低学年などは競技中ながらカメラにVサインをする子どももいて何ともほほえましい姿があちこちに見えました。

 水疱瘡で昨夜は眠れない夜を過ごした孫はまだ早い時間だというのに見学もそこそこで眠そうで、記念に一枚と撮った写真も何となく元気がなく早々に引き上げてきました。

 帰ると中二宮金次郎さんの銅像が気になって、お得意の『何故、どうして」と盛んに私に質問してくるのです。知ってることを色々話してやりましたが、背中に何を乗せてるか、本はどうして読んでるかなど、3歳の子どもらしい質問ですが私にとっては難問でそれ相当な物語になってしまいました。

 さて皆さん二宮金次郎が何の本を読んでるかご存知でしょうか。実は意外と知らない人が多いのです。二宮金次郎の銅像は中国の古書大学という本の一説を読んでいるのです。このことは旅の途中に大阪の古本屋で見つけた大学の中身にについて、詳しく書いたので割愛しますが、三歳の孫の「何の本を読んでるの」という質問には参ってしまいました。

 帰り際学校の直ぐ下にあるシーサイド公園の池で、顔なじみの所長さんから鯉の餌を貰い池の鯉に餌をやりました。鯉は凄まじい勢いで餌に群がり孫の餌をめがけてまるで押し競饅頭のような勢いで迫ってきました。

 この3~4日、水疱瘡の孫は幼稚園にも行けず、昼間は両親の仕事の都合でわが家へ預けられたままです。私にそのお守り役が舞い込んで思わぬ仕事が増えました。お陰さまでこの週末は少し疲れ気味です。水疱瘡といっても体は元気ですから動くのなんのって、いやあ孫の守りは体力が要りますねえ。今日はやっと自宅へ帰るようなので今晩は枕を高くしてゆっくりと休めそうです。

  「おじいちゃん 金次郎さんは 何の本 読んでいるかと 難し質問」

  「校庭に 万国旗風 はためいて 長閑な秋の 一日楽しむ」

  「カメラ据え まるでスターの 運動会 教育熱心 いつまで続くか」

  「コンビニで 買った弁当 広げ食う どうして手づくり しないか不思議」 


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shin-1さんの日記

○台風の威力

 裏山の崖が家まで迫っているわが家では長雨や台風の度に心配で眠れる夜を過ごすのですが、昨晩も大型台風の接近で暴風波浪警報が出たため家の周りの見回りをして台風に備えました。幸いというより不幸にして私たちの地方では大した被害がなかったものの九州地方では9人もの人がなくなったり土石流が発生したり、宮崎県では突風で列車が横倒しになるなど、各地に大きな被害をもたらしました。台風の進行方向に向かって左を通ると危ないといわれるほどに左側を通って、長崎県佐世保に上陸した台風は玄界灘~日本海を通って、行く手を高気圧に遮られながらも北海道を覗っているようです。

 明日は講演のため鳥取県へ行く計画なので、気をもんで台風の行方や速度を気にしていましたが、どうやらこの分だと大丈夫のようなので安心して出かけられそうです。

 しかし台風はどうしてあんなに大きな力を貯えているのか、台風の来る度に人間の科学でさえも説明できないような不思議を感じるのです。アメリカのハリケーンもそうですが、今は気象衛星のお陰で台風の動きを逐一上空から監視して予報を出せるまでになりました。しかしその予防は幼稚でいわば台風をやっつけるような決定的対策は残念ながらまだありません。台風が発生するのは熱帯の海ですから、発生した場所で台風を壊すような方法はないものかと浅はかな知恵で思うのは私一人ではないと思うのです。もしそんなことが可能ならばノーベル賞ものでしょうね。

 台風で思い出すのは私が18歳の時、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へマグロを追って帰る途中の出来事でした。冬としては珍しい980ミリバールの低気圧の洗礼を受けマグロを腹いっぱい抱えていた愛媛丸は何日もその時化に翻弄され、伊豆半島沖の海で木の葉のようになすすべもなく漂い続けました。船を風上に立てるのがやっとという1時間1ノットの速さの向こうに日本があるそのジレンマは、「ひょっとしたらこの船は沈没するかも知れない」という恐怖に変わり若干18歳の若者たちに死さえも覚悟させたのでした。幸いなことに荒れ狂う数日間の暗闇の生活の果て、水平線の彼方に富士山の姿を見た時の感動は今も忘れることが出来ません。人は必ず一度は死ぬのですが生きていることの実感は中々つかめるものではありません。生きていてもつまらないからと悲観して死を選ぶ若者に言いたいのです。日本では戦争で生きたいのに死ななければならない人を数多く死なせました。私たちのように死ぬかもしれないと思いながら死ななかった人間は、生きるということがどんなに素晴らしいことなのかよく分るのです。死ぬかもしれないと思った時に頭の中に思い出したのは「ふるさと・両親や兄弟といった家族・友人」でした。何気なく傍にあるものの価値は普通は中々その意味すら分らないものなのですが、無くして初めてその存在に気付くのです。

 台風は時には裏山を壊したり水害に会ったりの悪さもしますが、私にとっては生きることや自分の周りにある大切な宝物を発見することが出来た恩人かも知れないのです。恩人は手厚く迎えたいのですが、招かざる客なので出来れば来ないに越したことはありません。でも台風が来たら備えを万全にしてその心を受け止めながらじっと通り過ぎるのを待つのです。

 台風は私たちの町から遠ざかりつつありますが、一方で近づきつつある地域もあります。東北や北海道では稔りを迎えたリンゴの実がたわわになって収穫を待っています。気が気ではないと思いますが、どうか海の上を早く去ってくれることを祈ります。

  「台風を 壊す発明 ノーベル賞 俺の浅知恵 それは出来ぬな」

  「何事も 無かったように 行く台風 リンゴ農家の 苦悩ありあり」

  「気がつけば 台風一過の 高い空 目にも鮮やか 飛行機雲が」

  「台風が 来る度思う 愛媛丸 死んだつもりで その後を生きた」

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